2026/5/30
香取神宮だけが千葉県にあるのはなぜ?古代の香取海が理由だった

東国三社の中で、なぜ香取神宮だけが千葉にあるのか?
キュリオす
東国三社の一つ、香取神宮が千葉県に位置する理由は、古代の広大な内海「香取海」が常陸国と下総国を隔てていたため。利根川東遷事業で地形は変わったが、古来の国境線は残り、香取神宮は下総国の一宮として千葉県に鎮座し続けている。
東国三社が現在の位置に鎮座する背景には、古代の関東平野東部に広がっていた「香取海(かとりのうみ)」と呼ばれる広大な内海の存在がある。縄文時代には太平洋から深く湾入し、現在の霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼一帯まで繋がる巨大な水域であった。鹿島神宮と香取神宮、そして息栖神社は、この香取海の入口に位置し、大和朝廷の東国開拓の拠点として機能したと考えられている。
香取神宮は「下総国(しもうさのくに)」の一宮(最も社格の高い神社)であり、現在の千葉県香取市に位置する。一方、鹿島神宮と息栖神社は「常陸国(ひたちのくに)」の一宮または国史見在社とされ、現在の茨城県鹿嶋市と神栖市にある。 この古代の国境線は、香取海という自然の障壁によって明確に隔てられていたのである。香取海は、常陸国と下総国を分かつ重要な地理的境界であり、水上交通の要衝でもあった。
香取神宮の創建は神武天皇の御代と伝えられ、その歴史は紀元前600年以上に遡るとされる。 同様に鹿島神宮も神武天皇元年創祀と伝わる古社である。 これらの創建年代は伝説的な要素が強いものの、極めて古い時代からこの地に信仰の拠点があったことを示唆している。
東国三社に祀られる神々は、『古事記』や『日本書紀』に記される「国譲り」神話に深く関わる。香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、天照大神の命を受け、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)に国を譲る交渉を成功させた武神である。 息栖神社の祭神である久那斗神(くなどのかみ)は、これらの神々の道案内をしたと伝えられている。
大和朝廷が東国を平定・開拓する上で、これらの神々は軍事的な拠点、あるいは精神的な支柱として崇敬された。香取海を挟んで対峙するように鎮座する鹿島と香取の両神宮は、まさに東国支配の最前線に立つ要衝であったのだ。
江戸時代に入ると、徳川家康の命により大規模な河川改修事業「利根川東遷(とうせん)事業」が開始される。 それまで東京湾に注いでいた利根川の流路を、約60年の歳月をかけて東へと付け替え、最終的に現在の千葉県銚子市で太平洋に注ぐようにしたのである。
この事業は、江戸を水害から守り、新田開発を推進し、舟運を開いて東北と関東の交通・輸送体系を確立する目的があったとされる。 利根川東遷によって、かつて広大な内海であった香取海は淡水化・陸地化が進み、現在の利根川下流域の姿へと大きく変貌した。しかし、この大規模な地形の変化にもかかわらず、古くからの国境線、そしてそれに基づいて定められた神社の所在地は変わらなかった。現代の千葉県と茨城県の県境は、古代の国境線を色濃く反映しているため、香取神宮だけが千葉県に位置するという状況が続いているのだ。
日本の古代において、山脈や大きな河川が国境となる例は少なくない。しかし、香取海のように広大な内海が国境を形成し、その水域の要衝に国家鎮護の神が祀られた事例は、この関東東部に特徴的なものと言えるだろう。
現代の地図上で、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社を結ぶと、ほぼ直角二等辺三角形になることが知られている。 この配置が意図的なものか偶然かは諸説あるが、古代の人々がこの水域を意識し、特定の空間認識を持っていた可能性を示唆する。他の地域では堅固な山地や深い谷が国境の役割を果たすことが多いのに対し、この地では流動的な水域が境界となり、同時に交通路としても機能していた。この動的な環境が、東国三社の配置と、それぞれの国に属する理由の根幹にある。
利根川東遷事業を経て、かつて内海であった場所には今、雄大な利根川が流れている。香取神宮の一の鳥居「津宮鳥居河岸」は、かつて経津主大神が舟で上陸したと伝えられる場所であり、今も利根川と大鳥居が織りなす景色を望むことができる。 鹿島神宮の広大な境内には、要石(かなめいし)と呼ばれる地震を鎮める石が地中に埋まっているとされ、香取神宮にも同様の要石が存在する。 古代から続くこれらの信仰は、地形が大きく変わった現代においても、変わらず人々の心を惹きつけている。
現代の旅行者にとって、東国三社巡りは、茨城県と千葉県にまたがる旅となる。車を使えば一日で巡ることが可能であり、それぞれの神社が持つ歴史と文化に触れることができる。 見慣れた現代の県境は、一見すると不自然に感じられるかもしれない。しかし、その背後には、古代の内海が国境を画し、日本の黎明期における東国開拓の歴史が深く刻まれているのである。現代の川の流れの中に、古代の海の痕跡と、その上に築かれた信仰の姿を重ねて見るとき、この地域の歴史はより鮮明な輪郭を結ぶだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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