2026/6/5
行田の「ゼリーフライ」、なぜ「ゼリー」?その謎を辿る

行田の名物のゼリーフライってなに!?
キュリオす
行田市に伝わる「ゼリーフライ」の由来を探る。日露戦争時代に中国から伝わった料理が、足袋の町でどのように独自の進化を遂げたのか。その名称の秘密と、おからとじゃがいもを使った素朴な味わいの秘密に迫る。
埼玉県行田市を訪れたとき、「ゼリーフライ」という文字が目に飛び込んできた。ゼリーを揚げたものだろうか、と一瞬考える。しかし、その言葉の響きと、町中に掲げられた幟に描かれた茶色い小判型の絵との間には、どうにも隔たりがある。この奇妙な名称の食べ物は、一体何なのか。なぜ「ゼリー」と名付けられたのか。その疑問は、行田という土地の歴史と、そこに暮らした人々の工夫へと繋がっていく。
行田の町は、かつて日本一の足袋の産地として栄えた歴史を持つ。明治から昭和初期にかけて、多くの足袋工場が軒を連ね、活気に満ちていたという。この足袋産業の隆盛と時を同じくして、「ゼリーフライ」は誕生したとされる。その起源は、今からおよそ100年以上前、日露戦争の時代にまで遡る。日露戦争に従軍した行田市内の「一福茶屋」(現在は閉店)の店主が、中国東北地方で食されていた「野菜まんじゅう」の製法を現地で学び、日本に持ち帰ったことが始まりだと言われているのだ。
持ち帰られた異国の知恵は、行田の地で独自の発展を遂げる。肉や高価な食材が手に入りにくい時代にあって、安価で栄養豊富な「おから」と、地元で栽培しやすい「じゃがいも」を主原料にすることで、庶民でも手軽に作れる軽食として定着していった。行田が「忍の浮き城」と称される難攻不落の忍城を擁し、幾多の歴史の荒波を乗り越えてきたように、この地の食文化もまた、質実剛健な工夫によって形作られてきたのである。明治後期にはすでに広く食されるようになり、昭和初期には足袋工場で働く女工たちのおやつとしても人気を博したという.
ゼリーフライとは、具体的にはおからと茹でてつぶしたじゃがいもをベースに、刻んだ玉ねぎや人参、ネギなどの野菜を混ぜ合わせ、小判型に成形して油で揚げたものである。特筆すべきは、通常のコロッケのようにパン粉をつけずに素揚げすることだろう。この衣のない揚げ物は、外側はサクッとしながらも軽い仕上がりで、中にはおから特有のわずかなざらつきと、じゃがいものホクッとした食感が残る。揚げたてをウスターソースにくぐらせて供するのが一般的で、冷めてもソースが染み込んで美味だという。
この「ゼリーフライ」という奇妙な名前の由来については諸説あるが、最も有力とされるのは、その形状に起因するという説である。ゼリーフライの小判型が、江戸時代の銭貨である「銭(ぜに)」に似ていたことから、「銭フライ」と呼ばれ、それが訛って「ゼリーフライ」になったという見方が広く受け入れられている。一部には、お菓子のゼリーを揚げたものという意味合いから名付けられたという説も存在するが、前者の「銭フライ」説がより説得力を持つ。いずれにせよ、その名前からは想像しがたい、素朴な味わいの揚げ物なのだ。
衣をつけずに揚げたおからとじゃがいもの加工品というゼリーフライの形態は、他の地域の揚げ物と比較すると、その独自性が際立つ。例えば全国的に普及している「コロッケ」は、ひき肉とじゃがいもを主体とし、小麦粉、卵、パン粉の衣をつけて揚げるのが一般的だ。対してゼリーフライは、肉を使わず、パン粉も用いない点で大きく異なる。これは、安価で入手しやすいおからを主原料とし、少ない材料で栄養を補うという、当時の生活の知恵が反映された結果と言えるだろう。
行田にはゼリーフライと並んで「フライ」という名物もあるが、これもまた全く別の食べ物である。行田の「フライ」は、小麦粉を水で溶いて薄く焼き、ネギや肉などを加えたもので、お好み焼きやもんじゃ焼きに近い薄焼きの軽食だ。この二つの「フライ」が同じ地域で発展した背景には、古くから小麦の栽培が盛んだった埼玉北部地域の食文化がある。小麦を加工した手軽な軽食が求められる中で、素材や調理法の異なる二つの「フライ」がそれぞれ独自の進化を遂げたのは、地域の食材と人々の工夫が織りなす興味深い事例と言える。
行田市にとって、ゼリーフライは単なる郷土料理に留まらない。平成18年頃からは「ゼリーフライのB級グルメ全国ブランド化」に取り組んでおり、地域の活性化を担う重要な存在となっている。市内外の学校給食で提供されたり、埼玉県内の飲食店や精肉店で販売が促進されたりすることで、その知名度は高まっている。実際に、行田市内にはゼリーフライを提供する店舗が多数存在し、持ち帰り専門店から、食事処のサイドメニューとして提供する店まで様々である。
平成19年には「埼玉B級ご当地グルメ王決定戦!」で2位を獲得し、B-1グランプリにも出場するなど、その魅力は広く認知されつつある。市はゼリーフライのキャラクター「こぜにちゃん」を商標登録するなど、多角的なアプローチでその魅力を発信しているのだ。現代の行田では、忍城を訪れた観光客が、かつての足袋職人たちが食したであろうゼリーフライを手に、歴史の面影を感じるという光景も珍しくない。
「ゼリーフライ」という、その名だけを聞けば誰もが戸惑うこの食べ物は、行田という土地の歴史と、そこに暮らした人々の知恵が凝縮された存在である。日露戦争から持ち帰られた異国の食文化が、足袋産業で栄える町の庶民の生活に根差し、安価で栄養価の高いおからとじゃがいもを主原料とすることで、独自の進化を遂げた。小判に似た形状から「銭フライ」と呼ばれ、それが訛って今の名に至ったという説は、この料理が単なるB級グルメではなく、その土地の経済や人々の暮らしと密接に結びついていたことを示唆している。
衣をつけない素朴な揚げ物でありながら、ウスターソースの風味と相まって、地元の人々に長く愛されてきたゼリーフライ。その背景には、質素な材料から最大限の価値を生み出そうとした、かつての人々の工夫がある。現代において、それが地域の顔として観光客を惹きつけ、学校給食にも登場するというのは、単なる懐かしさだけでなく、その本質的な美味しさと、歴史に裏打ちされた普遍的な価値が評価されている証左であろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。