『稚児草紙』などの三大性愛絵巻が描いた物語は、単なる春画とはどう違っていたのか?

屏風の陰に秘められた三つの絵巻
美術館の暗がりや古文書の図録の中で、時に異様な存在感を放つ絵巻物がある。日本の美術史において「三大性愛絵巻」と通称されてきた『稚児草紙』『小柴垣草紙』『袋法師絵詞』の三作である。これらは単に男女や男同士の肉体関係をあからさまに描いた作品として語られがちだが、実際にその詞書を読み、画面を凝視すると、ただの愛欲の図画とは言い切れない妙な秩序や論理が立ち現れてくる。
そこには、性行為そのものの描写と並んで、過剰なほど具体的な作法、寺社や宮廷の人間関係、さらには仏教的な教理や滑稽な寓話が整然と織り込まれている。なぜ、平安末期から鎌倉時代にかけての日本において、性愛はこうした絵巻という物語形式で記録され、特権的な空間に保管されたのだろうか。これらの絵巻が描いた物語の背後には、現代の私たちが想像する春画の枠組みには収まらない、どのような社会や身体への眼差しが存在していたのだろうか。
皇室と大寺院に秘蔵された肉筆の系譜
三つの絵巻物は、いずれも権力や信仰の最深部と深く結びついて成立し、伝来してきた歴史を持つ。それぞれの誕生と辿った軌跡を紐解くと、当時の特権階級がこれらの作品を単なる秘め事の娯楽としてではなく、ある種の権威や教養の一環として扱っていた形跡が浮かび上がる。
『小柴垣草紙』は、三作の中でも最も古い成立背景を持つ。題材とされているのは、寛和2年(986年)に起きた実在の醜聞である。花山天皇の時代、伊勢神宮に奉仕するために洛西嵯峨野の野々宮で潔斎していた斎宮済子女王が、警護の滝口武者である平致光(たいらのむねみつ)と密通したという説話が『十訓抄』などに記録されている。この事件によって済子の伊勢行き(群行)は取りやめとなったが、『小柴垣草紙』はその一夜の逢瀬を密着した視点で絵巻に仕立てたものだ。
原本は平安時代末期に制作されたと推測されており、絵は住吉派の祖とされる住吉慶恩や藤原信実、詞書は後白河天皇や藤原為家、久我通具などの手がけたものという伝承が残る。承安元年(1171年)、後白河天皇の女御であった平滋子が、高倉天皇に嫁ぐ平徳子(建礼門院)への贈り物として持たせたという説話も残されている。かつて古筆了伴が所持し、嘉永2年(1849年)に徳川家に献上された旧原本は安政6年(1859年)の火災で焼失してしまったが、東京国立博物館などに残る模本によってその姿を今に伝えている。
『袋法師絵詞』もまた、流転の歴史を辿った。成立は14世紀頃と見られ、『後三年合戦絵巻』を描いたとされる飛騨守惟久(巨勢惟久)や土佐光信の作と伝えられてきた。全5段からなるこの絵巻の原本は、江戸幕府の絵事や大奥の奥蔵に収められていたが、天保年間の江戸城の火災によって焼失した。しかし、住吉具慶による模本や横山家本、サントリー美術館本、静嘉堂文庫に収められた岩崎家本など、複数の写本が後世に書き継がれたことで、その全体像が残された。
一方、『稚児草紙』は寺院という密閉された空間で大切に継承されてきた。全5段の詞書と絵からなるこの作品は、奥書によれば元亨元年(1321年)、鎌倉時代末期に書写されたと記されている。長年にわたり京都の醍醐寺三宝院に秘蔵されてきたため、「幻の絵巻」とも称されてきた。穏やかな彩色と繊細な筆致で描かれた画面は、生々しい肉体表現を含みながらも、洗練された宮廷・寺院絵巻の格式を保っている。
これらの絵巻がたどった歴史的な転換点は三つある。第一に、平安末から鎌倉期にかけて、宮廷や大寺院という閉じられた社会の中で、性愛が言説や絵画として体系化されたこと。第二に、江戸時代に幕府の絵師や公家の手によって精力的に模写され、原本の消失を免れる形で知が継承されたこと。そして第三に、近代以降、これらが単なる異色の古美術や最古の春画として再評価され、流布したことである。これらは市井の庶民が買い求める浮世絵春画とは明確に異なる、権力者や高僧たちの手元で回覧される特殊なメディアであった。
施しと秘儀と寓話が交錯する物語
では、これら三つの絵巻には具体的にどのような物語が綴られているのだろうか。それぞれのプロットを細かく辿ると、描かれた性愛が持つ役割が作品ごとに全く異なっていることが見えてくる。
『稚児草紙』は、中世の僧院社会における僧侶と稚児の愛を描いた5つの独立したエピソードから構成されている。第一段では、仁和寺の高僧に寵愛される稚児が、初めての床入れに向けて準備をする場面が描かれる。ここでは「めのと子」と呼ばれる養育係の男子が手伝いをし、道具や実際の身体を用いて稽古を重ねる。丁字から抽出した丁字油を潤滑剤として用い、床入れの直前には火鉢の熱で稚児の臀部を温めるといった、極めて具体的かつ臨床的な手順が記録されている。
しかし、二段以降を読むと、単なる行為の手順書ではないことが解る。第二段では新かまの里で僧と稚児が秋の夜に萱群の中で密会するが、本尊の加護によって人に知られることなく生涯の深い契りを結ぶ。第三段と第四段では、嵯峨や法勝寺の高僧に寵愛されている稚児が、自分に思いを寄せて恋煩いで痩せ衰える下級の法師たちを部屋に呼び寄せる。稚児は彼らに足を洗わせたり湯の世話をさせたりしながら、その情けを受け入れて自らの体を許すのだ。ここでの性愛は、高貴な稚児から困窮した下級僧への「施し」として機能している。第五段では、北山の高僧が稚児を独占している状況に対し、潜入した若僧を稚児が物語を暗誦しながら密かにもてなし、寺院内の独占を和らげる。男色が僧院内の秩序を円滑にし、欲望の不平等を緩和するためのシステムとして描写されているのだ。
『小柴垣草紙』は、密通という背徳から始まりながら、全く別の次元へと着地する物語である。前述のとおり、伊勢に赴く前の斎宮済子女王が、野々宮の小柴垣越しに目にとまった滝口の武者・平致光を部屋に引き入れ、濃厚な一夜を過ごす。絵巻には、野々宮の静謐な風景と、室内で繰り広げられる官能的な行為が対比的に描かれる。
『小柴垣草紙』の伝本には、密通が発覚して斎宮の伊勢群行が中止される結末で終わる短文系統と、その後に物語が大きく展開する長文系統が存在する。長文系統(しばしば『灌頂巻』と呼ばれる)では、逢瀬の後に二人が再会し、噂を聞きつけた女房までもが交わる。そして物語の結末には、男女の性行為そのものが真言密教の即身成仏や教理の極意伝授に通じるという、宗教的な評釈(釈義)が付加される。禁忌であるはずの密通が、いつしか密教的な秘儀や救済の言説へとすり替わる構造を持っているのだ。
『袋法師絵詞』の物語は、滑稽さと過剰な欲望が織りなす寓話的展開を見せる。京都の御所に仕える3人の侍女が、神社参詣の帰りに道に迷い、増水した川に遭遇する。そこに現れた親切な法師が小舟で助けようとするが、川の中州に船を着け、侍女たちを誘惑する。対岸へ渡りたい侍女たちは法師の要求を受け入れ、無事に太秦の御所まで送り届けられる。
侍女の誘いを受けた法師は御所へと忍び込むが、そこは男子禁制の尼御所であったため、法師は大きな袋の中に詰め込まれ、納屋に隠される。生気を失っていた尼御前の夜伽のため、侍女たちは袋に入った法師を連れ出して慰めさせる。しかし、毎夜の睦言を聞いた3人の侍女たちも耐え切れなくなり、法師を自分たちのものとする。噂を聞きつけた男旱の従妹の尼御前までもが法師を所望し、法師は袋詰めのまま深夜に連れ回されることになる。連日連夜の営みの末、法師は精気を完全に使い果たし、生ける屍のようになって誘惑にも反応しなくなる。侍女たちは致し方なく、新しい笠と法衣を与えて法師を山寺へ送還する。聖職者の欲心が過剰な性的消費によって解体されていく、皮肉な喜劇と言える。
西欧の原罪とも江戸の浮世絵とも異なる地平
これらの性愛絵巻を、他の時代や他地域の文化と比較してみると、日本の中世特有の視点がより鮮明に浮かび上がってくる。
同時代である西洋の中世末期からルネサンス期にかけての文学や絵画を振り返ると、ボッカッチョの『デカメロン』やチョーサーの『カンタベリー物語』などに、聖職者や修行者の色好みをあばく滑稽な説話が数多く登場する。しかし、キリスト教的倫理観が支配する西洋において、それらの肉体描写はどこまでも禁忌に対する背徳の暴露であり、原罪の表れとして告発されるか、あるいは単なる世俗の道化として処罰の対象となった。性愛そのものが聖なる教理や身分秩序の潤滑油として肯定され、宗教的なテキストと合一することはあり得なかった。
また、中国の明代・清代に発達した『金瓶梅』や『肉蒲団』のような好色文学、ならびに春宮画(絵画)との比較も興味深い。中国の春宮画は、道教的な陰陽和合の養生術としての側面を持つ一方で、多くは富裕な文人階層の個人的な観賞用、あるいは邸宅内での秘め事として描かれた。そこには、寺院の集団生活における階層間の「施し」や、国家的な斎宮の密通を教理の極意に反転させるような物語のダイナミズムは見られない。
さらに、同じ日本の春画であっても、江戸時代に爆発的な普及を見せた浮世絵春画(錦絵)と中世の三大家絵巻との間には、決定的な質の差が存在する。江戸時代の浮世絵春画は、都市の町衆を対象とした多色刷り木版画であり、商業的出版物として市場で流通した。そこでは性器の極端な誇張や、誰もが楽しめる娯楽性、あるいは嫁入り前の性教育としての実用性が前面に出されていた。
これに対して、中世の『稚児草紙』『小柴垣草紙』『袋法師絵詞』は、肉筆の絵巻物という一品物の形式を採り、筆を執ったのは宮廷や寺院の最高峰に位置する絵師や文人たちであった。扱われている題材も、単なる男女の戯れではなく、天皇の代参である斎宮、寺院の最高権力者である高僧と稚児、あるいは御所に仕える尼君といった、社会の最上層に位置する人々である。性愛が特権的な空間の身分秩序、儀礼、教義の伝授と表裏一体のものとして描かれていた点において、これらの作品は世界の性愛美術の中でも極めて異彩を放っている。
現代のガラスケースに浮かび上がる肉筆
歴史の波に揉まれながら書き継がれてきたこれらの絵巻は、現代においてどのような形で立ち現れているのだろうか。
『小柴垣草紙』や『袋法師絵詞』の原本は、前述のように江戸時代の火災によって失われた。しかし、東京国立博物館やサントリー美術館、静嘉堂文庫、あるいは大学の図書館などに所蔵される精緻な模写本を通じ、研究者や美術史家によって分析が続けられている。流麗な詞書と繊細な大和絵の技法が組み合わさった画面は、当時の風俗や建築、調度品を知る上でも貴重な史料となっている。
特に注目すべきは、『稚児草紙』のたどった近年の動きである。長年にわたり醍醐寺三宝院に秘蔵され、三島由紀夫が小説『禁色』の中で秘本として描いたことでも知られるこの絵巻は、新たに福田コレクションの所有となった。京都の福田美術館などで開催された「人のすがた・愛のかたち」展をはじめとする機会において、一般に初公開されるに至った。
かつては禁忌として、あるいは極めて限定された特権階級の目だけに触れられてきた肉筆絵巻が、現代の美術館のガラスケースの中に並べられている。来館者は、そこに描かれた穏やかな彩色とユーモラスな人物の表情、そして詞書に刻まれた対話を目にする。そこに見えるのは、過激なポルノグラフィというよりも、中世という時代が生み出した極めて人間的な愛のかたちであり、精密に構築された物語世界である。
かつては大奥や大寺院の暗がりに保管されていたこれらの絵巻は、展示室の照明の下で、観客に対して自らの持つ複雑な文脈を語りかけている。
愛欲を物語と言説に変えた中世の営み
『稚児草紙』『小柴垣草紙』『袋法師絵詞』という三つの絵巻を並べて読み解くことで見えてくるのは、日本の中世社会が持っていた、性愛に対するきわめて柔軟で論理的な言説化の力である。
一見すると相反する三つの物語――男色が下級僧への施しや秩序維持のシステムとして働く『稚児草紙』、宮廷の密通事件が即身成仏の教理伝授へとスライドしていく『小柴垣草紙』、そして聖職者の執着が過剰な消費によって骨抜きにされる『袋法師絵詞』。これらは単に性の快楽を描き散らしたものではなく、欲望という扱いがたい人間的衝動を、社会の物語、身分の儀礼、あるいは宗教的な言説の中に組み込んで処理しようとした試みであった。
現代の私たちは、性を隠すべき恥部とするか、あるいは解放されるべき個人の権利とするかという二元論で捉えがちである。しかし、中世の特権階級が肉筆絵巻に託した眼差しは、そのどちらでもなかった。彼らは性愛を、社会構造の歪みを調整する滑車として、あるいは深奥な教理を理解するための比喩として、堂々と物語の形式に落とし込んだ。
袋の中に閉じ込められた法師の滑稽な姿や、火鉢で身体を温める稚児の真面目な準備の光景は、単なる好色画の枠を遥かに超えている。三つの絵巻が現代に残したものは、愛欲という普遍的な主題を前にしたとき、中世の日本人が示してみせた思考のしなやかさと、物語を紡ぐ精密な技法そのものであったと言える。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 稚児之草紙 - TGな日々hatopian.web.fc2.com
- 稚児草紙(ちごぞうし)とは? 意味や使い方 - コトバンクkotobank.jp
- 人のすがた・愛のかたち-最古の春画「稚児草紙」初公開- | 見どころ・チケット・口コミ | アイエム[インターネットミュージアム]museum.or.jp
- 稚児之草紙のひみつ その1 | やまちゃん1のブログameblo.jp
- 小柴垣草紙 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 小柴垣草紙(こしばがきそうし)とは? 意味や使い方 - コトバンクkotobank.jp
- 小柴垣草紙(コシバガキソウシ)の読み方や作者 わかりやすく解説 Weblio辞書weblio.jp
- 袋法師絵詞 - Wikipediaja.wikipedia.org