2026/7/2
なぜ養父市大杉の家は三階建てなのか?養蚕が育んだ独特の建築様式

養父市大屋町大杉について詳しく知りたい。伝統的建造物群保存地区になっている。
キュリオす
兵庫県養父市大屋町大杉地区には、三階建ての養蚕住宅が数多く残る。厳しい自然環境と養蚕業の発展が、この独特な建築様式を生み出した経緯と、その合理的な工夫について紹介する。
谷間の集落に並ぶ、三階建ての蚕室
兵庫県のほぼ中央に位置する養父市大屋町。その山深い谷間に、独特の景観を持つ集落がある。大屋川に沿って家々が軒を連ねる大杉地区だ。ここに足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、他の農村ではあまり見かけない、どっしりとした三階建ての民家群である。瓦葺きの屋根に設けられた越屋根(こしやね)や、壁一面に並ぶ掃き出し窓が、その異彩を際立たせている。なぜこの山間の小さな集落に、これほど特徴的な建築群が残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるに至ったのか。その背景には、厳しい自然環境と、それに適応しようとした人々の営みが深く関わっているのだ。
養蚕が育んだ三階建ての家並み
大杉地区は、氷ノ山(ひょうのせん)の山並みに抱かれた大屋川沿いに位置する山村集落である。集落の形成は16世紀半ばには始まっていたとされ、江戸時代には農業の副業として養蚕が営まれていたという。明治時代に入ると養蚕は主産業へと発展し、特に明治末期から昭和初期にかけて専業化が進んだ。この養蚕業の隆盛が、大杉地区の建築に決定的な影響を与えたのだ。
養父市大屋町は、但馬地域でも有数の養蚕地帯であり、中でも大杉地区には大型の養蚕住宅が多く残されている。養蚕農家は、蚕を飼育するための空間を確保するため、建物を大型化していった。当初は茅葺きの二階建てが多かったが、明治後期から大正期にかけて、既存の屋根を嵩上げし三階部分を増築する形で、三階建ての養蚕住宅が次々と建てられていったのである。中には、最初から三階建てとして新築された家屋も二棟存在する。
養父市全体では、平成18年(2006年)の調査で495棟もの三階建て養蚕住宅が確認されており、これは全国的に見ても極めて珍しい規模だという。大杉地区の建物は、江戸時代後期から昭和30年代までに建てられた主屋や土蔵からなり、現在も27棟の主屋が現存している。そのうち12棟が三階建ての養蚕住宅であり、これらの建物群と、谷川の水路、石垣、社寺建築などが一体となって、地方色豊かな歴史的景観を形成しているのだ。
平成13年(2001年)には兵庫県景観形成地区に指定され、地域の景観維持が進められてきた。そして平成29年(2017年)7月31日、大杉地区の約5.8ヘクタールが国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。これは全国で115地区目、兵庫県内では5地区目であり、「山村・養蚕集落」という種別では全国で4地区目、西日本地域では初の選定であった。この選定は、但馬地域の厳しい自然環境の中で養蚕を発展させるために成立した、木造三階建ての特色ある農家主屋群が、わが国にとって価値が高いと評価された結果である。
養蚕が生み出した合理的な建築
大杉地区の養蚕住宅の建築様式には、蚕の飼育に適した工夫が凝らされている。特徴的なのは、切妻造の瓦葺き屋根に設けられた「抜気(ばっき)」と呼ばれる換気装置、そして二階と三階に採用された大壁造と掃き出し窓である。
蚕は温度や湿度に敏感であり、適切な環境を保つことが飼育の成否を分けた。そのため、養蚕住宅の二階と三階は蚕室として使われ、昼間は屋根瓦が熱せられて室温が上昇するため、窓を開けて通気性を高め、屋根の抜気から熱気を逃がす構造になっている。夜間は窓を閉め、コンロに炭火を入れて温度を保ったという。外壁は柱が見えない大壁造で、厚く塗られた土壁が保温性と調湿性を高める役割を果たしていた。
窓は蚕室の床面まで開く長方形の掃き出し窓が並び、これは換気を効率的に行い、飼育で発生する塵芥を外部へ排出する目的があった。また、大量の桑の葉を三階まで運び上げるために、土間上部の天井を三階まで吹き抜けにし、屋根裏に滑車を取り付けた住宅も存在した。これは、職住同居の形態の中で、生活空間と生産空間を合理的に一体化させた結果だと言える。
大杉地区の養蚕住宅は、明治中期以降に群馬県の高山社から導入された養蚕技術を背景に、養父市で独自に発展したとされる。特に、既存の二階建て茅葺き住宅を瓦葺きの三階建てに増改築した事例が多く見られ、これはこの地域の養蚕業の発展段階を物語るものだ。瓦葺きは茅葺きに比べて維持管理の手間が少ない利点があったと考えられる。
豪雪地帯の知恵と異なる集落の姿
養父市大屋町大杉の養蚕住宅が持つ三階建ての構造や、越屋根、掃き出し窓といった特徴は、日本の他の伝統的建造物群保存地区と比較すると、その地域の自然条件と産業に根ざした独自の発展が見えてくる。
例えば、岐阜県の白川郷・五箇山の合掌造り集落は、豪雪地帯という共通の条件を持つ。合掌造りの屋根は、急勾配で雪が滑り落ちやすいように設計され、内部は二階から五階建ての多層構造で、広い屋根裏空間が養蚕の作業場として活用されてきた。囲炉裏の煙が屋根裏に行き渡ることで、蚕の飼育に適した温度を保ち、同時に茅葺きの屋根材を虫や腐食から守る効果もあったという。白川郷の家屋は屋根の棟を谷の流れに沿った南北方向に建て、季節風を受け流し日照量を調整する「平入り」が多いのに対し、五箇山では雪の重みに耐えるため屋根勾配がより急で、「妻入り」の家屋が多いといった違いがある。
京都府南丹市の美山かやぶきの里もまた、茅葺き屋根の集落として知られる。美山の茅葺きは主に住居として発達し、ススキを中心に地域のヨシ、アサなどを組み合わせた混合型の茅葺きが特徴だ。屋根の厚みは30〜40cmほどで、断熱性と通気性のバランスが考慮されている。美山では、屋根裏を囲炉裏の煙で燻して防虫・防腐を行う「煙草(えんど)」という文化があり、茅葺き屋根が地域の暮らしと連動した「生きた仕組み」となっている点は、白川郷と共通する。
一方、福島県の大内宿は、江戸時代の宿場町の姿を今に伝える集落である。会津西街道の宿場として栄え、茅葺き屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ景観が特徴だ。大内宿の家屋は「半農半宿」という形態で、農業と宿場機能を兼ね備えていた。
大杉の養蚕住宅がこれらの集落と決定的に異なるのは、その「三階建て」という形式と、瓦葺きが主流である点だ。白川郷や美山が茅葺きの多層構造で豪雪に対応し、養蚕や生活空間を確保したのに対し、大杉では養蚕の専業化が進む中で、より効率的な蚕室空間を確保するために、既存の二階建てに三階部分を増築するという独自の手法が取られた。瓦葺きは茅葺きに比べて葺き替えの手間や費用を軽減できるため、経済的な合理性も背景にあったと考えられる。また、大杉の養蚕住宅の二階・三階は柱が見えない大壁造で掃き出し窓を並べるが、これは白川郷や美山で見られるような、茅葺き屋根の構造体を見せる開放的な空間とは対照的である。
これらの比較から、大杉の養蚕住宅は、豪雪地帯という自然条件と、養蚕業という特定の産業、そして経済的な合理性が融合して生まれた、極めて地域性の高い建築様式であることがわかる。
養蚕の記憶を宿す集落の現在
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された養父市大屋町大杉は、現在もその独特の景観を保ちながら、静かな時を刻んでいる。集落内には27棟の主屋が現存し、そのうち三階建ての養蚕住宅は12棟を数える。これらの建物は江戸後期から昭和前期にかけて建てられたもので、平成に新築された1棟を除き、すべて築50年以上を経過している。
保存地区内の伝統的建造物の一部は、地域活性化のために活用されている。例えば、明治前期の茅葺き二階建てを三階建てに増築した養蚕農家住宅は、簡易宿泊施設「ふるさと交流の家いろり」として利用されている。また、明治後期に建てられた旧栃尾医院は、養父市が主催する木彫の全国公募展「木彫フォークアート・おおや」の入賞作品を常設展示する「木彫展示館」として改修された。江戸後期の養蚕農家住宅を改修した「分散ギャラリー養蚕農家」では内部見学も可能だ。
しかし、他の地方の山村集落と同様に、大杉地区も少子高齢化や人口減少といった課題を抱えている。養蚕業は平成3年(1991年)に大屋町での営みが終了しており、集落の基幹産業は失われた。かつて盛んだった炭焼きも、現在は一箇所を残すのみだという。
それでも、地域では景観の保存と活用に向けた取り組みが続けられている。平成27年(2015年)には、三階建て養蚕農家住宅を活用した宿泊施設「但馬古民家の宿 大屋大杉」が開業し、歴史ある集落に滞在する機会を提供している。また、毎年8月16日には、地区の伝統芸能である「大杉ざんざこ踊り」が二宮神社に奉納され、集落の活気を今に伝えている。
住民たちは、空き家の増加や農地・山林の維持管理、医療や買い物といった日常生活の不便に不安を抱えながらも、この自然豊かな地域で住み続けたいという思いが強い。このような状況の中で、伝統的建造物の修理修景事業や案内板の設置、地域づくり計画の策定などが進められている。
谷間に残る、養蚕の記憶と集落の工夫
養父市大屋町大杉の集落に立つと、三階建ての養蚕住宅群が織りなす独特の景観が、まず視界を占める。一見すると、豪雪地帯の山村に突如現れた異質な存在のようにも映るが、その背景には、この地の厳しい自然条件と、人々が生き抜くために選んだ養蚕という産業、そしてそれに適応した建築の工夫が凝縮されている。
白川郷の合掌造りが、茅葺きの分厚い屋根と多層の空間で豪雪と養蚕を両立させたように、大杉の三階建て住宅もまた、限られた耕地面積と冬の寒さの中で、効率的な蚕室空間を確保するための合理的な選択であった。瓦葺きの屋根、大壁造の外壁、そして掃き出し窓といった要素は、蚕の飼育に必要な温度・湿度管理と換気性能を追求した結果であり、単なる伝統の踏襲ではない、実践的な知恵の結晶である。
かつて養蚕が盛んだった時代、これらの家屋は単なる住居ではなく、家族の生活と蚕の命が一体となった生産の場であった。その記憶は、今も集落の石垣や水路、そして何よりも、そこに並び立つ三階建ての家々の佇まいに刻まれている。大杉の集落景観は、特定の産業が地域社会と建築に与えた影響を具体的に示し、また、変化する時代の中で人々がいかに環境と向き合い、生活の基盤を築いてきたかを物語っている。
その場所で営まれた歴史と、そこに住む人々の工夫によって形作られた風景は、訪れる者に、土地の条件と人間の営みが織りなす深いつながりを認識させるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。