2026/6/10
長良川の鮎文化を支える川原町泉屋の歴史と革新

岐阜の川原町泉屋について教えてほしい。鮎で有名。
キュリオす
岐阜の川原町泉屋は、長良川の鮎文化の中心地として150年以上続く老舗。友釣りで獲られた天然鮎へのこだわりと、伝統的な熟れ鮨を現代風にアレンジした革新的な料理で、鮎の魅力を多角的に伝えている。
岐阜市、長良川のほとりに広がる川原町は、格子戸が連なる古い家並みが特徴的な一角である。夏の夕暮れ時、川面には鵜飼の篝火が揺らぎ、どこからか鮎を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。この町並みに溶け込むように佇む「川原町泉屋」は、長良川の鮎文化を語る上で欠かせない存在だ。鮎で有名という漠然とした知識はあっても、なぜこの地で、この店がこれほどまでに鮎と向き合い続けてきたのか。その問いは、長良川の清流が育んだ歴史と、鮎という魚が持つ特性、そしてそれを最大限に引き出す人々の知恵に触れることで、ようやく輪郭を現す。
岐阜県と鮎の関わりは、およそ1300年以上前に遡る。奈良時代から平安時代にかけて、既に長良川での鮎漁が行われていた記録が残されており、長良川は古くから鮎の生育に最適な環境を備えていた。特に有名なのが、水鳥の鵜を操って鮎を捕獲する「鵜飼」の伝統漁法である。長良川の鵜飼は、古墳時代には既に行われていたという説もあり、7世紀頃には現在の形に近い漁が行われていたとされる。織田信長や徳川家康といった時の権力者たちにも保護され、明治時代には鵜匠が宮内省(現在の宮内庁)の公式な役職「宮内庁式部職鵜匠」として任命されるに至った。現在も6名の鵜匠がその技を継承し、年間8回の「御料鵜飼」で獲れた鮎は皇室に献上されている。
川原町泉屋は、このような鮎文化の中心地である長良川のほとりで、明治2年(1869年)に創業した老舗だ。 当時、川原町は長良川の船運の湊として栄え、問屋町として発展していたという。 泉屋は、150年以上にわたり長良川の鮎と深く向き合い、その美味しさを現代に伝え続けてきた。「岐阜の鮎の生き字引」とも評されるその存在は、この地の鮎の歴史そのものと言えるだろう。
川原町泉屋の鮎料理の根幹にあるのは、清流で育った天然鮎へのこだわりである。岐阜県内の長良川、和良川、馬瀬川といった清流で育つ天然鮎は、毎年開催される「清流めぐり利き鮎会」でグランプリを何度も獲得しており、その品質は全国的に高く評価されている。 泉屋では、こうした天然鮎の中でも、縄張りを持つ鮎の習性を利用して活きた鮎を釣り上げる「友釣り」で獲られたものに重きを置く。鮎は川底の石に付着する珪藻類を食べることで、独特の香りを身につける。その香りは「香魚」と称され、新鮮なものからはスイカやキュウリのような爽やかな香りがすると言われている。
泉屋が提供する鮎料理は、塩焼きに留まらない。その特徴の一つが、古くから伝わる「鮎の熟れ鮨(なれずし)」とその応用だ。熟れ鮨は、魚を飯とともに熟成・発酵させる保存食であり、東南アジアを起源とし、日本でも平安時代から存在が確認されている。長良川の鮎の熟れ鮨は、塩漬けにした鮎の腹にご飯を詰めて発酵させる独特の製法が特徴で、香りの良い鮎と発酵したご飯が織りなす酸味が珍味として知られていた。 かつて源頼朝や織田信長もこの味を愛したという逸話が残るほどだ。
しかし、熟成期間の長い熟れ鮨は独特の風味があり、好き嫌いが分かれる側面もあった。そこで泉屋の5代目、泉善七氏は、この伝統的な熟れ鮨から得られる発酵の旨味に着目する。熟成したご飯が持つ旨味成分を調味料として活用したり、鮎の熟れ鮨をベースにしたリエットやピザなど、現代の味覚にも合う新たな鮎料理を開発してきた。 これは、伝統を守りながらも、鮎という素材の可能性を追求する泉屋の革新的な姿勢を示している。
鮎を食する文化は日本各地に存在するが、岐阜の長良川における鮎文化は、その歴史の深さと多様性において特異な位置を占める。例えば、熊本県の球磨川流域では、産卵のために川を下る「落ち鮎」を炭火で焼いた「焼鮎」を冬の保存食とし、それを甘辛いタレでじっくり煮込んだ「焼鮎の甘露煮」が郷土料理として親しまれている。 また、愛知県の矢作川流域でも、時間をかけて煮込む本格的な鮎の甘露煮の製法が伝えられている。 これらの地域では、保存食としての鮎の加工技術が発達した点が共通している。
しかし、長良川の鮎は、単なる食としての価値に留まらない。宮内庁式部職による鵜飼という、全国で唯一の皇室との結びつきを持つ伝統漁法が今も継承されている点は、他地域の鮎文化には見られない特徴である。 さらに、鮎の塩焼きや甘露煮といった一般的な料理に加え、長良川流域では古くから鮎を米とともに発酵させる「熟れ鮨」が独自の食文化として根付いてきた。 この熟れ鮨が持つ独特の風味と、それを現代の食に繋げる泉屋のような店の存在は、岐阜の鮎文化の奥行きを示している。他地域の鮎が主に塩焼きや甘露煮でその魅力を発揮するのに対し、長良川の鮎は、清流の恵み、歴史的な漁法、そして発酵という技術を介して、より多角的な形で人々の暮らしに深く関わってきたと言えるだろう。
現在の川原町は、長良川鵜飼の観覧船乗り場に近い立地から、観光客が多く訪れるエリアとなっている。格子戸の古い町家が並ぶ風情ある町並みは保存され、中には町家や蔵を改装したカフェや雑貨店、イタリアンレストランなども点在し、新旧が入り混じる独特の景観を呈している。 鮎の塩焼きや鮎菓子といった岐阜ならではの土産物も多く、鵜飼観覧前後の散策ルートとしても人気だ。
川原町泉屋もまた、この歴史ある町並みの中で、鮎料理専門店として営業を続けている。鵜飼開催期間中(5月11日〜10月15日)は特に賑わいを見せ、鮎のフルコースのほか、鵜飼観覧船に持ち込める「鮎弁当」や「焼き鮎の笹巻寿し」なども提供している。 5代目店主の泉善七氏は、「岐阜の鮎は世界一」という信念のもと、全国の鮎を食べ歩き、鮎の生態や調理法を研究し尽くしてきたという。 その探求心は、伝統的な塩焼きの技術を深めるだけでなく、鮎の熟れ鮨から発酵の可能性を見出し、新たな鮎料理を創造する原動力となっている。
長良川の鮎文化は、2015年には「清流長良川の鮎」として世界農業遺産に認定された。これは、鮎と人々の生活、水環境、漁業資源が連携し、循環する「長良川システム」が高く評価された結果である。 泉屋のような店は、このシステムの中で、鮎という自然の恵みを食文化として昇華させ、次世代へと繋ぐ役割を担っていると言えるだろう。
岐阜の川原町泉屋が示す鮎料理の姿は、単に清流の恵みを享受するだけではない、その土地に根ざした人々の深い関わりを浮き彫りにする。一見するとシンプルな「鮎の塩焼き」の背景には、長良川の清らかな水質、そこに育つ珪藻類、そして鮎自身の生態という自然条件がある。しかし、それだけでは「世界一」と称される鮎の多様な食文化は生まれなかっただろう。
1300年を超える鵜飼の歴史が示すように、鮎は古くからこの地の暮らしに深く組み込まれてきた。そして、熟れ鮨という発酵食品への転換は、鮎という生命をいかに余すことなく、そして長く味わうかという知恵の結晶である。現代において、泉屋が熟れ鮨の可能性を広げ、新たな料理として再構築する試みは、伝統が固定されたものではなく、常に変化し、進化し続けるものであることを教えてくれる。鮎は、ただの川魚ではなく、長良川という特定の環境と、そこに生きる人々の営み、そして時代を超えて受け継がれる技術と探求心が織りなす、複合的な食文化の象徴なのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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