2026年5月20日
延岡の鮎やな、300年以上続く伝統漁法
延岡の五ヶ瀬川に架かる鮎やなは、江戸時代から続く伝統的な漁法です。産卵のために川を下る鮎を、竹で編んだ落簀に誘導して捕獲します。都市部に近い大規模なやなは全国的にも珍しく、秋の風物詩として親しまれています。
川面に立つ、古の漁の姿
延岡の鮎やなは、五ヶ瀬川を横断するように組まれる巨大な木と竹の構造物である。その歴史は江戸時代にまで遡り、300年以上続く伝統的な漁法として知られている。一説には、日本書紀や古事記に「梁(やな)」に関する記述が見られることから、漁法としての「やな」の起源は1300年以上前、平安時代にまで遡るとも言われる。 延岡の鮎やなが特に文献に登場するのは、江戸時代中期以降のことだ。この頃には、川魚の流通が活発になり、やな漁は地域を支える重要な産業として確立していたと考えられている。 江戸時代には、やなで獲れた鮎が将軍家への贈答品として献上された記録も残る。 幕末の文久3年(1863年)には、延岡藩主内藤政順の正室であった内藤充真院繁子が、初めて延岡を訪れた際に鮎やなを見物し、その場で獲れたての鮎を塩焼きにして食したという記録が残されている。 この記述からは、当時のやなが単なる漁場としてだけでなく、地域の文化的な催しとして、また来訪者をもてなす場として機能していた様子が窺えるだろう。河川敷で鮎を焼く光景は、古くから延岡の秋を彩る風物詩であったことがわかる。
落ち鮎を誘い込む仕掛け
鮎やなは、産卵のために川を下る「落ち鮎」の習性を巧みに利用した伝統漁法だ。 鮎は春に川を遡上し、夏に川底の石に付着した藻類を食べて成長するが、秋になると産卵のために再び川を下る。この「年魚(ねんぎょ)」と呼ばれる一生のサイクルが、やな漁の成立を支えている。 延岡の鮎やなは、五ヶ瀬川の川幅いっぱいに木材や竹で「堰(せき)」を築き、川の流れの一部を狭い水路に集中させる構造を持つ。 その水路の先に、竹を編んで作られた「落簀(おてす)」と呼ばれるスノコ状の捕獲装置が設置される。 産卵のために下ってきた鮎は、堰によって集中させられた強い水流に乗って落簀へと誘導され、そこへ落ちて捕獲される仕組みである。 この漁法は、鮎に網で追い回されるようなストレスを与えにくいため、傷がつきにくく、鮮度を保ったまま捕獲できるという利点がある。 延岡の鮎やなの最大の特徴は、その規模の大きさにある。五ヶ瀬川の川幅は100メートルを超える場所もあり、その多くにやなが架設される。 さらに、人口10万人を超える都市の市街地に、これほど大規模な鮎やなが設置される例は全国的にも非常に珍しい。 清流として知られる五ヶ瀬川の水質が良好に保たれていることも、延岡の鮎やなを支える重要な要素である。
