2026年5月19日
対馬にニホンミツバチのハチミツが豊富な理由:固有の生態系と伝統養蜂
対馬でニホンミツバチのハチミツがよく売られているのは、日本で唯一セイヨウミツバチが生息しない島という地理的条件、豊かな自然、そして継体天皇の時代から続く伝統的な養蜂文化が背景にある。固有の「対馬型」ニホンミツバチと共生する島独自の営みが、希少なハチミツを生み出している。
道すがらの「蜂洞」に目を凝らす
対馬の道を車で走っていると、山沿いや畑地の脇に、いくつもの木製の筒状の箱が置かれていることに気づく。素朴な見た目から、最初は交通安全の祠か、あるいは何かの目印かとも思われたが、よく見ればそれは「蜂洞(はちどう)」と呼ばれるニホンミツバチの巣箱だった。対馬では、この蜂洞を使った養蜂が盛んであり、土産物店や地元のスーパーには、希少とされるニホンミツバチのハチミツが並んでいる。なぜこの島で、これほどまでにニホンミツバチの養蜂が根付き、そのハチミツが特別な存在として扱われているのだろうか。その疑問を抱いたまま、島を巡る旅を続けた。
継体天皇の時代から続く養蜂の営み
対馬における養蜂の歴史は非常に古い。元禄年間に記された文献「津嶋紀畧乾」には、継体天皇の時代(507〜531年頃)に太田宿称が山林から巣を採って飼育する方法を村人に教えた、という記録が残されているという。この記述が事実であれば、対馬では古墳時代からニホンミツバチの飼育が行われていたことになる。江戸時代には、対馬藩日記にハチミツが朝鮮使節への差し入れや将軍・諸大名への進物に用いられた記録が残されており、この頃には既にかなりの量のハチミツが生産されていたことがうかがえる。
対馬の養蜂を特徴づけるのは、その伝統的な「蜂洞」と呼ばれる巣箱の使用である。これは丸太をくり抜いたり、板を組み合わせて作られたりする素朴なもので、ミツバチが自然に住み着くのを待つ「待ち箱養蜂」に近い。対馬の養蜂家は、蜂洞の設置場所を長年の経験に基づいて選ぶ。ハチが入りやすく、蜜源が豊富な場所、具体的には道路や畑地の脇、造林地内、傾斜地の突き出し部分など、風雨が少ない場所が選ばれるのだ。
明治時代に西洋ミツバチが日本に導入され、商業的な養蜂の主流となる中で、ニホンミツバチの養蜂は全国的に衰退していった。セイヨウミツバチは一度に大量の蜜を集めることができ、飼育も比較的容易であるため、多くの養蜂家が切り替えを進めたのである。しかし、対馬ではこの流れとは一線を画し、昔ながらのニホンミツバチによる養蜂が今日まで受け継がれてきた。
ニホンミツバチだけが暮らす島の条件
対馬でニホンミツバチの養蜂が盛んな背景には、いくつかの要因が複合的に絡み合っている。最も特筆すべきは、対馬が「日本で唯一、セイヨウミツバチが生息しない島」であるという点だ。 海に囲まれた地理的条件により、セイヨウミツバチが対馬に定着しにくかったことが、ニホンミツバチの純粋な生息環境を維持する大きな要因となった。これにより、セイヨウミツバチとの競合や交雑のリスクがなく、ニホンミツバチが本来の生態系の中で存続できたのだ。
