2026/5/29
掛川の葛布、その歴史と山野の恵み

掛川では葛も有名だそうだ。掛川の葛の歴史についても知りたい。かつてはこの辺りに葛根がとれたのか?
キュリオす
掛川で葛が布として発展した背景には、山野に自生する葛の恵みと、それを加工する人々の営みがあった。鎌倉時代から続く葛布の歴史と、葛根から作られる葛粉の利用について、掛川の土地の記憶と共に辿る。
掛川の町を歩くと、古民家や土産物店で「葛布」という文字を見かけることがある。葛と聞けば、多くの人は葛餅や葛湯といった食用の葛粉を思い浮かべるだろう。しかし掛川では、葛は「布」として人々の生活に深く根ざしてきた。それも、ただの布ではない。絹にも勝る光沢を持ちながら、素朴な風合いを兼ね備えるその織物は、かつて武士の装束を彩り、遠く海を越えて壁紙として称賛された歴史を持つ。なぜこの地で、葛の蔓が布へと姿を変え、これほど長く受け継がれてきたのか。その背景には、山野に自生する葛の恵みと、それを見出し、加工する人々の営みがあった。
掛川における葛布の歴史は古い。鎌倉時代にはすでに、葛布がこの地の特産品として認識されていたという記録が残されている。一説には、鎌倉時代、原田荘(現在の掛川市原田地区)の領主が源頼朝に葛の直垂を献上したという逸話も伝わる。定かではないが、平安末期から葛布が用いられていた可能性を示唆する話である。当時の葛布は、蹴鞠の指貫(袴の一種)などに用いられたようだ。
戦乱の時代には一時衰退したものの、江戸時代に入ると掛川は東海道の宿場町として栄え、葛布業も回復していく。時の藩主が葛布を特産品として保護奨励したこともあり、丈夫で水に強い葛布は、武士の裃や袴、道中合羽などに珍重された。 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「葛布は遠州懸川より出ず」と記されており、掛川の葛布が全国的に名の知れた存在であったことが窺える。 諸大名の参勤交代の際の土産品としても重宝されたという。 この時代、葛布は主に緯糸に葛の繊維を、経糸には木綿や絹、麻などを用いた交織布として織られていた点に特徴がある。
明治時代に入ると、武家階級の転落や生活様式の変化により葛布は大きな打撃を受ける。 しかし、新たな活路を見出した。襖地として需要が生まれ、さらに明治30年代頃からは「カケガワ・グラス・クロス」としてアメリカへ壁紙として輸出され、その高級感が好評を博したのである。
掛川で葛布が発達した背景には、まずこの地域に葛が豊富に自生していたという自然条件がある。葛はマメ科のつる植物で、日本全国の山野に広く分布し、その繁殖力の強さから「雑草」と見なされることもある。 しかし、掛川周辺の深山には、繊維や葛粉の原料となる良質な葛が多く育っていたと考えられる。
葛布の製造工程は、採取から織り上げまで全て手作業で行われる。 まず、毎年6月から8月頃にかけて、山野に自生する葛の蔓を採取する。 採取した蔓は釜で煮立てた後、一晩流水に浸し、さらに土に掘られた室(むろ)で二晩ほど発酵させる。 この発酵によって、葛の蔓の外皮と木質部が剥がれやすくなるのだ。 室から出した蔓は、川で丁寧に洗い流して外皮を取り除き、次に木質部を抜き取って内皮(靭皮繊維)だけにする。この繊維が「葛苧(くずお)」と呼ばれる。 葛苧は米のとぎ汁に浸して艶を出し、さらに水洗いして天日で乾燥させることで、ようやく葛布の原料となる繊維が完成する。
この葛苧を一本一本細く裂き、結び合わせて「葛糸」を作る作業が「葛つぐり」である。 手で裂くため糸の太さは均一ではなく、その剛直さが葛布独特の縞模様を生み出す。 そして、この葛糸を緯糸に、絹や麻、木綿などの糸を経糸として手織りで織り上げていくのが葛布だ。 葛の蔓から得られる繊維はごくわずかで、葛布の生産には膨大な労力と時間、そして清らかな水が不可欠であった。 掛川には、葛が自生する山と、繊維の精製に適した清流があったことが、葛布の発展を支えた主要な要因と言えるだろう。
掛川では葛布が有名だが、葛の根から採れる葛粉も古くから利用されてきた。江戸時代には、葛粉を四角く固めて藁ひもで縛り、軒先に吊るして保存食や薬として各家庭で親しまれていたという。 現在でも、掛川市には葛粉を使った葛湯「丁葛(ちょうくず)」を製造する老舗和菓子店があり、全国菓子大博覧会で内閣総理大臣賞を受賞している。
葛粉の原料となる葛根は、でんぷん質が根に集まる冬が採取の適期とされる。 山野に自生する葛の根を掘り起こし、粉砕して水にさらし、でんぷんを沈殿させて精製する。 この工程もまた、手間と時間を要する手作業である。 葛根は漢方薬の葛根湯の主原料でもあるが、その薬効はでんぷん以外の成分によるものだ。 食用としての葛粉の利用は、日本独自の文化とも言われている。
掛川周辺で葛根が採れたのか、という問いに対しては、遠州地方の深山に葛が自生していたことから、かつては葛根も採取されていたと考えるのが自然だろう。 しかし、現在では葛粉の生産地は奈良県の吉野葛をはじめ、南九州など特定の地域に集中している。 掛川で葛粉が家庭で利用されていた時代があったものの、商業的な大規模生産は限られていたのかもしれない。葛布の原料となる蔓と、葛粉の原料となる根では、採取時期や加工方法が異なるため、それぞれ独立した産業として発展した側面がある。
日本の布の歴史を振り返ると、葛布は沖縄の芭蕉布、東北の科布(シナフ)と並び、「日本三大古布」の一つに数えられる。 これらの古布に共通するのは、身近な植物の繊維を利用し、手作業で糸を作り、布を織り上げてきた点である。それぞれの地域で育つ植物の特性を活かし、厳しい自然環境の中で衣服や生活道具を生み出してきた人々の知恵がそこには凝縮されている。
葛布は中国では新石器時代には既に使われており、アジア最古の布とも言われる。 日本でも古墳時代前期の遺跡から葛布が出土しており、万葉集にも葛を詠んだ歌がいくつか見られる。 古代においては庶民の衣服や上流階級の喪服に用いられ、鎌倉時代には武士の装束にも使われた。
しかし、他の古布と比較すると、掛川の葛布には独特の発展が見られる。例えば、江戸時代には経糸に木綿や絹を使い、緯糸に撚りをかけない葛の平糸を用いることで、独特の光沢と風合いを持つ「交織布」としての葛布が確立された。 これは、純粋な葛糸のみで織る他の地域の葛布とは異なる特徴である。また、明治以降に襖地や壁紙として海外に輸出され、国際的な評価を得た点も、掛川葛布の特異な軌跡と言えるだろう。 中国では安価な大麻草や高級な絹の登場によって葛布の需要が失われたのに対し、日本では用途を変えながらもその価値が再評価され、脈々と受け継がれてきた。 掛川の葛布は、単なる伝統の継承に留まらず、時代や需要の変化に応じてその姿を変え、生き残ってきた稀有な例と言える。
現代の掛川において、葛布の織元は限られている。かつては十軒余りあった織元も、戦後の安価な海外製品や化学繊維の台頭により廃業が相次ぎ、現在は数軒を残すのみとなった。 しかし、残された織元は、昔と変わらぬ製法を守り、葛の蔓の採取から葛苧作り、葛つぐり、そして手織りの工程まで、全て手作業で葛布を作り続けている。
葛布は、その軽くて丈夫さ、美しい光沢、そして自然な風合いから、現在も根強い人気がある。 襖紙や壁紙といった建築資材だけでなく、草履やハンドバッグ、日傘、財布などの小物、さらにはインテリア素材としても幅広く活用されている。 掛川市では、葛布の伝統を次世代に継承するため、2016年には「掛川市葛利活用委員会」が設立され、葛の一体的な利用促進や産業の復活に向けた取り組みが進められている。 JR掛川駅の新幹線待合室には葛布が使用され、掛川城の天守閣にも葛布の襖が使われるなど、地域の象徴としても存在感を示している。
葛は繁殖力が強く、時に「厄介な雑草」とも見なされるが、その活用はSDGsの観点からも注目されている。 葛の蔓を刈り取ることで山地の生態系維持に貢献し、それを付加価値のある製品へと変えることは、持続可能な地域産業のあり方を示すものとも言える。
掛川の葛布と葛粉の歴史を辿ると、一見すると「雑草」に過ぎない葛が、いかに人々の生活に深く寄り添い、文化を育んできたかが明らかになる。葛布は、単なる織物としてだけでなく、その土地の自然条件と、それに向き合った人々の知恵と努力の結晶である。山野に自生する葛の蔓から、気の遠くなるような手間をかけて繊維を取り出し、糸を紡ぎ、布を織り上げる。その工程の一つ一つに、先人たちの試行錯誤と、自然への畏敬の念が込められている。
葛根から葛粉を精製し、保存食や薬として利用してきた歴史もまた、自然の恵みを最大限に活かす知恵を示している。葛は、時にその強靭な繁殖力ゆえに管理が難しい植物とされるが、掛川の人々はそれを「厄介者」として排除するだけでなく、「宝」として見出し、様々な形で活用してきた。
掛川の葛は、食と衣、二つの異なる形で地域に根ざし、それぞれの時代の中で形を変えながら生き残ってきた。それは、変化に対応しながらも、手仕事の価値と自然素材の美しさを守り続けてきたこの土地の人々の、静かな矜持を物語る。掛川の葛布が放つ光沢と、葛湯の優しい口当たりは、この土地の記憶と、それを今日まで紡いできた人々の手仕事の確かさを、静かに伝えている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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