2026/5/28
熱海の走り湯、地球の鼓動を感じる横穴式源泉の秘密

熱海の走り湯について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
熱海・伊豆山地区に湧き出る日本三大古泉「走り湯」。約70℃の高温湯が毎分170リットル噴出する様は、蒸気ではなく熱湯が原因。1300年前の発見から現代まで、その特異な横穴式源泉の成り立ちと歴史を辿る。
熱海の伊豆山地区、海岸沿いの崖に開いた洞窟の奥から、今も途絶えることなく湯が湧き出している。これが日本三大古泉の一つに数えられる「走り湯」である。洞窟の入り口に立つと、まず感じるのはその熱気だ。内部はまるで天然のサウナのような状態で、視界はたちまち湯気で白くかすむ。奥へと進むにつれて、湯が噴き出す「ゴボゴボ」という音が耳に届き、まさに地球の息吹を間近に感じさせる。
この場所が「蒸気だけなのか」という疑問に対しては、明確な答えがある。走り湯は、約70℃の高温の湯が毎分およそ170リットルもの勢いで湧き出している源泉だ。その熱湯が空気と触れることで大量の蒸気を発生させているのであり、蒸気のみが吹き出しているわけではない。洞窟の最奥部では、実際に湯が噴き出す様子を間近に見ることができる。その迫力は、ただの湯気とは異なる、地面から直接湧き上がる生命力のようなものを感じさせるだろう。
走り湯の歴史は古く、約1300年前に発見されたと伝えられている。養老年間(717~724年)に修験道の行者である役小角(えんのおづぬ)が発見したという伝承が残されている。伊豆大島に流されていた役小角が、伊豆の山に五色の雲が立ち上るのを見てこの地を訪れ、走り湯を見出したとされているのだ。
この湯は古くから信仰の対象とされ、伊豆山神社の神湯として崇められてきた。伊豆山神社は、走り湯の源泉を守護する走湯(そうとう)神社を境外摂社として持ち、その信仰の深さを示している。また、「伊豆」という国名が走り湯の「湯出(ゆづる)」に由来するという説も存在し、この温泉がこの地の歴史と文化にいかに深く根ざしていたかを物語っている。
平安時代には修験道の修練場として利用され、一般の人々が近づくことは困難であったという。鎌倉時代末期になってようやく入浴が許されるようになったとされる。源頼朝や北条政子、源実朝といった武将たちもこの地を訪れ、湯に癒されたと伝えられている。源実朝は「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と歌に詠み、走り湯が「神の験(しるし)」、すなわち神の奇跡として認識されていたことを示している。戦国時代には豊臣秀吉による小田原征伐で伊豆山が荒廃するが、江戸時代には大名や文化人、千利休や古田織部などもこの湯を訪れた記録が残る。江戸城築城の際には、石を運ぶ作業員の負傷治療にも活用されたという。
走り湯が特徴的なのは、その「横穴式源泉」という形態である。通常、温泉は地表から垂直に掘り下げられたり、あるいは間欠的に噴出する「間欠泉」として知られていることが多い。しかし、走り湯は海岸沿いの岩盤の横穴から直接、熱湯が湧き出している。この珍しい現象は、伊豆半島の複雑な地質構造に起因すると考えられる。
伊豆半島は、フィリピン海プレートに乗って本州に衝突し、その際に激しい地殻変動を受けて形成された地域である。走り湯がある伊豆山地区は、約40万年~25万年前に噴火した湯河原火山の山麓に位置する。火山活動によって地下深くにマグマの熱源が存在し、そこから地熱によって温められた地下水が、断層や岩盤の亀裂を通じて地表へと上昇してくる。
走り湯の横穴式源泉という構造は、海食によって形成された洞窟と、地中の水脈が偶然にも結合した結果と推測される。地下水が地熱で温められ、圧力が上昇すると、その水は最も抵抗の少ない経路を選んで噴出する。伊豆山の地層は、過去の火山活動や地殻変動によって複雑な褶曲や断層を形成しており、それが横方向への水の流れを可能にしているのだろう。伊豆山神社の信仰では、走り湯の源泉は「赤白二龍」という火と水の龍神が地下で温泉を湧かしていると伝えられるが、これはまさにこの地の地質学的活動を象徴するような伝承である。地下深くで熱せられた水が、地中の複雑な構造を「走り」抜け、海岸の横穴から噴き出す。その姿は、まさに大地の自然なポンプ作用が可視化されたものと言える。
温泉が地中から湧き出す様は、地域や地質条件によって多様な姿を見せる。走り湯は「日本三大古泉」の一つとして知られるが、他の二つ、愛媛県の道後温泉、兵庫県の有馬温泉と比べると、その泉源の様相は大きく異なる。道後温泉は、日本最古の温泉とも言われ、その中心には歴史ある共同浴場「道後温泉本館」があり、湯の利用と文化の蓄積が特徴的だ。有馬温泉は、金泉と呼ばれる赤褐色の濁り湯と、銀泉と呼ばれる透明な湯を持ち、その泉質の多様性が際立つ。これらが湯を享受する文化と結びついているのに対し、走り湯は、入浴施設としてではなく、あくまで「源泉そのもの」を見学するスポットとしての側面が強い。
また、熱海市内には、かつて間欠的に熱湯を噴き上げていた「大湯間歇泉」がある。これは一定の間隔で勢いよく湯が噴き上がる、いわゆる「間欠泉」の典型例だ。さらに伊豆半島には、峰温泉大噴湯(静岡県河津町)のように、人工的に掘削した源泉から垂直に湯を噴き上げさせることで観光資源としている例もある。これらの間欠泉や噴湯が、そのダイナミックな「噴き上げ」を特徴とするのに対し、走り湯は洞窟の奥から横へと流れ出す「横穴式」である点が決定的に異なる。
こうした比較から見えてくるのは、走り湯が持つ原始性である。人工的な制御や大規模な施設を伴わず、自然の地形(横穴の洞窟)と地熱の力が直接結びついて湯を湧出させている。この「ありのまま」の姿こそが、1300年もの長きにわたり人々の信仰と関心を集めてきた理由なのであろう。他の古泉が利用の歴史を重ねる中で変化してきた部分があるのに対し、走り湯は地質学的な特性をそのままに、今日までその姿を維持してきたと言える。
現在の走り湯は、熱海を訪れる人々がその神秘的な光景を間近で見学できる場所となっている。洞窟の奥行きは約5メートルで、内部には約70℃の源泉が毎分170リットル湧き出している。洞窟内は高温の蒸気に満たされ、視界が遮られることもあるため、足元に注意が必要だ。入浴施設ではないため、直接湯に浸かることはできないが、その熱気と湯の湧き出る音は、地球の鼓動を肌で感じるような体験をもたらす。
走り湯のすぐ近くには、源泉を利用した無料の足湯施設が設けられている(ただし、時期によっては利用できない場合もあるため、事前の確認が望ましい)。ここからは相模湾の美しい眺望も楽しめ、歩き疲れた足を癒すことができるだろう。また、走り湯の目の前にある「うみのホテル中田屋」には、走り湯の歴史に触れられる資料館が併設されており、温泉卵「走り湯御玉」も販売されている。
走り湯から続く837段の石段を登ると、縁結びの神様として知られる伊豆山神社へと至る。かつて修験者たちが修行を積んだ霊場であり、走り湯と伊豆山神社は、この地の歴史と信仰を今に伝える重要な場所として一体的に捉えられている。駐車場は限られているか、周辺にはないため、公共交通機関の利用が推奨される。現代においても、走り湯は観光客にとって、その原始的な力と歴史の深さを体験できる稀有な存在であり続けている。
熱海の走り湯を巡る旅は、単なる観光地の見学に留まらない。そこには、地球の活動が凝縮されたような、力強くも静謐な光景が広がっている。洞窟の奥から噴き出す湯と、それに伴う濃密な蒸気は、地底の熱が地上へと解放される瞬間を目の当たりにさせる。この現象は、日本列島が火山活動によって形作られ、その恩恵としての温泉文化が育まれてきた経緯を、具体的な形で示している。
走り湯の「横穴式源泉」という特異な形態は、温泉が地質構造と不可分であることを改めて認識させる。垂直に掘り下げられた源泉や、間欠的に噴き上がる間欠泉とは異なり、自然に形成された洞窟と地下水脈の偶然の出会いが、この唯一無二の湧出様式を生み出した。それはまるで、地球が自らの熱い息吹を、特定の場所、特定の形で吐き出しているかのようである。
そして、この原始的な湯が、1300年もの長きにわたり人々の信仰を集め、歴史上の人物たちが訪れたという事実。それは、人間が自然の持つ圧倒的な力に対し、畏敬の念を抱き、時にそれを神聖なものとして崇めてきた普遍的な営みを映し出している。走り湯は、現代の私たちに、地下深くからの呼び声を通して、大地との根源的なつながりを再確認させる場所だ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。