2026/5/29
長坂養蜂場はなぜ特別?三ヶ日みかん蜂蜜の秘密

長坂養蜂場について知りたい。やっぱりみかんの花が沢山あるからいいのか?
キュリオす
静岡県浜松市三ヶ日町に位置する長坂養蜂場。みかんの花が豊富な土地で、約90年にわたり養蜂を続ける同社の魅力に迫る。創業者の理念、土地の自然条件、品種構成、そして現代の経営努力が、特別な蜂蜜を生み出す背景にあった。
浜名湖のほとり、静岡県浜松市三ヶ日町。この地を訪れると、季節によっては甘く爽やかな香りに包まれることがある。その香りの源は、あたり一面に広がるみかん畑だ。長坂養蜂場は、この三ヶ日の地で1935年(昭和10年)に創業し、約90年にわたり養蜂を続けてきた老舗である。年間約45万人もの来場者が訪れる人気の場所として知られているが、その魅力は単に「みかん蜂蜜」という商品の存在に留まらない。 なぜ、この養蜂場がこれほど多くの人々を惹きつけ、その蜂蜜が特別なものとして認識されているのか。その背景には、三ヶ日という土地の自然条件、創業者の理念、そして現代に至るまでの経営努力が複雑に絡み合っている。
長坂養蜂場の歴史は、初代・長坂喜平が自身の病を蜂蜜で克服した経験に端を発する。身体が弱かった喜平は、父親が趣味で飼っていたミツバチの恵みである蜂蜜の滋養によって健康を取り戻したという。 この経験が、「多くの人々の健康を支えたい」という彼の強い思いにつながり、1935年に養蜂業を始める決意をさせた。 創業当初、喜平は蜂蜜を軒先で販売したり、一斗缶で問屋に卸したりしていたとされる。
当時の養蜂は、現代とは異なる困難を伴っていた。自動車輸送が困難な時代には、旧国鉄の貨物列車を利用し、初夏には青函連絡船で北海道へ渡る移動養蜂を行っていたという記録も残る。 これは、季節の蜜源を求めて全国を移動する、まさに「旅する養蜂」の姿である。初代の時代には、田畑の有機肥料としてレンゲ畑が豊富に存在し、4月には磐田のレンゲ畑、5月には三ヶ日のみかん畑と、花の移り変わりに合わせて採蜜が行われていた。 これらの蜜を「ミレ」と呼び、自然にブレンドされた「長坂の蜂蜜」として販売していたという。
二代目・長坂光男の時代になると、農業の変化に伴いレンゲ畑が激減し、レンゲ蜂蜜は希少なものとなった。 そこで光男は、新たな蜜源を求めて中国大陸に渡り、アカシアの原生林で日本式の養蜂と品質管理による採蜜を始めた。 こうして「国産三ヶ日みかん蜂蜜」とブレンドした「二代目の蜂蜜」が開発され、長坂養蜂場の人気商品の一つとなったのである。 このように、長坂養蜂場の歴史は、自然環境の変化に適応し、新たな挑戦を重ねることで、高品質な蜂蜜を追求してきた道のりであると言える。
長坂養蜂場の代名詞ともいえる「三ヶ日みかん蜂蜜」が生まれる背景には、三ヶ日町特有の環境と、養蜂家の緻密な作業がある。まず、三ヶ日町が日本有数のみかん産地であることはよく知られている。 温暖な気候、南斜面の丘陵地、そして石灰質の土壌が、みかん栽培に適しているのだ。 この温暖な気候は、寒さに弱いミツバチにとっても最適な環境を提供している。
しかし、みかん産地であればどこでも質の高い単花蜜が採れるわけではない。三ヶ日町の特徴は、栽培されるみかんの品種構成にある。一般的なみかん産地では、温州みかんだけでなく、デコポンやはるみなど多様な品種が栽培されることが多い。 しかし三ヶ日では、土地に適した「青島温州」という品種が全体の6割から7割を占めている。 柑橘類は品種によって開花時期が重なることが多く、もし多様な品種が混在していれば、異なる花蜜が混ざり合い、純度の高い「三ヶ日みかん蜂蜜」を得ることは難しくなる。三ヶ日町における青島温州の集中栽培は、単一品種の花蜜を効率的に集める上で有利に作用していると言えるだろう。
みかんの花が咲くのは、毎年5月のわずか10日間ほどの期間に限られる。 この短い期間に、ミツバチたちは半径約2km圏内を飛び回り、花蜜を集める。 養蜂家たちは、ミツバチの状態や花の開花状況を細やかに見極め、最適なタイミングで採蜜を行う。 早朝4時過ぎから昼近くまで続く採蜜作業は、ミツバチが運んできた大切な蜜を丁寧に商品へと仕上げるための手間と時間を要する。 このように、三ヶ日みかん蜂蜜は、単にみかんの花が多いから良いという単純な理由だけでなく、三ヶ日町の気候風土、みかんの品種構成、そして養蜂家の経験と技術が結びつくことで初めて成立する産物なのである。
養蜂には、年間を通じて特定の場所でミツバチを飼育する「定置養蜂」と、蜜源を求めて巣箱を移動させる「移動養蜂」がある。長坂養蜂場も、創業当初はレンゲやみかんの花を追いかけて移動養蜂を行っていたという。 日本の養蜂業全体で見ると、かつては移動養蜂が盛んであったが、蜜源植物の減少や養蜂家の高齢化などにより、その形態も変化しつつある。
国産蜂蜜は、その希少性から近年再評価されているものの、国内の蜂蜜自給率は約6〜7%程度と低い水準にある。 その大部分は中国やアルゼンチン、カナダなどからの輸入品で占められているのが現状だ。 安価な輸入品との価格競争や、後継者不足、気候変動による蜜源植物の減少、農薬の使用によるミツバチへの影響など、日本の養蜂業は多くの課題に直面している。
例えば、国産みかん蜂蜜を扱う養蜂場は長坂養蜂場以外にも存在する。浜松市内には、みかん山の傍らに養蜂場を設け、ミツバチに配慮した栽培を行う農家もある。 また、同じ静岡県浜松市内で純粋はちみつやブルーベリーを生産する内山養蜂場のように、非加熱または低温加熱にこだわり、蜜源植物の確保にも取り組む例もある。 これらの養蜂場は、それぞれが独自の環境や手法で高品質な蜂蜜を生産しているが、共通して蜜源植物の確保とミツバチの保護が重要な課題となっている。長坂養蜂場が「三ヶ日みかん蜂蜜」という単花蜜に特化し、それを主力商品として確立できたのは、三ヶ日という地域の特殊なみかん栽培環境と、長年の経験に裏打ちされた養蜂技術があってこそだろう。
長坂養蜂場は、創業から約90年を経た現在も、多くの人々を惹きつけている。2001年には三ヶ日の商店街から浜名湖畔沿いに店舗を移転リニューアルし、年間約45万人もの観光客が訪れる施設へと成長した。 店内では、三ヶ日みかん蜂蜜をはじめとする数十種類の純粋はちみつや加工食品が並び、試食も可能だ。 特に人気を集めるのが、蜂蜜を練り込んだソフトクリームに「追いはちみつ」をしてくれる「はちみつソフトクリーム」で、一日で最大2,000個を売り上げた実績もあるという。
三代目社長の長坂善人は、2013年の就任以降、「ぬくもりある会社をつくりましょう」という経営理念を掲げている。 従業員を大切にする「大家族主義経営」のもと、社内風土の向上に取り組むだけでなく、月に2回「ぬくもりの日」と称して、通常業務を止めて地域清掃や理念についての対話、部署を超えた改善活動などを行っている。 これは、目先の売上だけでなく、会社のあり方やチームワークを見つめ直す時間を確保することで、理念の浸透を図る試みである。
また、地域貢献にも積極的だ。天竜浜名湖鉄道との連携により、長坂養蜂場のキャラクター「ぶんぶん」と「るんるん」が施されたラッピング列車「ぶんぶん号」を運行している。 この列車は、ミツバチや蜂蜜について学べる食育列車として、子どもから大人まで楽しめる工夫が凝らされている。 最寄りの奥浜名湖駅の副駅名を「ぶんぶんに出会えるまち」とするなど、地域全体で養蜂文化を盛り上げようとする姿勢が見て取れる。
長坂養蜂場を巡る問い、「やっぱりみかんの花が沢山あるからいいのか?」という素朴な疑問は、その背景にある複雑な要素を紐解くことで、より多層的な理解へと導かれる。確かに、三ヶ日地域に広がるみかん畑は、長坂養蜂場の象徴である「三ヶ日みかん蜂蜜」の重要な蜜源である。 温暖な気候と、青島温州という特定品種の集中栽培が、純度の高い単花蜜を安定して生産できる土台を築いていることは間違いない。
しかし、それだけで長坂養蜂場の「特別さ」が語り尽くされるわけではない。創業者の病からの回復という個人的な経験が、養蜂業という事業へと昇華された志、そして時代とともに変化する蜜源環境に対応し、新たなブレンド蜂蜜を開発してきた二代目の挑戦。さらに、現代において「ぬくもり」を軸とした経営理念を掲げ、地域との共生を図りながら、来店客に楽しんでもらうための体験を創出している三代目の取り組みがある。
長坂養蜂場が多くの人々を惹きつけるのは、単に「美味しいみかん蜂蜜」があるからだけではない。それは、三ヶ日という土地の自然が育む恵みを、養蜂家が長年にわたる経験と技術で引き出し、さらにそれを現代の顧客のニーズに応える形で提供し続ける、その一連の「営み」そのものにあるのだろう。みかんの花が咲き誇る短い期間に集められた蜜は、単なる甘味料ではなく、土地の風土と人々の努力が結晶化したものとして、その価値を放っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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