2026年5月17日
相撲の行司は世襲ではない?木村家・式守家の名跡と昇進制度を解説
相撲の勝敗を裁く行司の職は、世襲制ではなく実力主義の昇進制度によって受け継がれている。江戸時代には木村家・式守家といった有力な行司の家系が存在したが、現代では日本相撲協会に所属する職員として、見習いから立行司を目指す。名跡は伝統を重んじつつも、血縁に依らない継承が行われている。
土俵に立つ、もうひとつの声
大相撲の土俵で、力士たちの激しいぶつかり合いの合間に、独特の声が響く。あの、張り詰めた空気の中で勝負を裁き、力士を鼓舞する行司の声だ。土俵の中央に立つその姿は、華やかな化粧まわしを締めた力士たちとはまた異なる、厳かな存在感を放っている。彼らが身につける色鮮やかな装束や、手に持つ軍配には、相撲の歴史が凝縮されているようにも見える。しかし、あの土俵で代々、勝負を裁き続けてきた行司という役職は、果たしてどのように受け継がれてきたのだろうか。特定の家系がその名を継ぐ「世襲」という形で、その職が伝えられてきたのか、あるいは別の仕組みがあるのか。
興行とともに歩んだ行司の系譜
行司の起源は、相撲がまだ武家の嗜みや神事としての性格を強く持っていた時代に遡る。鎌倉時代にはすでに、相撲の勝敗を判定する者が存在した記録があるが、現在の「行司」という職名が定着したのは江戸時代に入ってからのことだ。江戸時代に相撲が興行として確立されると、行司は単なる判定役から、相撲会の運営全般に関わる重要な役割を担うようになる。
この時期、行司の家系として特に名を馳せたのが「木村家」と「式守家」である。これらの家は、相撲興行を主催する年寄衆と並び、相撲界の運営を支える柱となった。当時の相撲興行は、現代のような組織だった体制ではなく、巡業ごとに個々の力士や行司が契約を結ぶ形態が主流だったため、木村家や式守家といった行司の家は、相撲興行を円滑に進めるための重要な調整役でもあった。
彼らは単に勝敗を裁くだけでなく、番付の作成、触れ太鼓、さらには力士の世話まで、多岐にわたる業務を担っていたという。特に番付作成は、行司の筆頭である立行司の重要な仕事であり、その筆遣いには格式が求められた。この時代、行司の地位はそれぞれの家系が持つ技量や伝統に裏打ちされ、世襲の傾向が強かったことは否めない。しかし、それは厳密な血縁による世襲というよりも、師弟関係や養子縁組を通じて、行司としての技術や知識、そして名を継承していくという側面が強かったと考えられている。
研鑽の先に開かれる道
現在の相撲界において、行司の職は世襲制ではない。行司は、力士と同様に日本相撲協会に所属する職員であり、その地位は厳格な実力主義と昇進制度によって定められている。行司を志す者は、まず「見習い」として相撲部屋に入門し、行司としての基礎を学ぶことから始まる。
見習いの期間を経て、晴れて行司として認められると、そこから長い昇進の階段を上っていくことになる。行司の階級は、番付下位から「序ノ口格」「序二段格」「三段目格」「幕下格」「十両格」「幕内格」「三役格」と続き、その頂点に「立行司」と呼ばれる「木村庄之助」と「式守伊之助」の二つの名跡がある。
これらの名跡は、空位が出た際に、三役格行司の中から最も経験と実績のある者が選ばれて襲名する。世襲ではないため、血縁に関わらず、地道な研鑽と長年の経験を積んだ者がその最高位に就くことができるのだ。ただし、「木村」と「式守」という二つの姓は、それぞれの家系の伝統を重んじる形で、代々受け継がれてきた名跡であり、行司は入門時にいずれかの姓を名乗ることになる。これは、行司としてのアイデンティティを形成する上で重要な要素となっている。
伝統芸能とスポーツ審判の狭間で
行司の昇進システムを他の分野と比較すると、その特異性が浮かび上がる。例えば、歌舞伎や能楽といった日本の伝統芸能の世界では、屋号や芸名が血縁による世襲によって受け継がれることが一般的である。幼い頃から家系の中で芸を叩き込まれ、特定の役柄や流派を継承していく。これは、芸の伝承において血縁が重要な役割を果たすことを示す一例だ。
一方、野球やサッカーのような近代スポーツの審判員は、厳密な研修制度と資格試験を経て、実力によって昇格していくシステムが確立されている。そこには特定の家系が審判の職を独占するといった概念は存在しない。あくまで公平な判定を下すための技術と知識が重視される。
行司は、この二つの極端な例の中間に位置すると言えるだろう。名跡として「木村」「式守」という伝統的な姓が残り、その装束や所作には芸能的な要素が色濃く残る。しかし、その継承は血縁ではなく、実力に基づいた昇進制度によって担保されている。これは、相撲が単なるスポーツ競技であるだけでなく、神事としての性格や伝統芸能としての側面を併せ持つがゆえの、独自の発展形態であると解釈できる。相撲という興行が近代的組織へと移行する過程で、世襲の傾向を排しつつも、伝統の「型」を残すための折衷案として、現在の制度が形作られたのではないだろうか。
装束に宿る格式と現代の役割
現代の行司たちは、土俵上で華やかな「装束(しょうぞく)」を身にまとう。この装束は、行司の階級によって色や素材、文様が厳密に定められている。特に、最高位である立行司の木村庄之助と式守伊之助は、紫色の総刺繍の装束を着用し、腰には短刀を帯刀する。この短刀は、万が一誤った軍配を下した際には切腹をもって詫びる、という覚悟を示すものとされているが、現代では儀礼的な意味合いが強い。
また、彼らが手に持つ「軍配(ぐんばい)」も、階級によって房の色が異なる。立行司は紫白の房、三役格行司は紅白の房、幕内格行司は緋色の房、といった具合だ。これらの装束や軍配は、単なる衣装や道具ではなく、行司の格式と責任を象徴するものであり、土俵上での彼らの存在感を一層際立たせている。
行司の役割は、勝敗の判定だけにとどまらない。力士を土俵に呼び上げる「呼び上げ」の声、力士の仕切りを促す所作、そして取り組み中の気迫のこもったかけ声は、相撲の雰囲気を高め、観客を魅了する重要な要素である。彼らは相撲の「進行役」であり、同時に「伝統の語り部」でもあるのだ。近年では、行司不足が懸念される声も聞かれるが、それでもなお、この独特の職が受け継がれている背景には、相撲文化そのものへの深い敬意と、それを支える人々の弛まぬ努力がある。
技術と伝統が交差する土俵
行司の職が世襲ではなく、実力と研鑽によってのみ最高位に達しうるシステムであることは、相撲という文化が持つ二面性を浮き彫りにする。一方で、木村家、式守家という伝統的な名跡が受け継がれ、その装束や所作に古式ゆかしい様式が残されていることは、相撲が単なるスポーツ競技に留まらない、芸能的・儀礼的要素を強く持つことを示している。
行司は、数百年続く相撲の歴史の中で、その形式を現代に伝える重要な役割を担ってきた。血縁という確実な継承方法を選ばずとも、師弟関係を通じた技術と精神の伝承によって、土俵の秩序と格式は保たれてきたのだ。彼らの存在は、伝統が単なる過去の遺物ではなく、常に変化し、新たな担い手によって更新されていく動的な営みであることを教えてくれる。土俵に響く行司の声は、技術と伝統が交差する相撲の現在地を指し示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。