2026/5/28
熱海桜はいつから咲く?河津桜との違いは?

熱海桜について教えて欲しい。在来種なのか?河津桜と違うのか?
キュリオす
熱海で1月頃から咲く「あたみ桜」は、明治時代にイタリアから持ち込まれた桜がルーツ。寒緋桜と山桜の交雑種で、河津桜とは親や開花時期、花の色合いが異なる。熱海の早春を彩る。
熱海の街に足を踏み入れたとき、まだ冬の寒さが残る時期にもかかわらず、すでに桜が咲いていることに気づく。それは一般的なソメイヨシノとは明らかに異なる、淡いピンク色の花々が、冷たい空気の中で静かに開いている光景だ。この早咲きの桜は「あたみ桜」と呼ばれているが、なぜこの熱海という土地でこれほど早く桜が咲くのか。そして、伊豆半島に多く見られる早咲きの桜、例えば河津桜とは一体何が違うのだろうか。その疑問は、この花が持つ来歴と、熱海の気候、そして桜という植物の多様な性質に触れることで、少しずつ輪郭を現していく。
あたみ桜の来歴は、日本の在来種として自生していた桜とは異なる経緯を持つ。その物語は明治時代初期、1871年(明治4年)頃に遡る。当時、熱海を訪れたひとりのイタリア人が、レモンやナツメヤシの苗木とともに、ある桜の苗木を持ち込んだという。この異国の地からもたらされた桜が、あたみ桜のルーツだとされている。
熱海の先人たちは、この桜を増殖させ、市内の様々な場所に植栽していった。特にその存在が広く知られるようになったのは、昭和後期に入ってからのことだ。1972年(昭和47年)には下田の御用邸に、翌1973年(昭和48年)には伊勢神宮に、そして1976年(昭和51年)には東宮御所へと献上され、その名は全国へと広まっていった。
そして、熱海市制施行40周年を迎えた1977年(昭和52年)4月10日、あたみ桜は正式に「熱海市の木」に指定された。 この指定は、単なる植物の選定に留まらず、異国の地から渡来した一本の木が、熱海の風土に根付き、人々の手によって育まれ、やがて地域の象徴となるまでの歴史を物語っている。あたみ桜は、単なる花としての美しさだけでなく、熱海の近代化とともに歩んできた、ある種の文化的な証人でもあるのだ。
あたみ桜がなぜこれほど早く咲くのか、そしてその開花期間が長い理由には、その遺伝的な背景が深く関わっている。花粉形態分析などによる調査から、あたみ桜は台湾や沖縄地方に自生する「カンヒザクラ(寒緋桜)」と、日本の暖地に広く分布する「ヤマザクラ(山桜)」の自然交雑種であると推定されている。
カンヒザクラは、その名の通り寒さの中で緋色の花を咲かせる早咲きの桜として知られ、日本列島で最も早く咲く桜の一つである沖縄の桜もこの系統に属する。 一方、ヤマザクラは日本の野生種の代表であり、地域による変異も大きいが、比較的開花時期は遅い傾向にある。あたみ桜は、この早咲きのカンヒザクラの性質を受け継ぎつつ、ヤマザクラの特性も併せ持つことで、独特の開花サイクルを持つに至った。
あたみ桜の開花は例年1月には始まり、沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く咲く桜の一つとされている。 さらに特徴的なのは、その開花期間の長さだ。一般的な桜の開花期間が1~2週間であるのに対し、あたみ桜は1ヶ月以上にわたって花を楽しむことができる。 これは、一つの枝に早期に開花する花芽と、その後に開花する花芽が「二段構え」に形成されるためだという。 この二段開花という特性が、熱海の冬から早春にかけて、長く桜の風景を維持する要因となっている。淡いピンク色の一重咲きの花は、中輪から小輪で、下向きに咲く姿が特徴的である。
あたみ桜と同じく伊豆半島を代表する早咲きの桜に「河津桜」がある。この二つの桜はしばしば混同されがちだが、その来歴と特徴には明確な違いが見られる。
河津桜は、1955年(昭和30年)頃に静岡県河津町で飯田勝美氏が雑草の中から発見した一本の苗木が原木とされており、1974年(昭和49年)に「カワヅザクラ」と命名された比較的新しい品種である。 その遺伝的なルーツは、あたみ桜と同様にカンヒザクラを親に持つが、もう一方の親は「オオシマザクラ(大島桜)」であると推定されている。 オオシマザクラは伊豆半島などに自生する野生種で、比較的大きな白い花を咲かせる特徴を持つ。
この親の違いが、両者の花の特徴にも表れている。河津桜は、カンヒザクラ由来の濃いピンク色と、オオシマザクラ由来の大輪の花が特徴とされ、その華やかな色合いが多くの人を魅了する。 開花時期は例年2月上旬から始まり、約1ヶ月間咲き続ける。
対して、あたみ桜は先に述べたようにカンヒザクラとヤマザクラの交雑種であり、開花時期は河津桜よりもさらに早く、1月には開花が始まる。 花の色は淡いピンク色で、河津桜の鮮やかなピンクとは趣が異なる。 また、花の大きさも河津桜が大輪であるのに対し、あたみ桜は中輪から小輪とされることが多い。
このように、あたみ桜と河津桜は、どちらもカンヒザクラを片親に持つ早咲きの桜でありながら、もう一方の親が異なることで、開花時期、花の大きさ、そして色合いにそれぞれ個性を持っている。早咲きの桜という共通項の中にも、多様な品種が存在していることがわかるだろう。
あたみ桜は、現在、熱海市内の各所に植栽され、早春の熱海を彩る風景として定着している。特に多くのあたみ桜が見られるのは、市内中心部を流れる糸川沿いの遊歩道だ。約300メートルにわたって50本以上のあたみ桜が植えられており、例年1月上旬から2月中旬にかけて「あたみ桜糸川桜まつり」が開催される。
まつり期間中は、桜のライトアップが行われたり、桜茶のサービスが提供されたりするなど、観光客が桜をゆっくりと鑑賞できるような工夫が凝らされている。 糸川遊歩道以外にも、熱海梅園前市道や渚小公園、渚親水公園など、市内の様々な場所であたみ桜を見ることができる。
あたみ桜の開花時期は、まだ寒さが厳しい冬の最中であるため、観光客は厚着をして訪れることになる。しかし、その分、一足早い春の訪れを感じさせる淡いピンク色の花々は、より一層強く印象に残るのかもしれない。熱海ではあたみ桜に続いて、3月にはソメイヨシノも見頃を迎えるため、長い期間にわたって桜の鑑賞が楽しめる。 このように、あたみ桜は熱海の観光資源として重要な役割を担っており、その独特の来歴と特性が、この街の魅力を一層深めている。
あたみ桜は、在来種ではない。明治初期にイタリア人によって持ち込まれたという、その異国情緒あふれる来歴は、日本の多くの桜の品種とは一線を画す。しかし、その遺伝的な背景を紐解けば、カンヒザクラとヤマザクラという、日本の、あるいは東アジアの自然に根ざした種が交わり生まれたものであることがわかる。 この事実は、あたみ桜が単なる外来種としてではなく、熱海の気候と人々の手によって、日本固有の桜文化の中に深く根を下ろしていった過程を示している。
あたみ桜は、河津桜と比較することで、早咲きの桜というカテゴリーの中にも、多様な起源と特徴が存在することを示唆する。河津桜が河津町の地で発見された自然交雑種であるのに対し、あたみ桜は意図的に、あるいは偶然に持ち込まれ、その後の人為的な増殖によって広まった。この違いは、桜という植物が、自然の力だけでなく、人間の営みの中でいかに多様な姿を獲得してきたかを教えてくれる。熱海の早春に咲く淡い桜は、単に美しいだけでなく、歴史と植物学、そして地域文化が織りなす時間の層を読み解く鍵となるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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