醍醐寺三宝院の秘宝『稚児草紙』は、どのようにして現代の美術館で公開されるに至ったのか?

醍醐寺の奥に眠っていた絵巻の気配
京都・嵐山の穏やかな風景の中にたたずむ福田美術館の展示室に足を踏み入れると、そこには静謐な空気が満ちている。展示室の中央をしつらえたガラスケースに近づき、息を潜めるようにしてその中をのぞき込むと、そこには古びた一巻の絵巻が広げられている。何世紀もの時間を経てなお色彩を留める画面に描き出されているのは、中世の寺院という厳粛な空間を舞台にした、一人の僧侶と、端正な垂髪を結った美しい稚児との親密な交わりの光景である。春画という日本の美術の歴史を振り返るとき、男女間の性愛を主題とした作品は、時代ごとにさまざまな諸家によって伝えられ、その作例を見出すことは難くない。しかし、男色を主題とした絵巻物となると、その作例の数は極めて限定され、美術史の中でも異彩を放つ存在となる。長らく京都の醍醐寺三宝院という深奥の地に秘蔵され、その存在の重要性こそ専門家の間では知られていながらも、一般の目に触れる機会がほとんどなかった『稚児草紙』が、なぜ今、こうして私たちの目の前にその姿を現すことになったのだろうか。ガラス越しにその細部を見つめると、かつてこの絵巻がまとっていた秘められたベールが、少しずつ剥ぎ取られていくような不思議な感覚にとらわれるのである。
中世僧院という閉ざされた空間の掟
鎌倉時代から室町時代にかけての時期、京都の有力な寺院というのは、単に経典を学び仏道を修行するための学問所という枠組みを遥かに超えていた。そこは独自の強大な政治力を持ち、時の権力者たちとも深く結びつきながら、独自の洗練された文化を育む巨大な空間であった。そうした厳格かつ閉ざされた男社会の中で、まだ幼さを残し、得度したばかりの少年である「稚児」という存在は極めて特殊な位置を占めていた。彼らは仏門に身を置きながらも、しばしば寺院内における美の象徴として扱われ、日々の修行に励む僧侶たちの強い愛着の対象となっていったのである。京都の仁和寺や嵯峨、あるいは法勝寺といった歴史ある名刹を背景にして、若い稚児に恋心を抱く僧侶と、その思いに戸惑いつつも応える稚児の姿は、当時の文学作品や世間を賑わせた説話集のなかにも、しばしばその顔をのぞかせている。『稚児草紙』は、中世の僧院が持っていた厳格な戒律と、そこに生きる人間たちの内側から湧き上がる切実な欲望とが交差する日常を、全五段からなる詞書と、息をのむほどに繊細な絵画によって構成したものである。元亨元年という具体的な制作年、すなわち1321年の奥書をその巻末に宿すこの絵巻は、単なる道徳的な逸脱や風紀の乱れとして片付けられるものではなく、当時の文化的文脈の中で一つの高度な芸術として見事に昇華されていたことがわかる。
三大性愛絵巻に連なる描写の系譜
江戸時代よりもはるか以前にまで遡る古春画の作例のなかでも、『小柴垣草紙』、『袋法師絵詞』という名だたる作品群と並んで、本作はしばしば「三大性愛絵巻」の一つとして称されてきた。その歴史的評価にふさわしく、画面に描き出された人物たちの着物の細やかな文様や、静まり返った寺社の堂内のしつらえに至るまで、当時の最高峰に属する専門絵師による卓越した技術が惜しみなく注がれている。あからさまな遊戯の図を描き出しているにもかかわらず、そこには少しの粗暴さもなく、むしろおだやかな彩色や、一本一本が極めて繊細に引かれた線の描写によって、見る者に生々しい生理的な感情を超越した、どこか古典的な静けささえ感じさせる仕上がりとなっている。長年にわたって醍醐寺の厳重な管理下に置かれ、その存在の重要性ゆえにかつては模写すら容易ではなかったこの巻物が、長い間外の世界へと連れ出されることがなかったのは、これが寺院という組織の正統な歴史の裏側にひっそりと隠された、いわば「触れてはならない秘宝」として厳重に守られ続けたからにほかならない。その歴史の重みが、絵巻の放つ独特の気配となって現在にも伝わっている。
秘められた雅と、大衆化への道のりの違い
男女の性愛を描いた日本最古の春画の一つとして知られる『小柴垣草紙』が、宮中の斎宮と武士の密通という、世俗の大きなスキャンダルを主題に選んでいたのに対し、『稚児草紙』がその舞台として選んだのは、あくまでも厳粛な仏教の聖域そのものであった。平安時代から鎌倉時代にかけて制作された春画というものが、貴族階級や寺院の高僧といった、ごく限られた特権階級に属する者たちの教養や、あるいは秘かな嗜みとしてひそかに共有されていたということは、美術史の定説としてよく知られているところである。それが時を経て江戸時代という新たな時代を迎えると、浮世絵師たちの革新的な手によって版画という手法に生まれ変わり、町人文化の中で広く一般の人々へと流通するエンターテインメントへと劇的な変貌を遂げていくことになる。宮廷や寺院の奥深くという閉ざされた空間の中でひっそりと鑑賞されるにとどまった『稚児草紙』の閉じた世界観は、のちに葛飾北斎や月岡雪鼎といった絵師たちが描き出した、大衆的で剥き出しのエネルギーに満ちあふれた江戸時代の浮世絵春画の潮流とは、完全なる対極の歴史の道をたどってきたと言えるのである。
福田美術館のケースに横たわる歴史の断片
2025年に福田美術館の貴重なコレクションに加わり、今回の展覧会において初めて一般に向けて公開されるに至った『稚児草紙』は、これまでの日本の美術史が抱えていた大きな空白を埋めるための、極めて決定的なピースであると言って過言ではない。明治時代以降の近代化の急速な波の中で、春画という表現ジャンルは「わいせつ」なものとして公的な視線から厳しく排除され、国内においては長らくそのまとまった姿を鑑賞する機会すらほとんど持たれずにきた。しかし近年になって、大英博物館をはじめとする国内外の主要な美術館において、その極めて高い芸術性が改めて見直されるようになり、卓越した線描の妙や、奇跡的なまでに良好に保たれた保存状態の良さが、専門家や愛好家の手によって改めて深く検証されるようになってきている。嵐山の美しい自然の景観を窓の外に望むモダンな美術館の展示室において、一双の屏風や近代の日本における美人画の傑作たちと並んでこの古い絵巻に対面したとき、私たちは近代という時代が作り上げた価値観によって長く切り捨てられてきた、表現の豊かな多様性に直面せざるを得なくなるのである。
寺院の秘庫から現代の展示室へ
かつて元亨元年の筆者が静かに筆を置き、醍醐寺の僧侶たちが限られた信頼できる者同士の間だけでひそかに紐解いたその巻物は、数百年の気の遠くなるような時間を経て、いまや誰もがチケットを求めて足を踏み入れる現代の美術館の、堅固なガラスケースの中に大切に収められている。そこに描かれている稚児と僧侶の姿は、道徳的な教訓を垂れるためのものでもなければ、単なる卑俗な遊戯の記録として残されたものでもない。厳格な戒律に縛られた空間の裏側で、人間がどのように互いを求め合い、どのような洗練された美意識をもってその関係を視覚化しようと試みたのかという、中世という時代の生々しくも切実な記録そのものである。嵐山の静かな水面に美しく臨む空間の中で、元亨元年の奥書を持つ『稚児草紙』の筆致が、ガラスケースの中で静かに開かれている。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 稚児草紙(ちごぞうし)とは? 意味や使い方 - コトバンクkotobank.jp
- 稚児之草紙のひみつ その1 | やまちゃん1のブログameblo.jp
- 愛のカタチ ー幻の春画《稚児草紙》公開ー | ぴあエンタメ情報lp.p.pia.jp
- 企画展「愛のカタチー幻の春画≪稚児草紙≫公開ー」 | 福田美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダartagenda.jp
- 展覧会「愛のカタチ -幻の春画《稚児草紙》公開-」に会員10人をご招待|大人の部活動。読売新聞が応援!わいず倶楽部ysclub.yomiuri.co.jp
- 「愛のカタチ ー幻の春画《稚児草紙》公開ー」(福田美術館)開幕レポート。幻の絵巻が初の一般公開へ|Page 2|美術手帖bijutsutecho.com
- 愛のカタチ ー幻の春画《稚児草紙》公開ー | 京都・嵯峨嵐山 福田美術館 -FUKUDA ART MUSEUM-fukuda-art-museum.jp
- 愛のカタチ -幻の春画《稚児草紙》公開- - Sfumartsfumart.com