2026/5/28
伊豆のわさび栽培、天城の清流と畳石の知恵の歴史

伊豆はわさび栽培が有名だ。いつから栽培されているのか?どのような点がわさび栽培に適しているのか?
キュリオす
伊豆におけるわさび栽培は江戸時代初期に始まり、天城山系の豊富な湧水と、石を積んで水流を整える「畳石式」という独特の栽培方法が発展の鍵となった。水温、土壌、地形を活かす先人の知恵が、伊豆をわさびの名産地へと育て上げた。
伊豆を旅していると、山間の道筋に独特の風景が点在していることに気づく。段々畑のように石垣が組まれ、その間を澄んだ水が滔々と流れる。そこに、まるで水草のように、しかし確かな存在感で緑の葉を広げているのがわさびだ。寿司屋で当たり前のように供されるあの香りと辛味の源が、こんなにも手間をかけて、水と共に育まれている。一体いつから、この伊豆の地でわさびは栽培されてきたのか。そして、なぜこれほどまでに伊豆の地がわさび栽培に適しているのだろうか。その問いは、伊豆半島の地形と、そこに暮らした人々の知恵に深く根差している。
伊豆におけるわさび栽培の歴史は、江戸時代初期にまで遡るとされている。特に、慶長年間(1596〜1615年)に現在の静岡市葵区有東木(うとうぎ)で、わさびが発見され、栽培が始まったという記録が残っている。この有東木が、日本におけるわさび栽培の発祥の地とされているのだ。伊豆での本格的な栽培が始まったのは、それからしばらく後の元禄年間(1688〜1704年)頃と言われている。天城山系の豊富な湧水を利用し、現在の河津町梨本地区で沢わさびの栽培が試みられたのが始まりとされる。当初は自生していたわさびを採取するに留まっていたが、江戸時代中期には、この地の農民たちが自然の沢に手を加え、石を積み上げて水路を整備する「畳石式(たたみいししき)」と呼ばれる独特の栽培方法を確立した。この方法は、水の流れを均一にし、わさびが育ちやすい環境を作り出すための工夫だった。
明治時代に入ると、交通網の発達とともに伊豆のわさびは東京などの大消費地へと流通するようになる。特に、伊豆の修善寺温泉が観光地として栄えるにつれて、わさびは土産物としても注目を集めた。この時期には、栽培面積も拡大し、品種改良も進められた。大正時代には、静岡県がわさびの優良品種の選定に力を入れ、「真妻(まずま)」や「達磨(だるま)」といった現在でも主要な品種の基礎が築かれたという。
第二次世界大戦後、食生活の洋風化が進む中でも、寿司文化の普及とともにわさびの需要は高まり続けた。特に、高度経済成長期には、伊豆のわさびは「本わさび」としてその品質の高さが評価され、高級食材としての地位を確立していく。この間、栽培技術はさらに洗練され、安定的な生産体制が築かれていった。しかし、その根底には、江戸時代から受け継がれてきた、水と石と向き合う農家の地道な努力があったのだ。
伊豆がわさび栽培に適している理由は、その地理的条件と気候に集約される。第一に、最も重要な要素は「水」である。わさびは清冽な湧水を必要とする植物であり、伊豆半島の中央に位置する天城山系は、その豊かな森林と火山性の地質が、年間を通じて安定した水量と水質の湧水を生み出す。特に、わさびが育つためには、水温が年間を通して8度から16度という狭い範囲に保たれることが理想とされている。天城山系の湧水は、この条件をほぼ満たしているため、わさびが一年を通じて生育できる環境が提供されるのだ。
第二に、火山灰土壌と花崗岩質の地質が、わさびの生育に好ましい土壌環境を作り出している。水はけが良く、かつ適度な養分を供給する土壌は、わさびの根茎が健全に成長するために不可欠だ。また、沢に敷き詰められた石は、水流を穏やかにし、わさびの根がしっかりと張るための足場となるだけでなく、水温の安定にも寄与している。
そして、伊豆のわさび栽培を特徴づけるのが「畳石式」と呼ばれる独特の栽培方法である。これは、沢の斜面に石を積み重ねて段々畑のように整地し、その間に砂利や砂を敷き詰めて水が均一に流れるように工夫されたものだ。この方法は、水の流れを調整し、土壌の浸食を防ぐだけでなく、わさびの根茎が水中に完全に浸からないようにすることで、病害の発生を抑える効果もある。また、石の間に水が流れることで、夏場の水温上昇を抑制し、冬場は逆に水温の低下を和らげるという、天然のサーモスタットのような役割も果たしている。この畳石式の技術は、単なる栽培方法に留まらず、水と地形を最大限に活かすための先人の知恵の結晶と言えるだろう。
加えて、伊豆半島特有の温暖な気候と、適度な日照もわさびの生育を助けている。わさびは直射日光を嫌うため、天城山系の深い谷間や、木々の木陰が適度な日照条件を提供し、わさびの葉が健全に光合成を行うことを可能にしている。これらの複数の要因が複雑に絡み合い、伊豆を日本有数のわさび産地たらしめているのだ。
わさび栽培は、伊豆に限らず、日本各地の清流が流れる山間部で行われている。たとえば、長野県の安曇野地域は、日本最大のわさび農場として知られ、扇状地の豊富な湧水を利用した大規模な栽培が行われている。安曇野のわさび田は、地下水が自噴する「湧水池」を利用した「湧水式」が主流で、広大な敷地にわさびが栽培されている景観は、伊豆の沢わさび田とは趣を異にする。安曇野の水は北アルプスの雪解け水が地下に浸透したもので、年間を通じて水温が安定しており、わさびの生育に適している点は伊豆と共通する。
一方、島根県匹見町(現益田市)の「匹見わさび」もまた、日本三大わさびの一つに数えられる。匹見のわさび栽培は、急峻な山間部の沢を利用した「渓流式」が特徴で、自然の地形を巧みに利用した小規模ながらも質の高いわさびを生産している。ここでは、清流の恵みをそのまま活かし、人工的な手を加える部分を最小限に抑えることで、自然に近い環境での栽培が追求されている。
これらの地域と伊豆を比較すると、共通しているのは「清らかな水」が不可欠であるという点だ。しかし、その水を利用する「方式」には違いが見られる。安曇野が湧水を大規模に利用するのに対し、伊豆は沢の傾斜を利用した「畳石式」という、より地形に合わせた工夫を凝らしている。匹見が自然の渓流を活かす「渓流式」であるのと比べると、伊豆の畳石式は、自然の条件を最大限に引き出しつつ、同時に人の手による緻密な管理を可能にしている点が特徴的だ。それぞれの地域が、自らの持つ地理的条件と水資源の特性に合わせて、最適な栽培方法を編み出してきたことがわかる。この比較から見えてくるのは、わさび栽培が単なる農業ではなく、水文学と土木工学、そして植物学が融合した、その土地固有の「水利用の知恵」の結晶であるということだろう。
現代の伊豆では、わさび栽培は地域の重要な産業として存続している。特に、天城山系の麓に広がる河津町、伊豆市、東伊豆町などの地域では、今も多くのわさび沢が維持され、その独特の景観は観光資源としても活用されている。道の駅や地元の土産物店では、生のわさびだけでなく、わさび漬けやわさび味噌、わさびを使った菓子など、多様な加工品が販売されており、訪れる人々にその風味を伝えている。
しかし、伊豆のわさび栽培もまた、いくつかの課題に直面している。まず、後継者不足が深刻化している点だ。畳石式のわさび田の維持管理には、経験と知識、そして労力が必要であり、若年層の就農者が減少している現状は、この伝統的な栽培技術の継承を危うくしている。また、近年頻発する豪雨や台風などの自然災害は、わさび田に壊滅的な被害をもたらすことがあり、安定的な生産を脅かす要因となっている。沢が土砂で埋まったり、水路が寸断されたりすると、復旧には多大な時間と費用がかかるのだ。
こうした課題に対し、地元では様々な取り組みが行われている。例えば、わさび栽培技術の研修会開催や、新規就農者の支援制度の整備、さらには観光客を対象としたわさび収穫体験の提供など、多角的なアプローチでわさび文化の維持と発展が図られている。世界農業遺産への登録も、この貴重な農業システムを未来に伝えるための重要な一歩となるだろう。伊豆のわさび沢は、単なる生産の場ではなく、地域固有の自然と文化が凝縮された生きた景観として、今もその姿を残している。
伊豆のわさび栽培は、単に「清らかな水があるから」という一言では片付けられない複合的な営みである。それは、天城山系の地質がもたらす安定した水温と水量、そして火山灰土壌という自然条件に、江戸時代から連綿と受け継がれてきた「畳石式」という人工的な知恵が加わることで初めて成立する。他のわさび産地と比較することで、伊豆が単に自然の恵みを享受するだけでなく、その恵みを最大限に引き出すための独自の工夫を凝らしてきたことが浮き彫りになる。
わさびという植物が、水温や水質、日照条件に対して極めて繊細な要求を持つからこそ、その栽培は土地の特性を深く読み解き、それに合わせて手を加えていくプロセスとなる。伊豆のわさび沢は、自然と人間が協調し、数世紀にわたって築き上げてきた「生態系」の縮図と言えるだろう。寿司の脇に添えられた小さな緑の塊には、伊豆の山々を巡る水の物語と、それを守り育ててきた人々の歴史が凝縮されている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。