2026年5月19日
與止日女神社の白玉饅頭、千数百年の伝承と米粉の秘密
佐賀市大和町、嘉瀬川沿いの與止日女神社脇で味わえる白玉饅頭。その起源は神功皇后の妹である與止日女命の伝承にあり、明治時代に地域の名物として商品化された。地元産米の自家製粉と「二度蒸し二度捏ね」の製法が、もちもちとした食感と餡の甘さを引き立てる。
嘉瀬川のほとり、白き玉に宿る願い
佐賀市大和町、嘉瀬川の流れが織りなす川上峡は、「九州の嵐山」とも呼ばれる景勝地だ。その一角に鎮座する與止日女神社は、古くからこの地の信仰を集めてきた。神社の脇を通りかかる時、ふわりと漂う甘い香りに誘われ、素朴な白い饅頭を手に取る。それが「白玉饅頭」である。口にすれば、もちもちとした生地の中から、優しい甘さのこし餡が広がる。この一見シンプルな菓子には、千数百年の歴史を持つ神社の由緒と、この土地ならではの物語が込められているのだ。
與止日女の伝承と菓子の名
白玉饅頭の起源は、與止日女神社にまつわる伝承に深く根ざしている。神社の主祭神である與止日女命は、神功皇后の妹、あるいは竜宮城の乙姫様である豊玉姫命と同一視される、水神であり子宝の神としても崇敬されてきた神だ。欽明天皇25年(564年)に創建されたとされるこの神社は、平安時代には肥前国一宮とされ、朝廷や武門からの篤い尊信を受けてきた。
伝承によれば、與止日女命が川上神社(與止日女神社の別称)に参られた際、献上された雛菓子を目にして「かくの如く、色あくまでも白く、きめ細やかにして、玉のごとき子供のほしまくも」と願われたという。この言葉が菓子の名となり、「白玉饅頭」と呼ばれるようになったと伝えられている。 この伝承が具体的な菓子の商品化に結びつくのは、明治時代に入ってからである。明治15年(1882年)、佐賀市で材木業を営んでいた初代・吉村清兵衛が、避暑地として賑わっていた川上峡の名物として、この「白玉饅頭」を売り出したのが始まりとされる。 清兵衛は、400年前から地元でお祭りやお祝い事用に作られていた饅頭に着目し、これを商品化したのだ。
二度蒸し二度捏ねる、米と水の味
白玉饅頭の美味しさは、そのシンプルな素材と手間を惜しまない製法に由来する。基本的な材料は、佐賀県産のうるち米、水、小豆、砂糖と極めて簡素である。一般的な白玉粉ではなく、地元で契約栽培された米を自家精米し、石臼で粉にする。 この米粉に熱湯を加えてこね、一度蒸し上げた後、再び機械で強く捏ねる。さらに小豆餡を包み、再び蒸し上げるという「二回蒸して、二回捏ねる」工程が特徴だ。
この二度の蒸しと捏ねによって、生地はただ柔らかいだけでなく、歯切れが良く、独特のコシが生まれる。外側の生地にはほとんど味がついていないため、北海道産小豆を使ったこし餡の、上品でさらりとした甘さが際立つ。 保存料や添加物を一切使わない生菓子であるため、賞味期限は当日中と短い。この日持ちの短さが、作りたての鮮度と、職人の手仕事によって生まれる素朴な味わいを何よりも大切にする姿勢を示していると言えるだろう。
