なぜ扇神輿の釘は鉄ではなく竹で、しかも365本なのか?

轟音のなかに置かれた静寂
那智の滝を下から見上げると、その圧倒的な水の落差に意識が吸い込まれそうになる。和歌山県那智勝浦町、世界遺産の一角をなす飛瀧神社の御神体は、この落差百三十三メートルの瀑布そのものだ。毎年七月十四日、この滝を舞台に「那智の扇祭り」が執り行われる。通称「那智の火祭り」として知られ、燃え盛る十二本の大松明が参道を乱舞する様子は、勇壮という言葉では足りないほどの熱量を帯びている。だが、その火の乱舞の主役は、松明そのものではない。松明に導かれ、清められながら滝へと向かう十二体の「扇神輿」である。
この扇神輿は、一般的な神輿のイメージとはかけ離れている。駕籠のような形はしておらず、高さ約六メートル、幅約一メートルの細長い板状の構造体だ。その表面には、金地に朱の日の丸が描かれた扇が三十三面、整然と取り付けられている。この独特な祭具を組み上げる際、ある種の執念ともいえる決まりごとがある。神輿一体につき、使用される釘は「三百六十五本」と定められているのだ。それも、鉄の釘ではなく、すべて職人の手によって削り出された竹の釘である。
なぜ、これほどまでに具体的な数字が守られ続けているのだろうか。単に構造を固定するためだけなら、現代的な接合具を使えば事足りるはずだ。しかし、この祭りの現場では、今もなお一本一本の竹釘を木槌で打ち込む音が響く。三百六十五という数字は、いうまでもなく一年の日数を表している。だとすれば、この釘を打つ行為は、単なる組み立て作業ではなく、時間を物理的な強度に変換する儀式ではないか。そんな問いを抱えながら、那智の山中に分け入り、竹釘が生まれる背景を辿ってみることにした。
扇神輿に込められた宇宙観
那智の扇祭りは、正式には「扇会式法会」と称される。その起源は仁徳天皇の時代にまで遡ると伝えられているが、現行のような扇神輿が登場する形式が整ったのは、室町時代以前と推測されている。この祭りの本質は、熊野那智大社に祀られている十二柱の神々が、年に一度、本来の鎮座地であった那智の滝へと「里帰り」をすることにある。十二体の扇神輿は、それぞれが一月から十二月までの各月を司る神々の依代であり、その形状は那智の大滝を模したものであるという。
扇神輿の構造を詳しく見ると、その象徴性の密度に驚かされる。神輿の最上部には「光」を象徴する造形物が据えられ、前面には神の威光を映し出す八面の鏡が取り付けられている。そして、赤い緞子が張られた板の上に、日の丸の扇が並ぶ。この扇は、太陽の光や万物の活力を象徴すると同時に、風を起こして災厄を払い、福を招く道具としての意味も持っている。神輿一体につき三十面の扇が貼られるのは旧暦の一ヶ月の日数を、さらに半開きの扇二面が月の上弦と下弦を表すといった具合に、神輿そのものが一つの宇宙を体現している。
この巨大な依代を支える骨組みは、檜の材で組まれている。那智の山々から切り出された良質な檜が、幅一メートル、高さ六メートルの細長い枠を形作る。しかし、この枠に緞子を張り、鏡や扇を固定していく過程で、金属の釘は一切使われない。ここで登場するのが、三百六十五本の竹釘である。鉄釘を使わない理由は、第一にこの祭りが「水」の神事であるからだといわれている。那智の滝の飛沫を浴び、湿潤な空気のなかを渡御する神輿にとって、錆びを生じる鉄は忌むべきものだったのだろう。また、竹釘は鉄に比べて適度なしなりがあり、担ぎ手が激しく揺らしながら参道を下る際の衝撃を、構造全体で吸収する役割も果たしている。
竹釘の製作工程と職人の技術
扇神輿に使われる三百六十五本の竹釘は、どこで、どのように作られているのか。その製作工程は、驚くほど地道で、かつ熟練の技術を要する。竹釘の製作は、単なる大工仕事の延長ではなく、国の「選定保存技術」にも指定されている高度な手工芸の世界である。那智の扇祭りで使われる釘も、この伝統的な製法に則って準備される。
まず、材料となる竹の選定から始まる。かつては真竹が主流だったが、現在は肉厚で強度の高い孟宗竹も用いられる。冬の間に切り出され、十分に乾燥させた竹を、まずは一定の長さに切り分ける。そこから「竹籤(たけひご)」と呼ばれる細い棒状に割り、一本一本、小刀で削り出していく。この際、釘の断面を完全な円形にするのではなく、わずかに角を残した八角形に仕上げるのが職人のこだわりだ。八角形にすることで、木材に打ち込んだ際に角が食い込み、抜けにくくなるという。
削り終えた竹釘は、そのままでは使われない。仕上げに行われるのが「焙煎」という工程だ。釘を火にかけ、適度に煎ることで、竹に含まれる油分を表面に浮き出させ、強度と耐久性を高める。同時に、表面が滑らかになり、木材への通りが良くなる。焼き加減を誤れば竹が脆くなり、足りなければ強度が不足する。この「勘」を掴むまでに、職人は何年もの歳月を要するという。
こうして作られた竹釘は、七月十一日の「扇張り」と呼ばれる行事で、那智山の住人たちの手によって神輿に打ち込まれていく。白衣に身を包み、潔斎した住人たちが、一本一本の釘を神輿の部材に当て、木槌を振るう。三百六十五回、釘を打つ音が響くたびに、一年の時間が神輿の中に封じ込められていくような錯覚を覚える。この数は、現代の太陽暦における一年の日数と一致しているが、古い記録や一部の伝承では「三百六十本」とされることもある。これは旧暦の一年を基準とした数字だ。時代の変遷とともに数字の解釈は微細に変化しているが、「一年という時間の集積を釘に託す」という構造そのものは、揺らぐことなく守り抜かれている。
鉄を拒む建築と、竹の必然
竹釘という素材を、那智の扇神輿だけの特殊な事例として片付けるのは早計だ。日本の伝統建築において、竹釘は欠かすことのできない名脇役として存在し続けてきた。特に、神社の社殿や茶室の屋根に用いられる「檜皮葺(ひわだぶき)」や「柿葺(こけらぶき)」の技法において、竹釘は今も現役の主役である。
檜皮葺の職人は、大量の竹釘を口に含み、それを一本ずつ舌で送り出しながら、驚異的な速さで屋根板に打ち込んでいく。なぜ、ここでも鉄釘ではなく竹なのか。その理由は、扇神輿と同様に「錆」への懸念がある。鉄釘は酸化すると周囲の木材を腐食させ、穴を広げてしまうが、竹釘は木材と同化するように馴染み、数十年、数百年にわたって屋根を支え続ける。また、竹には抗菌作用があることも、湿気の多い日本の気候において有利に働いたのだろう。
しかし、建築用の竹釘と、那智の扇神輿の竹釘には、決定的な違いがある。建築用の釘が、最終的には屋根の内部に隠れ、数十年後の葺き替えまで日の目を見ることがない「消耗品」であるのに対し、扇神輿の釘は、一年に一度の祭りのために新調され、その本数自体が祈りの対象となっている点だ。一般的な建築では、釘の本数は面積や構造に応じて決まる実務的な数値に過ぎない。だが、那智においては、三百六十五という数字そのものが、神輿に神霊を留めるための「結界」のような役割を果たしている。
他の地域の祭りを見渡しても、これほど厳格に釘の本数を規定している例は珍しい。たとえば、江戸神輿の多くは木組みの技術を駆使し、できるだけ釘を使わずに組み上げることを美徳とする。一方で、装飾性の高い山車や鉾などは、強度を確保するために積極的に金属の補強材やボルトを用いることもある。そのなかで、あえて「竹」という脆弱な素材を選び、あえて「三百六十五」という手間のかかる数字を課す那智の流儀は、効率性とは対極にある。この不自由さこそが、聖なる時間を現世に繋ぎ止めるための重石となっているのではないか。
那智の山に生きる「削り手」たち
現在、この三百六十五本の竹釘を支えているのは、那智山の住人や保存会の人々である。かつては那智山の各集落に、神輿の製作を専門とする職人がいたという。今も、那智山の住人は祭りの数日前から潔斎を行い、神聖な気持ちで神輿の組み立てに臨む。竹釘の製作も、こうしたコミュニティの中で受け継がれてきた。
だが、現代において伝統を守ることは、かつてない困難に直面している。第一の課題は、良質な竹の確保だ。放置された竹林が増える一方で、釘に適した、節の間隔が長く、繊維の詰まった竹を見極め、管理できる人間は減っている。竹は切り出す時期を誤れば虫が入りやすく、乾燥の工程にも細心の注意が必要だ。那智の社有林や周辺の山々を歩き、一本の竹を釘へと変えていくプロセスには、目に見えない膨大な時間が費やされている。
また、製作を担う後継者の問題も切実だ。竹釘を削る作業は、単調でありながら極めて高い精度が求められる。一本削るのに数分、それを三百六十五本。十二体の神輿分を合わせれば、四千三百八十本もの釘が必要になる。この途方もない作業を、祭りの準備期間中に完遂させる熱量はどこから来るのか。
現地で話を聞くと、彼らは「大変だ」と口にしながらも、どこか淡々としている。そこには、特別なことをしているという気負いよりも、季節が巡れば当然行うべき「営み」としての落ち着きがある。那智の住人にとって、扇祭りは一年の区切りであり、神輿を組み上げることは、自分たちが暮らす時間の秩序を整える行為そのものなのだ。三百六十五本の釘を打つ音は、彼らにとっての生活の鼓動に近いのかもしれない。
一年を打ち込むという祈り
那智の扇神輿に打ち込まれた三百六十五本の竹釘は、祭りが終わればどうなるのか。神輿は解体され、部材は大切に保管されるが、竹釘はその役割を終える。翌年にはまた、新しい竹から削り出された新しい三百六十五本が用意される。この「一回性」こそが、那智の信仰の核心に触れているように思えてならない。
もし、これが鉄の釘やボルトであれば、数年間は使い回すことができるだろう。しかし、それでは「一年の日数を釘に託す」という象徴性が薄れてしまう。毎年、新しい竹を削り、新しい時間を打ち込む。この無駄とも思える繰り返しこそが、神威をリフレッシュさせ、万物を再生させる「常若(とこわか)」の思想を体現している。竹という、成長が早く、かつ朽ちやすい素材は、循環する命のメタファーとしてこれ以上ないほど適している。
那智の滝の前で、十二体の扇神輿が並ぶ光景を改めて想像してみる。轟々と落ちる水の白、扇の金の輝き、そして日の丸の赤。その鮮やかな色彩の裏側に、那智の山中で静かに竹を削り続けた人々の手つきが重なる。一本の釘に一日を込め、三百六十五日分の祈りを檜の枠に固定していく。その集積が、六メートルの神輿を垂直に立たせ、荒ぶる火の粉のなかを突き進ませる強度を生んでいる。
祭りの喧騒が去ったあと、那智の山には再び静寂が戻る。滝の音だけが響く森の中で、また次の一年に向けた竹の成長が始まっている。三百六十五本の竹釘は、目に見える派手な装飾ではない。だが、それこそが、那智という土地が数千年にわたって守り続けてきた、時間と信仰を繋ぎ合わせるための、最も細く、最も強靭な「背骨」なのである。
旅と食が好き。どこにでもいます。