2026/5/28
由比の「あかり」はなぜ有名?偶然と情熱が生んだ光の博物館

由比の歴史について教えて欲しい。なぜあかりが有名?
キュリオす
東海道の難所・由比宿と、偶然の発見から始まった桜えび漁。この地に「あかりの博物館」が生まれたのは、元電気工事士の個人的なコレクションがきっかけだった。光の進化を伝える博物館が、由比の歴史と文化に新たな光を当てている。
由比宿は、東海道五十三次の中でも江戸日本橋から十六番目の宿場として栄えた地である。現在の静岡県静岡市清水区に位置し、その規模は本陣一軒、脇本陣三軒、旅籠三十二軒と、静岡県内の宿場としては比較的小さかったという。しかし、この地が持つ地理的な条件が、宿場としての由比の重要性を際立たせていた。東に控えるのは、駿河湾に突き出すような断崖絶壁が続く薩埵峠である。ここは「東海道の親不知」とも称されるほどの難所で、旅人たちはこの険しい道のりを越えるために、由比宿で休息をとり、準備を整える必要があった。
この難所の風景は、浮世絵師・歌川広重の「東海道五拾三次之内 由井」にも描かれ、切り立った崖と広がる駿河湾、そして遠景の富士山が織りなす壮大な景色は、今も多くの人々に記憶されている。広重の描いた由比の情景は、まさに当時の旅の厳しさと、それを乗り越えた先に広がる絶景を伝えている。江戸時代中期には朝鮮通信使の通行のために尾根を通る道が整備されたというが、それでもなお、旅路における「明かり」の確保は、切実な問題であったはずだ。
由比の歴史を語る上で、もう一つ欠かせないのが「海の宝石」とも呼ばれる桜えびである。桜えび漁が由比の地で始まったのは、明治27年(1894年)のことだ。当時、望月平七と渡辺忠兵衛という二人の漁師がアジの夜曳漁に出ていた際、浮き樽を積み忘れたために網が深く沈み、偶然にも大量の桜えびがかかったことが、その始まりとされている。それ以前にも桜えびが獲れることはあったものの、漁法が確立されていなかったため本格的な漁は行われていなかったという。この偶然の発見が、由比の漁業に新たな道を拓き、現代に至るまで由比港と大井川港沖のみでしか漁獲されない、日本唯一の味覚として全国にその名を知らしめることになる。
由比が宿場町として栄えた時代から、桜えび漁という新たな産業が興り、その後の由比の町の経済と文化を支える柱となった。こうした歴史的背景の中で、由比には「由比宿東海道あかりの博物館」という、光の歴史を専門に扱う施設が存在する。この博物館は、由比の地が持つ歴史的な重みと、そこに生きた人々の暮らしに寄り添うように、照明器具の進化を展示しているのだ。
由比宿東海道あかりの博物館は、旧東海道沿いに位置する古民家を移築した建物にある。大正時代から昭和期を中心に、古灯具から現代の照明器具や電池まで、千点以上の「あかり」に関する品々が展示されているという。この博物館の始まりは、元電気工事士であった片山光男氏の個人的なコレクションに遡る。彼は「昔のものはとっておかないと無くなってしまう」という思いから、生涯をかけて様々な照明器具を集め続けた。2014年に光男氏が亡くなった後も、妻の嘉子さんがその遺志を継ぎ、博物館の管理を続けている。
ここでは、火起こし体験を通じて火打石から火を灯す原始的な方法から、菜種油、ロウソク、石油、ガス灯、そして電球へと至る「あかり」の進化の歴史を学ぶことができる。単に物品を展示するだけでなく、実際に当時の「あかり」が点灯される様子を見学できることも特徴だ。それは、かつての宿場町で旅人たちが頼りにしたであろう、夜道を照らす微かな光、あるいは家々の軒先を照らした明かりの記憶を呼び覚ますかのようだ。由比の「あかり」が有名であるという問いの答えは、特定の祭事や特産品ではなく、一人の人間が抱いた光への深い興味と、それを後世に伝えようとする情熱が生み出した、他に類を見ない博物館の存在にある。
由比の「あかりの博物館」が示す光の歴史は、多くの宿場町がその歴史を語る手法とは異なる点で興味深い。他の宿場町では、往時の建物や伝統的な工芸品、あるいは特定の祭りを通して歴史を伝えることが多い。例えば、特定の地域の「提灯祭り」や「花火大会」のように、地域固有の「あかり」の文化に焦点を当てることはあっても、由比のように「あかり」そのものの進化を網羅的に展示する博物館は珍しいと言えるだろう。
しかし、この「あかりの博物館」の存在は、由比が宿場町であったという歴史と無縁ではない。東海道の難所を抱え、夜間の移動が困難であった時代、旅人にとって「あかり」は生命線であった。その意味で、由比の地で「あかり」の歴史が語られることは、単なる個人の収集を超え、この地で生きた人々の暮らしと深く結びついている。また、由比のもう一つの象徴である桜えび漁も、偶然の発見から始まったという点で、個人の行動や偶発的な出来事が地域の文化や産業を形成する例として、由比の多様な側面を示している。多くの地域が地域の「らしさ」を模索する中で、由比は、宿場町としての歴史的背景と、個人の情熱が結実した独自の文化施設、そして偶然の発見から生まれた特産品という、複数の要素が重なり合うことでその輪郭を形成しているのだ。
今日の由比は、歴史的な宿場町の面影を残しつつ、現代の生活が息づく町となっている。旧東海道沿いには、由比本陣公園が整備され、本陣の表門や石垣、馬の水飲み場などが再現されている。この公園内には、歌川広重の浮世絵を展示する「静岡市東海道広重美術館」も併設されており、由比の地が持つ芸術的な側面にも触れることができる。
そして、「あかりの博物館」は、由比の旧東海道を散策する中で出会うことのできる、静かながらも確かな存在感を放っている。館長である片山嘉子さんは、夫の遺志を継ぎ、来館者に「あかり」の歴史を丁寧に解説しているという。桜えび漁は今も春と秋の年二回行われ、由比漁港には直売所や桜えび料理を提供する店が軒を連ね、訪れる人々に海の恵みを届けている。由比は、薩埵峠からの絶景、桜えびの豊かな恵み、そして宿場町の歴史と、一人の情熱から生まれた光の博物館が共存する場所として、多様な魅力を湛えているのだ。
由比の「あかり」が有名であるという問いは、一般的な地域活性化の文脈から見れば、少し意外な答えをもたらす。それは、特定の産業や祭事といった「地域ブランド」の確立とは異なる、一人の個人の情熱が結実した「文化遺産」の形をとっている。多くの宿場町が歴史的建造物の保存や伝統行事の継承に力を注ぐ中で、由比は「あかりの博物館」という形で、普遍的なテーマである「光」の歴史を、この宿場町という特定の場所で語り続けている。
この事実は、由比の桜えび漁が偶然の発見から始まったことと、どこか重なる部分がある。どちらも、当初は意図されなかった、あるいは個人的な動機から始まった出来事が、時を経て地域の個性となり、その物語を豊かにしている。由比の地は、東海道の難所という地理的条件がもたらした厳しい歴史と、偶発的な発見や個人の情熱によって育まれた文化が交錯する場所として、訪れる者に静かな問いを投げかけている。それは、地域の魅力とは、必ずしも壮大な計画や古くからの伝統のみから生まれるものではなく、むしろ偶然や個人のささやかな営みの中にこそ、その本質が潜んでいるのではないかという示唆である。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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