2026年5月20日
広島の内陸部、三次・安芸高田・庄原・北広島・東広島には何がある?
広島の内陸部は、山々と川が刻んだ歴史、霧や雪といった気候、そして神楽や酒造りといった独自の文化を育んできた。沿岸部とは異なる、山と水との共生がもたらす多様な顔を紹介する。
山々と川が刻んだ歴史の層
広島の内陸部は、その地形と水系によって古くから独自の発展を遂げてきた。県北部に位置する三次市は、中国地方のほぼ中央に位置し、旧石器時代の約2万年前まで遡る人々の足跡が見つかっている。下本谷遺跡からは日本列島最古級とされる石器が出土し、この地が早くから人々の営みの舞台であったことを物語る。また、市内には広島県内の古墳の約3分の1にあたる4000基以上の古墳が確認されており、弥生時代には四隅突出型墳丘墓が築かれるなど、古代から文化の中心地であったことがわかるだろう。 中世には、安芸高田市が戦国武将・毛利元就の本拠地となり、郡山城を中心に中国地方の覇権を争う拠点となった。 広島県北西部の北広島町もまた、吉川氏ゆかりの地として戦国時代の足跡を色濃く残している。 江戸時代に入ると、三次市は江の川水系を利用した舟運で山陰と山陽を結ぶ交通の要衝として栄えた。 広島藩の分藩として三次藩が置かれ、初代藩主の浅野長治は川を天然の堀に見立てた城下町を整備し、麻、紙、綿、漆、鉄などの殖産興業を奨励したという。 三次町には、県北で唯一の町奉行所や、両替を行う御札場が置かれ、石見銀山で産出された銀が尾道へ運ばれる中継地としても重要な役割を担った。 また、東広島市の西条地区は、古くから「安芸国最大の穀倉地帯」として知られ、豊かな米の産出を背景に酒造りが発展していった。
霧と雪、そして神楽が織りなす文化
内陸部の気候は、沿岸部とは大きく異なる。三次盆地では晩秋から早春にかけて濃い霧が発生し、「霧の海」と呼ばれる幻想的な風景を見せる。 一方、庄原市高野や北広島町八幡など、中国山地に連なる北部地域は、冬季には3メートルから6メートル近くの積雪がある豪雪地帯となる。 この厳しい自然環境が、独自の文化と産業を育んできた。 北広島町と安芸高田市を中心とする芸北地域では、「神楽」が盛んである。特に北広島町には約70もの神楽団が存在し、神楽は住民にとって身近な伝統芸能として大切に受け継がれているのだ。 また、北広島町にはユネスコ無形文化遺産に登録された「壬生の花田植」があり、中世から続く田園絵巻が今も再現されている。 三次市では、夏の風物詩として江の川での「鵜飼」が行われる。 産業面では、東広島市の西条地区が「吟醸酒発祥の地」として知られ、酒蔵通りには歴史ある酒蔵が軒を連ねる。 三次市は、ピオーネなどの果物や日本酒の産地として知られ、庄原市では「比婆牛」というブランド和牛や米、野菜の生産が盛んだ。 かつては三次市や北広島町で「たたら製鉄」が営まれ、山地の砂鉄と木炭を燃料に鉄が作られていた歴史も、この地の風土と深く結びついている。
