「ヤーヤドー」「ラッセラー」は、なぜ意味を失い響きだけが残ったのか?

意味を失い、響きだけが残った夜に
青森の夏を歩くと、耳に残るのは言葉の意味ではなく、その震動そのものだ。弘前の夜を支配する「ヤーヤドー」という重低音。そして青森市の街角で弾ける「ラッセラー」という高音の連呼。これらは今でこそ祭りを盛り上げるための記号として機能しているが、その音の連なりを一つずつ解いていくと、かつてこの土地の人々が抱いていた切実な恐怖や、図々しいほどの生への執着が浮かび上がってくる。
多くの観光客は、これらを単なる「囃子詞」として受け流すだろう。あるいは、何か古来の神事に基づいた高尚な呪文のようなものだと想像するかもしれない。だが、記録を遡り、土地の言葉の変遷を辿ってみると、そこにあるのはもっと泥臭く、実務的で、時に攻撃的な人間の意志である。なぜ、わずか数十キロしか離れていない二つの街で、これほどまでに質感の異なる声が選ばれたのか。
その違いは、単なる方言の差や好みの問題ではない。そこには「追い払いたいもの」と「引き出したいもの」という、ベクトルが真逆の欲望が潜んでいる。私たちは「ヤーヤドー」や「ラッセラー」という響きの中に、かつての津軽の人々が暗闇に対して放った、むき出しの言葉の残骸を見つけることができるのではないか。
睡魔を払い災厄を送り出す儀礼
祭りの起源を辿れば、そこには「眠り流し」という、極めて実務的な民俗行事に行き着く。現代の私たちにとって眠りは休息だが、かつての農耕社会、特に過酷な労働を強いられる夏の津軽において、抗いがたい睡魔は「魂が体から離れる予兆」であり、死に近づく不吉な現象と捉えられていた。柳田国男は『眠流し考』の中で、関東以北に広がるこの行事を、害悪としての睡魔を払い、災厄を村の外へと送り出す儀礼として位置づけている。
江戸時代の記録を見れば、かつての掛け声は今のような短いフレーズではなかった。天明8年(1788年)に弘前藩士・比良野貞彦が記した『奥民図彙』には、当時のねぷたの様子とともに「ねぷたは流れろ、豆の葉はとまれ」という唱え言が記されている。この一文こそが、祭りの本質を最も雄弁に語っている。
ここでいう「ねぷた(ねぶた)」とは、眠気そのものを指す。そして「豆の葉」の「まめ」は、健やかであること、つまり健康を意味する掛詞だ。悪い眠気は川へ流し去り、健やかな体だけをここに留めてほしい。そんな切実な祈りが、かつての祭りの中心にはあった。享保5年(1720年)の『弘前藩庁日記』にも、藩主が「眠流」を高覧した記録が残っているが、当時の祭りは現代のような熱狂的なパレードではなく、もっと静かで、呪術的な「送り出し」の儀式であったことが推察される。
言葉がリズムへと解体される前、人々は明確な文章を口にしていた。「ねぷたこぁ流れろ、豆の葉っこ留まれ」。この長い一節が、時代の荒波に揉まれ、都市の喧騒に洗われる中で、次第に削ぎ落とされていった。その過程で、弘前では「ヤーヤドー」が、青森では「ラッセラー」が、それぞれの土地の性格を反映しながら結晶化していったのである。
弘前ねぷたに宿る武士の矜持
弘前ねぷたの「ヤーヤドー」には、城下町特有の抑制された力強さが宿っている。この言葉の由来には諸説あるが、有力なものの一つに、かつてのねぷた歌の末尾にあった「いやいやいやよ」というフレーズが転じたという説がある。前述の『奥民図彙』にも「いやいやいやよ」と囃す記述が見られ、これが長い年月を経て「ヤーヤドー」へと凝縮されたという見方だ。
一方で、弘前ねぷたには「喧嘩ねぷた」としての側面が色濃く残っている。明治から昭和初期にかけて、町内同士のねぷたが道で鉢合わせると、どちらが道を譲るかを巡って激しい乱闘が繰り広げられた。明治20年代の新聞報道によれば、警官隊すら制御できないほどの騒乱が毎年のように起きていたという。こうした背景から、「ヤーヤドー」を武士が戦場で上げる「ヤァヤァ」という名乗りや、気勢を上げるための鬨の声と結びつける説も根強い。
弘前のねぷたは、扇形が主流である。これは藩祖・津軽為信の幼名「扇」にちなむとも、経費を抑えつつ武者絵を大きく見せるための知恵とも言われるが、その静かに進む姿は軍隊の行軍を思わせる。囃子のテンポも青森に比べて遅く、腹に響く大太鼓の音が先行する。この重厚なリズムに乗せるには、跳ねるような言葉よりも、長く尾を引く「ヤーヤドー」という母音が適していたのだろう。
「ヤーヤドー」の「ドー」という響きには、相手を威圧し、自らを鼓舞するような、ある種の重圧感がある。それは、眠気を「流す」という消極的な防御から、土地の誇りをかけて「進む」という積極的な意志へと、祭りの目的が変容した証左でもある。城下町の秩序と、その裏側に潜む若者たちの攻撃性が、この四文字の中に封じ込められている。
青森ねぶたを支えた「ろうそくもらい」
対する青森ねぶたの「ラッセラー」は、驚くほど即物的な由来を持っている。現在では「ラッセラー、ラッセラー」と二拍子で繰り返されるが、戦前までは「ラッセ、ラッセ」あるいは「ラセ、ラセ」という、より短い呼びかけであった。この語源として定説となっているのが、「出せ、出せ」という津軽弁の転訛である。
かつて、ねぶたの照明はすべて本物のろうそくだった。巨大な灯籠を光らせるには膨大な数のろうそくが必要であり、子供たちは家々を回って「ろうそく出せ、出さねばかっちゃく(引っ掻く)ぞ」と歌いながら、資材や寄付を集めて歩いた。この「ろうそくもらい」の風習は、今も北海道の一部の七夕行事にその形を留めているが、青森ではこれが祭り本体の掛け声へと取り込まれていった。
「ラッセラー」の「ラー」は、掛け声をより響かせ、勢いをつけるために後付けされたものだと言われている。青森市は港町として発展し、商人の活気と開放的な気風が満ちていた。城下町の弘前が「静」の運行を守ったのに対し、青森は戦後、観光化とともに「動」の祭りへと急速に進化を遂げる。昭和30年代、跳人(ハネト)のステップがより激しく、アクロバティックに体系化されるに従い、掛け声もまた、その跳躍のリズムに同期するように「ラッセラー」という爆発的な連呼へと固定されていった。
ここには「眠り流し」という本来の忌避感は微塵も感じられない。むしろ、他人から何かを引き出し、場を熱狂させ、エネルギーを循環させようとする、商人的な、あるいは大衆的な図太さがある。「出せ、出せ」という強引な要求が、いつしか祭りの最高潮を告げる歓喜の叫びへと昇華された。言葉の意味が忘れ去られたことで、皮肉にもその背後にある「強請る」という原始的なたくましさが、純粋な音として解き放たれたのである。
五所川原と秋田に見る関係性の声
弘前と青森の二大巨頭を相対化させるのが、五所川原の「ヤッテマレ」という掛け声だ。津軽弁で「やってしまえ」を意味するこの言葉は、他の二つに比べて意味が露骨であり、隠喩の余地がない。五所川原立佞武多は、かつて高さ20メートルを超える巨大な山車を競い合った豪商たちの力の象徴であった。
明治から大正にかけて、五所川原のねぷたは「喧嘩ねぷた」の極致にあった。道で出会えば、相手の山車を壊し、石を投げ合う。文字通り「やってしまえ」という破壊の命令が、そのままお囃子のリズムになった。電線の普及によって一度は途絶えたこの巨大山車が平成に入って復活した際、掛け声もまた、かつての荒々しい「ヤッテマレ」が採用された。
一方で、秋田の竿燈まつりを見ると、また別の風景が見えてくる。こちらの掛け声は「ドッコイショー、ドッコイショ」だ。重い竿燈を持ち上げ、バランスを保つための労働の掛け声がそのまま祭りの声となっている。さらに、竿燈がピタリと据わった時には「オエタサー(据わった)」という声が飛ぶ。稲穂に見立てた竿燈が地面に根付くことを祝う、農耕儀礼としての言葉が生きている。
こうして比較してみると、津軽の掛け声がいかに「関係性」の中から生まれているかが際立つ。弘前の「ヤーヤドー」は対峙する相手への威嚇を含み、青森の「ラッセラー」は他者への要求から始まり、五所川原の「ヤッテマレ」は闘争そのものを駆動する。秋田の「ドッコイショ」が自分たちの身体と道具の対話であるのに対し、津軽の声は常に、外側にいる誰か、あるいは何かを動かそうとする圧力に満ちている。
土地の土壌が吐き出す呼吸
現在の青森ねぶたや弘前ねぷたは、年間数百万人の観光客を集める巨大なイベントである。山車は大型化し、照明はLEDに変わり、お囃子は保存会によって洗練された。その整然とした運行の中で、かつての「ろうそく出せ」という図々しい要求や、「いやいや」という呪術的な唱え言を想起するのは難しい。
しかし、運行の合間にふと静寂が訪れた時、あるいは若者たちが喉を潰さんばかりに叫ぶその瞬間に、言葉の「意味」が剥落したあとの純粋な響きが、土地の空気を震わせるのがわかる。彼らはもはや、自分が「ろうそくを出せ」と言っているとも、「眠気よ去れ」と言っているとも意識していないだろう。だが、その声の出し方、息の継ぎ方、腹の底から絞り出す音の成分には、数百年かけてこの土地が積み上げてきた、暗闇への対処法が刻み込まれている。
「ヤーヤドー」という沈み込むような音韻は、城下町の石畳に染み込んだ規律と誇りを呼び覚ます。「ラッセラー」という弾けるような音節は、港を吹き抜ける風のような奔放さを体現する。言葉が意味を失い、単なる駆動音へと変わった時、それは特定の誰かのメッセージではなく、その土地の土壌が吐き出す「呼吸」そのものになった。
祭りが終わり、巨大な山車が小屋へと消えていく時、最後の一声が夜の闇に吸い込まれる。その後に残るのは、かつての「眠り流し」が目指した静寂ではなく、次の夏までこの土地を駆動し続けるための、熱を帯びた余韻である。意味を捨て、響きだけを選び取った津軽の人々の知恵は、今も夜空を震わせる。
音の骸が土地を駆動する
私たちが耳にしている「ヤーヤドー」や「ラッセラー」は、いわば言葉の骸(むくろ)である。本来の文章としての意味は死に絶え、発音の骨格だけが、祭りの熱狂という防腐剤によって保存されている。だが、意味が消えたからこそ、その音は特定の時代や文脈を超えて、現代の私たちの肉体を直接揺さぶるエネルギーへと転換された。
「ねぷたは流れろ、豆の葉はとまれ」という丁寧な祈りは、現代のスピード感にはそぐわない。だが、その一節を「ヤーヤドー」という四文字に圧縮したことで、祭りは呪術からスポーツへ、あるいは芸術へと進化することができた。意味を喪失させることは、伝統を劣化させることではなく、むしろその本質的な駆動力を抽出するプロセスだったのではないか。
弘前の静謐な威圧感と、青森の爆発的な開放感。その対比は、そのまま「守るべき秩序」と「広げるべき欲望」という、人間社会の二つの側面を映し出している。私たちは「ヤーヤドー」に応え、「ラッセラー」に煽られながら、知らず知らずのうちに、この土地が数百年かけて磨き上げてきた、生を肯定するためのリズムに組み込まれていく。
言葉が意味を失った時、それはもはや理解の対象ではなく、体験の対象となる。青森の夜を震わせるあの声は、かつての人々が睡魔という死に抗うために絞り出した、最後の一撃の残響なのだ。その音の粒子が、今も私たちの肌を粟立たせ、夏の終わりを告げる冷たい風を押し返している。

旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 財団法人 地域創造-地域伝統芸能まつり 出演地域伝統芸能jafra.or.jp
- ON THE TRIPon-the-trip.net
- 知っているようで知らない「ねぶた」の真実。民俗学の専門家が明かす5つの意外な事実|青森太郎(ソウマ シンキチ)note.com
- ねぷたQ&A|津軽藩ねぷた村neputamura.com
- 立佞武多は喧嘩ねぷた!ヤッテマレ! – 津軽Style / 写真家・伊藤圭のフォトギャラリーtsugarustyle.jp
- 立佞武多特集 – 一般社団法人 五所川原市観光協会go-kankou.jp
- 五所川原立佞武多aomori.mytabi.net
- 日本が誇る美しき伝統の技 -秋田竿燈まつりの見どころを紹介-travel.alpico.co.jp