2026年5月17日
青森の羊肉文化は「源たれ」が育んだ?国の政策と風土の歴史
青森県で羊肉を食べる文化が根付いた背景には、明治以降の国の羊毛生産政策と、階上町などの冷涼な気候が羊の飼育に適していた地理的条件がある。さらに、地元特産の「源たれ」が羊肉の消費を後押しし、地域固有の食文化として定着した歴史を解説する。
羊との出会い、そして国策へ
日本における羊の歴史は古い。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に百済からラクダやロバと共に羊2頭が献上された記録がある。しかし、これは儀礼的な贈答品であり、高温多湿な日本の気候や仏教による肉食忌避の文化も相まって、家畜としての羊が広く定着することはなかった。
明治時代に入り、西洋文化の流入とともに毛織物の需要が増大すると、政府は国内での羊毛生産に力を入れ始める。 第一次世界大戦が勃発し、羊毛の輸入が途絶えると、その動きは加速した。大正7年(1918年)、農商務省は軍服や毛布の自給を目的とした「緬羊百万頭計画」を打ち出す。この計画に基づき、全国5カ所に種羊場が開設され、北海道の滝川や札幌月寒もその一つだった。 当初は羊毛生産が主眼であったが、この過程で羊肉の利用法についても研究が始まったという。
冷涼な土地が育んだ食文化
青森県における羊の飼育も、この国策と無縁ではない。太平洋側、岩手県との県境に位置する階上町は、「やませ」と呼ばれる冷涼な偏東風が吹き、冬は日照量が多く乾燥するという独特の気候条件を持つ。 この気候は、涼しく乾燥した環境を好む羊の飼育に適していた。かつて階上町では約50年前から食用羊の飼育が行われ、10軒ほどの農家が羊を飼っていた時期もあったという。
羊毛を目的とした飼育が始まると、当然ながらその肉も地域で消費されるようになった。特に羊毛としての価値が低下した戦後、肉としての利用が注目されるようになる。青森県十和田市の上北農産加工農業協同組合は、元々「藤坂綿羊組合」として羊毛を生産していたが、戦後の羊毛産業衰退期に醤油工場を買収。地元住民から、癖のある羊肉を美味しく食べるためのタレを求める声に応え、1965年に「スタミナ源たれ」を開発した。 このタレが地元の羊肉消費を後押しし、青森県民にとって欠かせない万能調味料として定着した事実は、当地に羊肉を食べる習慣が根付いていたことの証左とも言えるだろう。階上町では、かつて羊肉を使った「すき焼き」も食べられていたという記録もある。
北の地、それぞれの羊肉文化
日本において羊肉を食べる文化が定着した地域として、青森県と同様に北海道や岩手県遠野市が挙げられる。これらの地域に共通するのは、明治から昭和初期にかけての国策としての緬羊飼育が背景にある点だ。
北海道では、大正時代に羊肉が食べられ始め、特に昭和20年代後半からジンギスカンが広まった。滝川種羊場長であった山田喜平夫妻が羊肉料理の普及に尽力し、約30種類の調理法を紹介した記録も残る。 札幌では1956年にベル食品が「成吉思汗たれ」を発売し、家庭料理としての普及を加速させた。
一方、岩手県遠野市もまた、古くから羊肉を食べる習慣があり、農家で羊毛生産のために羊を飼育していた歴史がある。 遠野では、戦時中に満州で羊肉料理を知った人物が帰郷後に精肉店兼食堂を開業したことがきっかけとなり、昭和22年頃からジンギスカンが普及したとされている。 遠野独自の文化として、ブリキのバケツに固形燃料を入れてジンギスカン鍋を熱する「バケツジンギスカン」が生まれたのも特徴である。
青森、北海道、遠野のいずれも、羊毛生産という国の政策が、結果としてそれぞれの地域に羊肉を食べる文化をもたらしたという点で共通する。ただし、北海道が羊肉をタレに漬け込む「味付けジンギスカン」と、焼いてからタレにつけるスタイルがあるのに対し、遠野では焼いた肉をタレにつける食べ方が基本にあるなど、地域ごとに独自の発展を遂げている。 青森の「源たれ」もまた、地域で育まれた羊肉の風味に合わせた独自の味覚を確立した例と言えるだろう。
「南部羊」が紡ぐ現在
かつて階上町で盛んだった羊の飼育は、輸入羊毛の増加や化学繊維の普及などにより、昭和後期には大きく衰退した。 一時は最後の1軒にまで減少したものの、現在では「南部羊プロジェクト」として、食用のサフォーク種を復活させる取り組みが進められている。
このプロジェクトは、東京でイタリアンシェフをしていた関口博樹氏が、階上町に移住し、絶滅の危機にあった「南部羊」の飼育を引き継いだことから始まった。 冷涼な気候が羊にとって理想的であるという地の利を活かし、現在約50頭のサフォーク種が飼育されている。 国内で流通する国産羊肉が全体の1%未満である現状において、この取り組みは地域固有の食文化を守るだけでなく、希少な国産羊肉の供給源としても注目されている。 青森県内の牧場では、乳牛や馬と共に羊を飼育している例も今なお見られる。
羊が示す土地の記憶
青森において羊を食べる文化が早くからあったのは、「育てていたから」という直接的な理由だけでは説明しきれない。明治以降の国策として羊毛生産が奨励され、そのための種羊場や農家への普及が進んだことが、羊肉が地域で利用される下地を作った。さらに、階上町のような冷涼な気候が羊の飼育に適していたという地理的条件が重なった。
そして、羊肉特有の風味を地元の食材を活かした「源たれ」で美味しく食べる工夫が凝らされたように、与えられた環境の中で人々が食文化を育んでいった歴史がある。羊肉文化は、単なる食糧確保の手段に留まらず、国の産業政策、地域の風土、そして人々の創意工夫が結びついた結果として、青森の地に深く刻まれているのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。