なぜ「扇祭り」と呼ばれるのか?那智の火祭りが神々の「里帰り」を象徴する仕組みとは

轟音と熱気が交錯する参道で
那智の滝を背にして石段に立つと、耳を支配するのは落差133メートルを叩きつける水の轟音だ。しかし、毎年7月14日の午後、その音を切り裂くように「ハリャ!ハリャ!」という野太い掛け声が響き渡る。白装束の男たちが、燃え盛る巨大な松明を担いで石段を乱舞し、滝つぼへと突き進んでいく。この光景から、世間ではこの行事を「那智の火祭り」と呼んで久しい。
だが、この祭りの正式名称は「扇祭り」、あるいは「扇会式法会」という。火が主役であるかのような通称とは裏腹に、本来の主役は、滝を模したとされる細長い「扇神輿」である。なぜ、これほどまでに強烈な火の印象を与えながら、名前には「扇」が冠されているのか。そして、日本一の落差を誇る滝の目の前で、あえて巨大な火を振り回す必要はどこにあるのか。
単なる「浄めの火」という説明だけでは、この祭りが持つ異様なまでの造形美と、緻密に計算された数字の整合性を説明しきれない。火と水、そして扇。一見して結びつきにくいこれらの要素が、那智の山中でどのように噛み合っているのか。その構造を紐解くと、私たちが抱く「祭り」のイメージとは少し異なる、神々の「里帰り」という極めて具体的な物理移動の物語が浮かび上がってくる。
飛瀧神社から那智大社へ、一千七百年前の遷宮
この祭りの構造を理解するには、まず熊野那智大社という神社の特異な成り立ちに触れなければならない。社伝によれば、その起源は紀元前662年、神武天皇が東征の途上で那智の浜に上陸した際、山中に光り輝く滝を見つけ、それを「大己貴神」の御霊代として祀ったことに始まるという。この時点では、社殿という概念はなく、滝そのものが直接の信仰対象であった。
転換点は、それから約千年後の仁徳天皇5年(317年)に訪れる。滝のすぐそばにあった神々を、現在の那智山中腹へと遷し、新たに社殿を設けたのだ。これが現在の熊野那智大社の始まりである。一方で、元の鎮座地である滝本は「飛瀧神社」として残され、今も社殿を持たず、滝を直接拝む原始的な形態を維持している。
つまり、那智の信仰は「滝(元宮)」と「社殿(本宮)」という二つの拠点を持つことになった。扇祭りの本質は、この二点間を神々が移動する「渡御」にある。那智大社に祀られている13柱の神のうち、滝の神である飛瀧権現を除く12柱の神々が、年に一度、自分たちの故郷である滝へと里帰りをする。これが祭りの骨格である。
歴史をさらに下ると、ここに修験道の色彩が色濃く混じり合う。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、熊野は「蟻の熊野詣」と称されるほどの隆盛を極めた。滝に籠り、厳しい修行を行う修験者たちにとって、この祭りは神威を新たにさせる重要な儀礼であった。室町時代には、京都から田楽法師を招いて「那智の田楽」が導入されるなど、祭りの形式はより重層的になっていく。
現在、祭りを司るのは那智大社の神職たちだが、江戸時代までは青岸渡寺の僧房の一つである尊勝院を拠点とする修験者たちが、扇を褒め称える神事を執り行っていた。明治の神仏分離を経て、仏教的要素は削ぎ落とされたものの、カラス帽を被った神職の所作や、山伏の装束を思わせる白衣には、かつて神と仏、そして自然が渾然一体となっていた時代の名残が、岩肌に染み込む苔のように色濃く残っている。
365本の竹釘と12基の神輿
渡御の主役となる「扇神輿」は、私たちが一般的に想像する神輿とは似ても似つかない。駕籠のような形ではなく、幅約1メートル、高さ約6メートルの細長い板状の構造をしている。その姿は、那智の滝を垂直に切り取ったかのようだ。
この扇神輿には、驚くほど緻密な数字の仕掛けが施されている。12基ある神輿は、それぞれが一年の各月を象徴している。さらに、それぞれの神輿を組み立てる際には、竹製の釘が「365本」使われるという。これは一年の日数を表している。神輿の表面を飾るのは、朱色の日の丸が描かれた32枚の金地の扇だ。これに加えて、太陽の光を象徴する8面の鏡が取り付けられる。
扇は、古来より風を起こして災厄を払い、福を招く霊力があると信じられてきた。また、穀物の豊穣を司る虫害除けの故事とも結びついている。那智の扇神輿は、単に神を運ぶ乗り物ではなく、一年という「時間」そのものを造形化した依代なのである。この巨大な時間の柱が、山上の社殿から滝へと向かってゆっくりと降りていく。
ここで「火」が登場する。重さ50キロから60キロにも及ぶ12本の大松明は、檜の割板を桶のように輪締めにしたもので、地元の氏子たちが数ヶ月前から準備を進める。この松明の役割は、神々が通る道を清めることにあるが、単なる「掃除」ではない。
午後2時、神輿が滝前の参道に差し掛かると、大松明に火が灯される。白装束の男たちが松明を担ぎ、「ハリャ!ハリャ!」という叫び声とともに、133段の石段を何度も上り下りする。炎は時に神輿のすぐそばまで迫り、火の粉が舞い散る。これは、社殿という人為的な空間にいた神々が、原始の自然である滝へと戻る際に、一切の穢れを焼き払い、神威を極限まで高めるための「火の洗礼」なのだ。
神輿が滝つぼの広場に到着すると、12基が一列に並べられ、滝と対峙する。このとき、カラス帽を被った神職が「扇褒め」という秘儀を行う。結びの大松明にかざした打松を使い、神輿に取り付けられた鏡を打つ。水(滝)、火(松明)、そして時(扇神輿)。これらすべての要素が一点に収束し、神々は故郷の滝の飛沫を浴びて、その神威を蘇らせる。
扇神輿を導く「露払い」としての火
日本各地には「火祭り」と呼ばれる行事が数多く存在する。京都の「鞍馬の火祭」や、福岡の「大善寺玉垂宮の鬼夜」などは、その代表格だろう。しかし、これらと那智の扇祭りを比較すると、火が果たす機能の決定的な違いが見えてくる。
鞍馬の火祭では、巨大な松明が集落を練り歩くことそのものが祭りの中心であり、火は闇を照らし、神を迎えるための圧倒的なエネルギーの象徴として扱われる。一方、那智において火は、あくまで「扇神輿」という主役を導き、清めるための手段、すなわち「露払い」の機能に徹している。那智の氏子たちは、松明を振り回す勇壮さを誇りつつも、その意識の先には常に、背後に控える扇神輿を見据えている。
また、多くの火祭りが夜間に行われるのに対し、那智の扇祭りは真昼の太陽の下で執り行われる。これは、扇神輿に取り付けられた「日の丸」や「鏡」が太陽の象徴であることを考えれば、極めて論理的だ。夜の闇を火で切り裂くのではなく、太陽の光と火の熱を共振させ、そこに滝の冷気をぶつける。この温度差と明度の高さこそが、那智の祭りを他の火祭りから際立たせている。
里帰りという構造においても、他地域との違いは鮮明だ。例えば、都市部の祭りにおける神輿の渡御は、神が氏子たちの住む町を巡回し、力を分け与える「神の巡幸」としての側面が強い。しかし那智の場合は、神が人々の住む場所から離れ、より原始的な「聖域」へと戻っていくベクトルを持っている。
この「聖域への回帰」という構造は、奈良の春日大社における若宮祭などにも見られるが、那智ほど「水」という自然物と「火」という人為的なエネルギーを直接的に対比させる例は珍しい。垂直に落ち続ける滝(不動の自然)に対し、水平に動く扇神輿と、螺旋を描いて乱舞する火(動的な人為)。この対比構造があるからこそ、那智の火は単なる照明や見世物ではなく、自然と対峙するための切実な道具として機能している。
伝統を支える保存会と材料調達の苦労
祭りのハイライトである「御火行事」の影で、午前中から粛々と進められるのが、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている「那智の田楽」である。室町時代の応永10年(1403年)、京都から田楽法師を招いて習得したと伝えられるこの舞は、600年以上もの間、その形をほとんど変えずに守られてきた。
笛、腰太鼓、編木の三種類の楽器を用い、11人の舞人が古風な装束で舞う。その曲目は20種を超え、田植えから収穫までの農耕のサイクルを表現している。興味深いのは、この田楽が単なる芸能の奉納にとどまらず、扇神輿の渡御という大きな流れの中に組み込まれている点だ。神々が里帰りをする前の景気づけとして、あるいは滝に到着した後の祝宴として、田楽は「音」と「動き」によって神事の各場面を繋ぎ合わせる。
この伝統を支えているのは、昭和35年(1960年)に組織された「那智の扇祭り保存会」をはじめとする地元の人々だ。大松明の製作や扇神輿の組み立てには、特殊な技術と膨大な手間を要する。特に檜の確保や、365本の竹釘の製作など、材料の調達だけでも現代では容易なことではない。
過疎化や高齢化といった課題は、この聖域であっても無縁ではない。かつては那智山の各坊舎がそれぞれ役割を担っていたが、現在は周辺地域の氏子たちが一丸となって祭りを支えている。観光化が進み、毎年数万人の参拝客が訪れるようになった現在でも、保存会の人々の意識は「見せること」よりも「正しく行うこと」に置かれているように見える。
石段を駆け上がる松明の担ぎ手たちの表情は、苦悶に近いほど真剣だ。50キロの熱塊を担いで急勾配を上り下りするのは、文字通りの肉体労働であり、一歩間違えれば大怪我に繋がる。それでも彼らが火を担ぎ続けるのは、それが自分たちの土地に住まう神々の「通り道」を作る唯一の手段だと知っているからだろう。
12基の神輿が解体されるまで
那智の扇祭りを最後まで見届けると、最初に感じた「火祭り」という言葉の重みは、少しずつ「扇」という言葉の静けさへと移り変わっていく。火が消え、煙が滝の飛沫に溶けていく頃、滝の前に並んだ12基の扇神輿は、まるで最初からそこに生えていた樹木のように風景に馴染んでいる。
私たちは、神社を「動かない建物」として捉えがちだ。しかし那智の扇神輿は、社殿そのものが解体され、再構成され、移動する「動く建築」であることを示している。それは、神を閉じ込めるための箱ではなく、神が自然界(滝)と人間界(社殿)を行き来するための、一時的な乗り物に過ぎない。
一年の日数を釘の数に込め、一年の月数を神輿の数に託す。この徹底した数字へのこだわりは、人間が「時間」という目に見えない概念を、いかにして神聖なものとして物質化しようとしてきたかの証左でもある。扇の起こす風が災厄を払うという素朴な信仰は、ここでは「一年という時間の正常な運行」を祈る、より大きな秩序への願いへと昇華されている。
祭りが終わり、神輿から神霊が社殿へと戻されると、あの巨大な扇神輿は再び解体される。形を失い、また来年の夏まで部材として眠りにつく。那智の滝は、祭りの喧騒などなかったかのように、再び単調で圧倒的な轟音を響かせ始める。
結局のところ、那智の扇祭りとは、圧倒的な自然の力に対し、人間が「火」と「時間(扇)」という二つの武器を持って、精一杯の敬意を払いにいく儀式なのではないか。松明を担ぐ男たちの腕に浮かぶ血管や、扇神輿に打ち込まれた365本の釘の跡。それら具体的なディテールの集積こそが、目に見えない神威をこの土地に繋ぎ止めている。松明の担ぎ手が石段を下り、山を下りる頃には、先ほどまでの熱気が嘘のように、ただ冷涼な山の空気が首筋をなでていく。

旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 例大祭 「那智の扇祭り」 | 熊野那智大社 飛瀧神社 那智御瀧kumanonachitaisha.or.jp
- 〈Topic ’24〉闇夜の山中に燃え盛る炎 京都三大奇祭 鞍馬の火祭 | 京都大学新聞社/Kyoto University Presskyoto-up.org
- 那智の火祭など和歌山県の祭りの特色/ホームメイトhomemate-research-festival.com
- 【日本三大火祭り】和歌山「那智の扇祭り」・福岡「鬼夜」・北海道「天狗の火渡り」:身も心も浄化する炎の祭典 | nippon.comnippon.com
- 熊野那智大社と那智の滝|訪ねる前に知っておきたい歴史や見所 - SEN. RETREATsen-retreat.com
- 熊野三社関係 - 文化財について - 名取市公式ホームページ(文化・スポーツ課)city.natori.miyagi.jp
- 【熊野巡礼Ⅲ】熊野那智大社/飛瀧神社 | 南大阪・和歌山のおでかけ情報 Natts(ナッツ)nankai.co.jp
- - 和歌山県 那智勝浦町 -那智の扇祭り - 和歌山県 那智勝浦町 -town.nachikatsuura.wakayama.jp