2026/6/17
なぜ長岡の醤油は甘口なのか?「越のむらさき」が辿った190年の歴史

長岡の越のむらさきについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
長岡市摂田屋で190年以上続く醤油蔵「越のむらさき」。北陸地方の醤油が甘口である理由を、交通の要衝であった歴史、漁師の嗜好、気候風土などから紐解く。
摂田屋、醸造の街の夜明け
「越のむらさき」の創業は江戸時代後期の天保2年(1831年)に遡る。長岡市摂田屋は、古くから信濃川の水運と、佐渡金山と江戸を結ぶ三国街道が交差する交通の要衝であった。この地理的条件が、醸造業の発展に不可欠な物流を支える土台となったと考えられる。摂田屋地区には「越のむらさき」の他にも、日本酒や味噌の老舗が点在し、醸造文化が息づく町並みを形成している。
江戸時代、醤油はまだ高価な調味料であり、その発祥地は和歌山県とされている。しかし、長岡地域でも慶長年間以前には小坂家が醤油醸造業の先駆けとして名を連ねるなど、古くから醤油造りの歴史が存在した。明治期には、近代化の波とともに醤油醸造業も発展し、多くの蔵元が創業したことが記録されている。特に「越のむらさき」の社屋は明治10年(1877年)に竣工した木造建築で、国の登録有形文化財にも指定されており、その歴史の深さを今に伝えている。この社屋の横には「道しるべ地蔵」が鎮座し、その台座には「右は江戸 左は山道」と刻まれているという。かつて旅人が行き交った街道の面影を残すこの地で、越のむらさきは190年以上にわたり醤油を醸し続けてきた。
甘口醤油が根付いた理由
「越のむらさき」の代表的な商品「特選かつおだし 越のむらさき」は、その名の通りかつおだしを効かせた甘口の醤油である。新潟県内ではだし醤油文化を定着させたロングセラーとして知られ、県内加工醤油市場で高いシェアを誇る。
北陸地方の醤油は一般的に甘口が多いとされており、九州地方と並んで甘い混合醤油の産地として知られている。この甘さには諸説あるが、北洋漁業に従事する漁師たちの嗜好に影響を受けたという見方がある。船上で魚を調理する際、醤油一本で味が決まるように、甘味の強い醤油が好まれたという説も存在する。また、寒冷な気候の中で塩角を和らげ、まろやかな口当たりにするために甘味料が用いられた可能性も指摘されている。
「越のむらさき」の醤油造りにおいては、国産丸大豆と小麦を主原料とし、天然醸造にこだわる。麹(こうじ)がデンプンを糖分に分解し、その後酵母や乳酸菌が発酵を進めることで醤油の風味が形成される。特に「特選かつおだし 越のむらさき」では、厳選された国内産のかつお節を使用し、上品な旨味とまろやかな甘さを実現している。発売当初、家庭でだしを取ることが一般的だった時代に、だし入り醤油を定着させるまでには苦労もあったが、現在では多くの家庭で日常的に使われるまでになったという.
醤油の味を形作る北陸の風土
全国各地の醤油にはそれぞれ異なる特徴があるが、北陸の醤油、特に新潟のそれは、甘口という点で際立つ。関東の濃口醤油が塩味と旨味のバランスを重視し、関西の薄口醤油が素材の色を活かすことを目的とするのに対し、北陸では甘味が加わることで、独特の風味を醸し出している。
例えば、九州地方の甘口醤油は、特に鹿児島や宮崎など南部で非常に甘味が強く、とろみがあるのが特徴だ。これは、刺身や煮物といった郷土料理の味付けに深く関わっている。一方、北陸の甘口醤油は、九州ほどではないにせよ、塩角が取れたまろやかな味わいを追求する傾向が見られる。富山湾で獲れた新鮮な魚介類との相性を考慮し、魚の旨味を引き立てるような甘さが好まれてきた背景がある。
新潟県全体で見ると、米や大豆が豊富に採れること、そして適度な降雪と寒さがある気候が、味噌や醤油、日本酒といった発酵食品の醸造に適しているとされる。麹菌が活発に活動できる環境が整っていたことも、甘口醤油が発展した一因かもしれない。金沢の大野醤油が「甘い」と評される場合、それは甘味料による直接的な甘さだけでなく、塩角が取れたまろやかさを指すこともあるという。これは、単に砂糖を加えるだけでなく、発酵の過程で生まれる複雑な甘味や旨味を重視する、北陸ならではの繊細な味覚が背景にあることを示唆している。
伝統を守り、未来へ繋ぐ摂田屋の現在
長岡市摂田屋地区は、現在も「醸造・発酵のまち」としてその歴史的景観を色濃く残している。越のむらさきの社屋や煉瓦造りの煙突は、長岡市都市景観賞を受賞し、地域のシンボルとなっている。蔵の壁が黒ずんでいるのは、醤油製造に不可欠な麹菌によるものだという。
越のむらさきでは、創業以来190年以上にわたり、高品質な醤油を追求し続けている。昔ながらの天然醸造にこだわり、時間をかけた熟成期間を十分に持たせることで、上質な旨味を生み出している。一般的な醤油が半年ほどで製造されるのに対し、天然醸造では丸一年かけて発酵・熟成が行われるため、生産量やコストは増えるが、職人のこだわりがそこにある。
近年では、家族構成の変化に対応するため、大容量の製品だけでなく、鮮度を保てる密封ボトル入りの商品も開発している。また、工場見学も受け入れており、醤油の製造工程を間近で見学することで、伝統的な醸造の奥深さを知ることができる。摂田屋地区全体では、地域の醸造文化を活かした観光振興にも力が入れられており、「LIS摂田屋」のような施設も整備されている。中越大震災で損傷した煙突も、摂田屋の伝統的な町並みの一部として修復され、今もその姿をとどめている。
土地の記憶を纏う甘い香り
長岡の「越のむらさき」が醸し出す甘い香りは、単に調味料としての機能を超え、この土地の歴史と人々の暮らしの記憶を纏っている。旧三国街道の道しるべ地蔵が示すように、かつて物資と文化が往来した要衝であった摂田屋の地で、醤油造りは脈々と受け継がれてきた。
北陸の醤油が甘口であるという特徴は、寒さの中で求められた味覚の緩和や、海の幸を美味しく食するための知恵が凝縮された結果と見ることができる。それは、単に甘さを加えるという行為ではなく、塩味との調和、そして素材の旨味を引き出すための工夫が積み重ねられた結果生まれた、地域固有の「旨い」味なのだ。越のむらさきの醤油は、その甘さの中に、長岡の風土と、職人たちの実直な手間暇が溶け込んでいる。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- sakeya.biz
- 味噌・醤油 | 長岡うまいものドットコムnagaokasyokuzai.jp
- 新潟の醸造文化が息づく町・摂田屋の老舗醤油屋「越のむらさき」 - LOCAL IDENTITY STORE「 LIS 」摂田屋lis.farm8.jp
- 公益財団法人 東日本鉄道文化財団ejrcf.or.jp
- nii.ac.jpnagaoka-u.repo.nii.ac.jp
- 越のむらさき(地元に愛される老舗の醤油屋)|長岡の観光スポット|【公式】長岡観光ナビ - 新潟県長岡市の観光・旅行サイトnagaoka-navi.or.jp
- 株式会社 越のむらさき | TECH NAGAOKA [テックナガオカ]tech-nagaoka.jp
- 日本の原風景 : 「登録有形文化財」登録(長岡市・株式会社 越のむらさき)blog.livedoor.jp
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