2026年5月19日
畳はいつから部屋全体に敷かれるようになった?その歴史と日本独自の進化
畳の歴史は、縄文時代の敷物から始まり、平安時代の座具を経て、鎌倉・室町時代の書院造で部屋全体に敷き詰められる床材へと変化しました。高温多湿な気候への適応や床に座る生活様式が、日本独自の畳文化を育んだ背景です。
い草の香りが誘う問い
日本の住まいに足を踏み入れたとき、ふわりと鼻腔をくすぐるい草の香りは、多くの人にとって「和」の象徴だろう。その緑と織りなされた縁の直線は、視覚的にも空間に落ち着きを与える。しかし、この床材がいつ、どのようにして私たちの生活に深く根付いたのか、その経緯を意識することは少ない。畳は、あたかも太古の昔から日本に存在し、変わらぬ姿で受け継がれてきたかのように思われがちだ。そして、中国文化の影響を色濃く受けてきた日本の歴史を鑑みれば、「畳もまた中国から伝わったものだろうか」という問いが自然と湧くかもしれない。だが、その歴史を紐解くと、畳は日本独自の風土と生活様式の中で独自の進化を遂げ、定着していったことが見えてくる。
縄文から平安、座具から床材へ
畳の歴史は、日本の敷物文化の変遷とともに語られる。縄文時代や弥生時代には、稲わらや真薦(まこも)、い草といった自然素材を用いた筵(むしろ)や薦(こも)が敷物として使われていたという。これらは、まだ現代の畳のような厚みや構造を持つものではなく、必要に応じて敷いたり重ねたりする、いわば「可動式の敷物」であった。
「畳」という言葉が文献に初めて登場するのは、奈良時代の『古事記』においてだ。そこには「菅畳八重」「皮畳八重」「絹畳」といった記述が見られる。 現存する最古の畳としては、奈良東大寺の正倉院に保管されている聖武天皇が使用したとされる「御床畳(ごしょうのたたみ)」がある。これは木製の台の上に真薦を編んだ筵を数枚重ね、その上をい草の菰で覆い、錦の縁を付けたもので、寝台として用いられていたと推測されている。 この時代の畳は、現代のような部屋全体に敷き詰める床材ではなく、権力や身分の高い者が座る場所や寝具として、必要なときにだけ置かれる「置き畳」であった。
平安時代に入ると、貴族の邸宅建築である「寝殿造(しんでんづくり)」が普及する。この様式は、広々とした板敷きの空間が特徴で、そこに座具や寝具として畳が部分的に置かれるようになった。 『源氏物語』や『枕草子』といった当時の文学作品にも畳の記述が見られ、その厚さや縁の文様によって、使用する人物の身分や格式が示されたという。繧繝縁(うんげんべり)と呼ばれる最高の織物を用いた縁は、天皇や高位の貴族にのみ許されたものであった。 この頃には、い草を使った畳表とわら床を組み合わせた、現在の畳に近い原型が誕生したとされている。 しかし、まだ部屋全体に敷き詰めることはなく、あくまで調度品としての意味合いが強かった。 畳の専門技術者もこの頃から出現し、畳作りの技術が継承されていったようだ。
