2026/6/4
三浦の「はばのり」、冬の磯で「幅を利かせる」縁起物の秘密

三浦で「はばのり」という海藻を見かけた。はばのりって何?いつが時期?他でも獲れる?
キュリオす
三浦半島で冬から春にかけて見られる海藻「はばのり」。江戸時代から正月料理の縁起物とされ、「幅を利かせる」という言葉に願いが込められてきた。波当たりの強い岩礁に育ち、厳冬期に採取されるその希少な恵みについて、生育環境や食文化、そして現代の課題を探る。
三浦半島の磯を歩くと、冬の終わりから春先にかけて、特定の岩肌に張り付くように広がる海藻に出会うことがある。その名も「はばのり」。見慣れない者にはただの黒っぽい海藻に過ぎないかもしれないが、地元の人々にとっては、その存在は特別なものだ。なぜこの海藻が、この土地でこれほどまでに重んじられてきたのか。そして、その「はば」がもたらす意味とは何だったのか、という疑問が湧く。
はばのりの歴史は、江戸時代にまで遡ると言われている。特に正月料理の膳を彩る縁起物として珍重されてきた経緯がある。その名の由来は「幅を利かせる」という言葉に通じ、食べることでその一年を健やかに、そして大きく飛躍できるようにという願いが込められてきたのだ。房総半島から三浦半島にかけての沿岸地域では、古くから新年に向けた特別な海藻として、漁村の人々が厳冬期の海に分け入り、手作業で採取してきた記録が残る。
江戸時代後期に書かれた地誌や風俗を記した書物には、はばのりが将軍家への献上品とされたり、富裕層の間で贈答品として扱われたりした記述も散見される。例えば、『新編相模国風土記稿』には、三浦半島各地で海藻が採取され、中でも「はばのり」は貴重な存在であったことが示唆されている。単なる食材に留まらず、社会的な地位や繁栄を願う象徴としての役割を担っていたことがわかる。採取されたはばのりは、丁寧に乾燥され、板状に整えられて保存された。この乾燥技術もまた、長きにわたり培われてきた地域の知恵である。
はばのり、学名では「ハバノリ(Petalonia binghamiae)」と呼ばれるこの海藻は、主に波当たりの強い岩礁域の潮間帯に生育する。その特徴は、扁平で幅広の葉状体を持つ点にある。色は緑褐色から黒褐色で、乾燥させるとさらに黒みを増す。三浦半島では、冬の最も冷え込む時期、特に12月から2月にかけてが採取の最盛期となる。この時期の海は荒れやすく、潮位が低くなる大潮の干潮時を狙って、熟練の漁師や海女が岩場に入り、一つ一つ手で摘み取るのだ。
採取されたはばのりは、まず真水で丁寧に洗い、砂や不純物を取り除く。その後、竹簀などに広げて天日干しにする。この乾燥工程が、はばのり独特の風味と香りを引き出す上で非常に重要だ。数日間かけてじっくりと乾燥させることで、保存性が高まり、板状の製品となる。完全に乾燥したはばのりは、軽く炙って細かく揉みほぐし、熱いご飯や雑煮、蕎麦などに散らして食されるのが一般的だ。磯の香りが強く、独特の苦味と旨味が特徴で、他の海藻にはない風味を持つ。この採取から加工までの一連の作業は、機械化が難しく、今も多くの部分で人の手と経験に依存している。
はばのりのように、特定の地域で古くから珍重され、独自の食文化を形成してきた海藻は他にも存在する。たとえば、東北地方の「あかもく」や、日本海側の「岩のり」などもその例だろう。あかもくは粘り気が強く、健康食材として近年注目を集めているが、かつては一部地域で味噌汁の具などに利用されてきた。岩のりは、その名の通り岩場に生える海苔で、風味の強さから高値で取引されることも珍しくない。これらは、はばのりと同様に、厳しい冬の海で採取され、天日干しなどの伝統的な手法で加工される点に共通性が見られる。
しかし、はばのりが特に「幅を利かせる」という言葉と結びつき、新年の縁起物としての意味合いを強く持つ点は、他の海藻とは異なる特性だ。これは、その生育環境が限定的であり、かつ採取時期が厳冬期に限られる希少性に加え、葉状体が大きく広がる形状が、言葉のイメージと結びつきやすかったためだろう。全国的に見れば、海藻といえば「のり」「こんぶ」「わかめ」が主流であり、これらは養殖技術も確立され、比較的安定供給されている。対してはばのりは、天然物への依存度が高く、その希少性が文化的な価値を一層高めてきた。三浦半島や房総半島以外にも、伊豆半島や紀伊半島の一部など、太平洋側の岩礁地帯で採取されるが、その量は決して多くない。地域ごとの気候や潮流、岩質といった微細な条件が、特定の海藻の生育に大きな影響を与えることが、こうした多様な「磯の恵み」を生み出している。
現在の三浦半島では、はばのりの採取量は減少傾向にあると言われている。海洋環境の変化、具体的には海水温の上昇や磯焼け現象などが、はばのりの生育に影響を与えている可能性が指摘されているのだ。また、採取者の高齢化と後継者不足も深刻な問題として横たわる。厳冬期の荒れた海での作業は重労働であり、若い世代が新たに参入することは容易ではない。そのため、市場に出回るはばのりの量は限られ、その希少性から高値で取引されることも珍しくない。特に、質の良い三浦産のはばのりは、正月前には贈答品として需要が高まるため、さらに手に入りにくくなる傾向にある。
しかし、こうした状況にあっても、はばのりを巡る食文化が途絶えることはない。地元の漁協や一部の漁師たちは、はばのりの生育環境の保全活動に取り組んだり、若い世代への採取技術の継承を試みたりしている。また、道の駅や直売所では、限られた量ではあるが乾燥はばのりが販売され、その風味を求める人々が訪れる。正月には、今も多くの家庭で雑煮や蕎麦にはばのりが添えられ、その年の「幅を利かせる」願いが込められているのだ。
三浦の磯で出会う「はばのり」は、単なる海藻ではない。それは、冬の厳しい海と向き合ってきた人々の暮らしと、未来への願いが結晶化した存在だ。その希少性や、採取の困難さ、そして「幅を利かせる」という言葉に込められた意味は、現代社会において忘れられがちな、見えない価値を再認識させる。多くの海藻が大量生産される中で、特定の時期、特定の場所でしか得られない恵みとして、はばのりはその存在感を保ち続けている。それは、地域の自然環境と、それによって育まれた文化が、いかに密接に結びついているかを示す一つの例なのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。