2026年5月20日
琉球から来た黒豚、薩摩で「かごしま黒豚」へ進化した道のり
鹿児島の黒豚は400年前の琉球移入が起源。明治期にバークシャー種との交配で「六白」の特徴が確立。サツマイモ配合飼料と長期肥育で肉質が向上し、独自のブランドを築いた。
舌に残る、その甘みから
鹿児島で黒豚を食すとき、ただの豚肉とは異なる、深い滋味に舌がとらえられる。とんかつの衣をまとった肉の繊維は細かく、噛みしめればほのかな甘みが広がり、脂はしつこさがなく、さっぱりと溶けていく。食肉としてのこの格別な質は、一体どこから来るのだろうか。単に「黒い豚」というだけでは語り尽くせない、その背景にはどのような歴史と、どのような「開発」の物語が横たわっているのか。鹿児島の黒豚は、いつ、どのようにしてこの地で独自の存在感を確立したのか、その問いは、一口の肉の向こうに、この土地の長い営みを垣間見せる。
琉球からの旅、そして薩摩へ
鹿児島の黒豚のルーツは、およそ400年前、江戸時代初期に遡ると言われている。慶長14年(1609年)、薩摩藩の第18代当主である島津家久が琉球(現在の沖縄県)から豚を移入したのが始まりだとされる。この頃、中国大陸から琉球へと伝わった豚が、さらに奄美諸島を経て薩摩へと持ち込まれたようだ。当時の豚は、現在の「かごしま黒豚」とは異なり、全身が黒い小型の「島豚」であったと推測されている。
薩摩藩において豚肉は、他の地域とは異なる独自の食文化の中で、早くから重用されてきた。仏教の殺生禁断や神道の穢れの思想が色濃く残る江戸時代にあって、薩摩藩では獣肉食に対するタブーが薄かったという。これは、琉球王国が中国との朝貢貿易を許されていたため、その影響を強く受けた食文化が薩摩にも流入したことが背景にある。豚肉は、薩摩藩士たちの貴重な栄養源となり、幕末の重鎮である水戸藩主徳川斉昭をして「いかにも珍味、滋味あり、コクあり、何よりも精がつく」と言わしめた記録も残る。また、郷土の偉人である西郷隆盛も豚肉料理、特に「豚骨」をこよなく愛したと伝えられている。
しかし、現在の「かごしま黒豚」の原型が形作られるのは、明治時代に入ってからである。明治25年(1892年)、鹿児島県はイギリス原産のバークシャー種を奨励品種として導入し、在来の黒豚との交配を始めた。この品種改良が、後の「かごしま黒豚」の特徴である「六白(ろっぱく)」、すなわち鼻先、尾の先、そして四肢の先端が白いという外見的特徴を生み出すことになる。
昭和に入ると、鹿児島から東京の芝浦市場への黒豚の出荷が本格化し、その美味しさと品質の高さが評判を呼んだ。昭和30年代には東京で黒豚ブームが巻き起こり、「鹿児島黒豚」は高品質な豚肉の代名詞として全国に知られるようになったのである。
