2026年5月18日
呼子・七ツ釜の柱状節理、玄界灘の波が刻んだ海食洞の秘密
佐賀県呼子の七ツ釜は、約200万年前の火山活動で形成された玄武岩の柱状節理が、玄界灘の波によって浸食されできた海食洞群です。この記事では、柱状節理の形成メカニズムと、七ツ釜の景観がどのようにして生まれたのかを解説します。
玄界灘に刻まれた柱の記憶
呼子の港から船で七ツ釜に近づくにつれて、海上から見る景観は、ただの断崖ではないことをすぐに悟る。荒々しい玄界灘の波が打ち寄せるその岩肌は、まるで巨大な柱を束ねて積み上げたかのようだ。規則正しく並んだ岩の柱が、そのまま海へと沈み込んでいく光景は、自然が描いた幾何学模様とでも言うべきだろう。岩の間に深く穿たれた洞窟は、その名が示す通り、七つの「かまど」が並んでいるかのようだ。なぜ、これほどまでに整然とした造形が、この呼子の地に現れたのか。その問いは、船が洞窟の奥へと進むにつれて、さらに深く心に刻まれる。
溶岩が描いた東松浦半島の形
七ツ釜を形成するこの特異な地形は、地球内部のマグマ活動が作り出したものだ。佐賀県唐津市に位置する東松浦半島は、およそ200万年前から100万年前、新第三紀から第四紀にかけての火山活動によって形成された玄武岩質の溶岩台地が基盤となっている。七ツ釜がある土器崎周辺も、その溶岩が噴出した源の一つであったと考えられている。
当時の火山活動は、粘性の低い玄武岩溶岩が地表に流れ出し、広範囲にわたって堆積していった。この熱い溶岩が冷え固まる過程で、特徴的な「柱状節理」が生まれた。七ツ釜の柱状節理は、海面下の根元部分では直径約30センチメートルと太く、ほぼ垂直に規則正しく並んでいるが、上部に向かうにつれて直径が約20センチメートルとやや細くなり、傾斜したり横倒しになったりする部分も見られる。 この地層が形成された後、長い年月をかけて玄界灘の荒波が容赦なく岩肌を浸食し、現在の七ツ釜の洞窟群が形作られたのだ。大正14年(1925年)には、その地質学的価値と景観の美しさから、国の天然記念物に指定されている。
熱と収縮が刻んだ規則性
七ツ釜に見られる「柱状節理」とは、地質学的な現象の一つで、火山から噴出したマグマが冷え固まる際に、体積が収縮することによって生じる規則的な割れ目のことである。 溶岩は、約700度から1000度という高温で液状であったものが、常温へと冷え固まる過程でわずかに体積を減らす。この収縮応力が、岩体の表面に亀裂を生じさせ、それが内部へと進行していくことで、多角形の柱状の構造が形成されるのだ。
柱の断面は、六角形が最も一般的だとされるが、四角形、五角形、七角形、八角形など、多様な形状が見られる。 この柱状の割れ目は、溶岩が冷え固まった冷却面に対して垂直方向に発達する傾向がある。 例えば、水平に流れた溶岩流であれば、上下から冷却が進むため、柱状節理は垂直に伸びる。七ツ釜の場合、玄武岩の溶岩が冷え固まった際に、このような柱状節理が形成されたと考えられている。
