2026/6/11
「明方ハム」と「明宝ハム」の並立、村名改称まで辿る岐阜の食文化

岐阜の明宝ハムについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
岐阜県郡上市明宝地区で生まれた明宝ハム。地元農協のハム製造から始まり、テレビ放映で人気を得るも、事業拡大で「明方ハム」と「明宝ハム」に分裂。村名も「明宝村」へ改称した経緯と、手作業によるプレスハム製法に迫る。
岐阜県郡上市明宝地区を訪れると、山々の深い緑と清らかな水が織りなす風景の中に、どこか懐かしい、しかし確かな存在感を放つ食文化があることに気づかされる。それが「明宝ハム」だ。単なる加工肉として片付けるには惜しいほど、このハムには土地の歴史と人々の選択が凝縮されている。なぜ、この山深い地で、これほどまでに愛されるハムが生まれたのか。そして、その名は、なぜ村の名前までも変えることになったのだろうか。
明宝ハムの歴史は、今から七十余年前、昭和28年(1953年)にまで遡る。当時はまだ奥明方村と呼ばれていたこの山間地で、地元の農業協同組合が畜産振興と住民の食生活改善を目的として、ハム製造を始めたのがその端緒である。戦後の食料難にあって、貴重な動物性タンパク質を供給する試みは、新しい農村建設の一環として注目されたという。しかし、当初は高価な贅沢品とみなされ、地元での消費は伸び悩み、大手メーカーの製品が並ぶ市場では苦戦が続いた。
転機が訪れたのは、昭和50年代後半から昭和55年(1980年)にかけてのことだ。高度経済成長を背景に食生活が豊かになり、本物志向や自然食への関心が高まる中で、手作りで添加物を極力抑えた明方ハム(当時の名称)が徐々に評価され始める。特に、NHKのテレビ番組「明るい農村」で紹介されたことは大きく、全国的な知名度を得るきっかけとなった。これを機に、生産量は飛躍的に伸び、「幻のハム」と呼ばれるほどの人気商品へと成長していく。
しかし、その人気が新たな局面を生む。昭和63年(1988年)、事業拡大を目指す郡上農業協同組合は、工場をより就業人口の多い隣接の八幡町に移転する計画を立てた。これに対し、過疎化が進む明方村は猛反発する。ハム製造が村の活性化と雇用の生命線であると考えた村は、現地に残る職員たちと共に、第三セクター「明方特産物加工株式会社」を設立。ここに、「明方(みょうがた)の宝」という願いを込めた「明宝ハム」が誕生したのだ。結果として、ルーツを同じくする二つのハム、「明方ハム」と「明宝ハム」が並立することになる。さらに平成4年(1992年)には、村の名前そのものが明方村から「明宝村」へと改称され、ハムのブランドが村の正式名称となる異例の展開を見せる。この改名は、ハムが地域にとってどれほど大きな存在であったかを雄弁に物語っている。
明宝ハムの美味しさの根幹にあるのは、その製法と素材への徹底したこだわりだ。明宝ハムは、日本独自の「プレスハム」という種類に属する。これは、肉の塊をそのまま加工するボンレスハムやロースハムとは異なり、細かく切り分けた豚肉を寄せ集めて固める製法である。かつて戦後の日本では、安価なタンパク源として普及したプレスハムだが、明宝ハムはこれを「幻のハム」とまで言わしめる逸品に昇華させた。
その秘密は、まず素材選びにある。使用されるのは、国産の新鮮な豚もも肉のみ。冷凍肉ではなく、生の冷蔵肉を毎日仕入れているというこだわりが、豚肉本来の臭みのない、豊かな風味を引き出す。工場に運び込まれた豚もも肉は、熟練の職人の手によって丁寧に解体される。モモ肉の塊の中には多くのスジや軟骨が入り込んでいるため、包丁と指先の感覚を頼りに、機械では取り除けない細かな部分まで手作業で除去していく。この手間を惜しまない作業が、明宝ハム独特の歯ごたえと滑らかな舌触りを生み出す基盤となる。
解体された肉は、均一な大きさにカットされた後、冷蔵庫で一週間ほど熟成される。この期間に肉の旨味が増し、その後の味付けにつながる。熟成を終えた肉は、ミキサーで攪拌され、企業秘密とされる独自の調味料で味付けされる。この調味料は、岩塩由来の食塩と独自ブレンドの香辛料が主であり、余計な添加物(保存料、着色料、酸化防止剤、増量剤など)は極力使用しない。新鮮な肉は互いにくっつく力が強いため、つなぎのでん粉もごく少量で済むのだという。味付けされた肉は、一本一本手作業で充填機にかけられ、型に詰められる。この充填作業も、空気が入ったり型が破れたりしないよう、職人の微妙な力加減が求められる。最後にボイル殺菌を経て、X線検査機と人の目による最終チェックが行われ、製品として送り出される。これらの工程の多くが手作業によって支えられており、機械化が進む現代においても、変わらぬ品質を守り続けているのだ。
明宝ハムの個性は、他のハムとの比較においてより鮮明になる。一般的にスーパーなどで多く見られるロースハムやボンレスハムは、豚肉の特定の部位を塊のまま塩漬け・熟成・燻煙したもので、高級品としてのイメージが強い。これに対し、プレスハムは戦後から高度経済成長期にかけて、余った肉片などを集めて比較的安価に製造できる加工品として普及した経緯がある。しかし明宝ハムは、このプレスハムという手法に、徹底した素材選びと職人の手作業という価値を付加することで、一般的なプレスハムとは一線を画す存在となった。その価格が、他の高級ハムに匹敵するか、あるいはそれ以上であることからも、その品質への自信がうかがえる。
また、明宝ハムと「明方ハム」の関係は、地域ブランドの形成において特異な事例と言えるだろう。同じルーツを持ちながら、別々の道を歩むことになった二つのハムは、互いにライバルとして切磋琢磨することで、それぞれのブランドを確立してきた。郡上市内には、両方のハムが「郡上ハム競演セット」として土産物として並べられている場所もあり、この「共存するライバル関係」自体が、地域のユニークな物語となっている。これは、単一のブランドが地域を代表する例とは異なり、内的な競争が品質とブランド力を高めるという稀有な構造を示している。
さらに、ハムのブランド名が村名にまで影響を与えたという事実は、明宝ハムが単なる食品産業を超え、地域のアイデンティティそのものと深く結びついていることを示す。全国各地に地域特産品は数多く存在するが、村の名称を製品名に合わせるという決断は、その特産品が地域の生き残り、雇用の創出、そして誇りの源泉であったことを強く表している。これは、経済的な合理性だけでなく、地域の文化や精神が製品に宿っていることの証左とも言えるだろう。
現在、明宝ハムは岐阜県郡上市明宝の自然豊かな環境の中に、その本社工場を構えている。工場は2018年(平成30年)に新設され、生産能力は年間150万本に増強されたものの、製造工程の多くは依然として職人の手作業に支えられている。工場見学も可能で、ガラス越しに豚肉の解体から最終検品に至るまでの丁寧な工程を見学することができる。この開かれた製造現場は、製品への揺るぎない自信の表れでもある。
明宝ハムは、今や岐阜県民にとっては「ソウルフード」とも称される存在であり、地元のスーパーマーケットや道の駅「明宝」(磨墨の里)などで日常的に目にすることができる。贈答品としても人気が高く、県内外で多くのファンを獲得している。定番の明宝プレスハムの他にも、青じそを練り込んだ「瑞峰(ずいほう)」や、桜の木でスモークしたスモークドハムなど、多様な商品展開を見せている。こうした取り組みは、伝統の味を守りつつも、現代の消費者の嗜好に合わせて進化を続ける姿勢を示していると言えるだろう。
工場周辺の道の駅では、明宝ハムを使ったフランクフルトやコロッケといった手軽なグルメも提供され、観光客がその味を気軽に楽しめるようになっている。明宝ハムは、単なる食肉加工品としてだけでなく、地域の観光資源の一部として、山里の魅力を発信する役割も担っているのだ。
明宝ハムの物語を辿ると、それは単に美味しいハムが生まれた経緯に留まらない。岐阜の山村が、自らの未来を切り拓くために、一つの食品に託した情熱と選択の軌跡が見えてくる。
「明方村」が「明宝村」へと改称したという事実は、このハムが地域にとって、単なる特産品以上の「宝」であったことを如実に示している。それは、過疎化に直面する村が、自らの手で雇用を生み出し、経済を活性化させ、地域に誇りを取り戻すための具体的な手段であった。そして、その選択が、最終的に村のアイデンティティそのものを書き換えるほどのインパクトを持ったのだ。
明方ハムとの「分裂」も、一見すると対立のようだが、結果的には二つの異なる事業体が、それぞれの形で「プレスハム」の可能性を追求し、市場での認知度を高める原動力となった。この競争が、両者の品質向上とブランド確立に寄与した側面は否定できない。
明宝ハムが今もなお、手間暇を惜しまない手作業と国産豚肉へのこだわりを貫いているのは、こうした歴史的背景と、地域を支えるという使命感が根底にあるからだろう。それは、効率や大量生産を優先する現代において、忘れられがちな「ものづくり」の真髄を静かに問いかけてくる。明宝ハムを口にするとき、私たちは単にその肉の旨味を味わうだけでなく、山あいの村が自らの未来を賭して守り抜いた、確かな手応えを感じ取っているのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。