2026/5/28
宇津ノ谷峠の十団子、鬼退治伝説と護符の変遷

宇津ノ谷の十団子について知りたい。
キュリオす
宇津ノ谷峠の十団子は、かつて旅の軽食だったが、鬼退治伝説と結びつき厄除けの護符へと変化した。その成り立ちと現代に伝わる風習を、街道名物や信仰の視点から追う。
静岡市と藤枝市にまたがる宇津ノ谷峠は、古くから旅人にとっての難所であり、同時に文化が交錯する地でもあった。ここには、その険しい道のりを象徴するかのような「十団子(とおだんご)」と呼ばれる名物がある。数珠のように連なった小さな団子は、土産物として、あるいは厄除けの護符として、今もこの土地に息づいている。なぜ、この峠で「十」という数字を冠した団子が生まれたのか。その背景には、単なる菓子とは異なる、この地の歴史と人々の信仰が深く関わっている。
宇津ノ谷峠は、その歴史を平安時代にまで遡る。在原業平が『伊勢物語』で詠んだ「蔦の細道」として知られる古道が、この地の険しさを伝えている。その後、豊臣秀吉が小田原攻めのために道を整備し、江戸時代には東海道の難所として、多くの大名行列や旅人が行き交う幹線道路となった。薄暗く、蔦が絡み合うこの山道は、山賊や追剥が出没する危険な場所でもあり、人々の間には様々な伝説が語り継がれてきた。
その中でも十団子の起源と深く結びつくのが、「食人鬼供養」の伝説である。かつて宇津ノ谷峠の北側にあった梅林院という寺の住職が難病にかかり、小僧に膿血を吸わせて苦痛を和らげていたという。しかし、小僧は次第に人肉の味を覚え、やがて人を食らう鬼と化し、峠を通る旅人を襲うようになったとされる。人々が困り果て、地蔵菩薩に祈願すると、地蔵菩薩が旅の僧に姿を変えて峠へ向かった。僧は鬼を言葉巧みに欺き、自らの掌に乗るほど小さくさせた後、杖で打ち砕いて十個の小さな粒にし、それを全て飲み込んで退治したという。この出来事以来、峠の道は安全になったと伝えられている。この十個の粒こそが、十団子の名の由来とされる。
<h2>道中の軽食から厄除けの護符へ</h2>宇津ノ谷の十団子は、その形態が時代とともに変化してきた。室町時代の連歌師・宗長が記した『宗長手記』(大永4年/1524年)には、宇津ノ谷の茶屋で村の女の子が「一杓子に十づつ」団子をすくって旅人に売っていた様子が記録されている。茶道遠州流の祖である小堀遠州も『辛酉紀行』(元和7年/1621年)の中で、宇津ノ谷で白い霰のような餅を「十団子」と聞き、杓で十個ずつすくう技に興じたと記している。この頃の十団子は、あくまで旅の途中の軽食であり、その「十」は杓で一度にすくえる数に由来していたようである。
しかし、江戸時代に入ると、団子は小豆粒ほどの固い小さなものとなり、麻の糸で数珠のように連ねた形へと変化する。そして、地蔵菩薩による鬼退治の伝説と結びつき、旅の安全や厄除けを祈願する護符としての性格を強めていった。歌川広重の浮世絵にも、峠の茶屋で十団子が吊るされ、名物として売られている様子が描かれている。この時代には、道中の無事を願う旅人たちが買い求め、家の軒先に吊るす風習が広まったとされる。現代に伝わる十団子の形状は、小さな団子30粒を一連にし、10粒の境目で紐を三つ折りにして一つの組を作り、それを三組束ねて完成させる。これを厄除けとして門口に飾るのである。
街道沿いの名物には、その土地の歴史や信仰が色濃く反映されることが多い。宇津ノ谷の十団子のように、旅の安全を願う護符としての性格を持つ菓子は、他の地域にも見られる。例えば、宮城県塩竈市にもかつて「十団子」と呼ばれるあられ餅があったとされ、こちらは塩竈神に従って塩焼きの釜を引いた牛の鼻に通した藤の蔓から花が咲いたことにちなみ、厄除けとして配られたという伝承がある。また、愛知県名古屋市の熱田神宮周辺で売られる「藤団子」も「十団子」と表記されることがあり、神饌菓子が変化したものとされている。
これらの事例と比較すると、宇津ノ谷の十団子の特徴がより明確になる。塩竈や熱田の団子が、神社の祭事や神話に由来するのに対し、宇津ノ谷の十団子は、峠という具体的な「場所」で起きたとされる「鬼退治」の伝説と、地蔵信仰が結びついている点が際立つ。旅の難所における具体的な危険(山賊や追剥、そして伝説の鬼)から身を守るという、より切実な願いが込められている。また、室町時代には杓ですくう食べ物であったものが、江戸時代に糸でつないだ護符へと変化した経緯も、旅の安全への願いが形を変えていった過程を示していると言えるだろう。単なる嗜好品ではなく、生活や旅路における不安を和らげるための「道具」として、その役割が変遷していったのである。
現代において、宇津ノ谷峠は国道1号線が通り、複数のトンネルが貫く交通の要衝であり続けている。しかし、その脇には平安時代の蔦の細道から明治、昭和、平成と、各時代の道やトンネルが通行可能な状態で保存されており、道の変遷を体感できる貴重な場所となっている。この歴史的な景観は、2020年(令和2年)に「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅」というストーリーで日本遺産に認定され、十団子もその構成文化財の一つとなっている。
現在、厄除けの十団子は、主に宇津ノ谷集落の慶龍寺で毎年8月23日、24日の地蔵盆の縁日に販売されている。地元住民が米粉を一つ一つ手でこねて作るこの団子は、前年のものを寺に返し、新しいものを家の軒先につるして一年の無事を祈願するという風習が今も続いている。かつて旅人の安全を願うためのものであった十団子は、現代では地域に根ざした厄除けの縁起物として、その役割を継承しているのだ。また、近年では「食べる十団子」として、地域の食材を用いたアレンジ商品が道の駅などで限定販売される試みも見られる。
宇津ノ谷の十団子を追うと、旅の道筋に込められた人々の切実な願いが浮かび上がる。かつて東海道の難所であった宇津ノ谷峠では、旅人は常に不安と隣り合わせであった。そこで生まれた十団子は、単なる空腹を満たす菓子ではなく、見えない脅威から身を守るための護符として機能した。その形態が、杓ですくう軽食から、糸で連ねた食べられない護符へと変化したのは、旅の安全という願いの重さを示すものだろう。
十団子の物語は、人が移動し、未知の土地を進む際に、いかに目に見えない力や信仰に支えられてきたかを示唆している。峠を越える行為が、単なる地理的な移動だけでなく、精神的な障壁を乗り越えることでもあった時代。その中で、小さな米粉の団子に込められた鬼退治の伝説は、旅人にとっての安心となり、また地域の人々にとっては、自らの共同体を守るための拠り所となった。宇津ノ谷の集落で今も軒先に吊るされる十団子は、現代の高速道路を往来する人々には見えにくい、かつての旅の風景と、それに寄り添った信仰の形を静かに伝え続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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