2026/6/19
葛城の山々はなぜ複雑な地形になったのか?断層と火山活動の痕跡

葛城の山はどのような地形的な成り立ちなのか?葛城のあたりの地形はちょっと独特だ。
キュリオす
大阪平野にそびえる葛城の山々は、花崗岩の隆起、白亜紀の堆積岩、火山活動の痕跡など、数千万年にわたる地質学的変動を経て形成された。断層運動と堆積作用が織りなす複雑な地形の成り立ちを探る。
大阪平野に臨む葛城の稜線
大阪平野に立つと、東に連なる山々が印象的な壁のようにそびえ立つ。その中でも、ひときわ目を引くのが葛城の山々だ。奈良県と大阪府の境に位置する「大和葛城山」と、大阪府と和歌山県の境に東西に連なる「和泉葛城山」。同じ「葛城」の名を冠しながら、その表情は異なり、周辺の平野部との関係も独特に見える。なぜこの一帯の地形はこれほど多様で、一見して複雑な成り立ちをしているのだろうか。その問いを抱き、足元の地層に目を凝らすと、そこには地球の長い歴史と、幾度もの劇的な変動の痕跡が刻まれていることに気づく。
大地が刻んだ数千万年の記憶
葛城の山々が現在の姿を現すまでには、数千万年にも及ぶ地球の営みがあった。その物語は、まず日本列島がまだ大陸の一部であった中生代後期白亜紀に遡る。この時代、現在の金剛山地や生駒山地を構成する花崗岩が、地下深くでマグマがゆっくりと固まることで形成された。例えば生駒山を構成する花崗岩や斑れい岩は、約1億年前に地下でできたものだとされる。 一方、和泉山脈を形成する和泉砂岩もまた、白亜紀後期の堆積岩である。これは中央構造線沿いに沈降した細長い海盆に、大量の土砂が堆積してできたものだ。この海盆は、中央構造線の左横ずれ運動に伴って形成され、沈降の中心が西から東へと移動したため、地層の時代も西から東へ新しくなっていくという特徴を持つ。
そして新第三紀中新世、今から約1600万年前から1300万年前にかけては、現在の二上山一帯で激しい火山活動が繰り広げられた。爆発的な噴火が繰り返され、溶岩や火山灰、火砕流が堆積した。この火山活動は1000万年前頃には終息し、その後の長い年月の中で風化と浸食が進む。現在の二上山に見られる雄岳と雌岳の二つの峰は、火山の本体が失われた後も、マグマの通り道であった「火道」の硬い部分だけが残された「火山岩頸(かざんがんけい)」と呼ばれる地形である。
地殻変動が本格的に活発化するのは、約300万年前、新第三紀鮮新世の終わり頃に始まる「六甲変動」と呼ばれる時期からだ。この変動によって、断層活動を伴う激しい隆起と沈降が始まり、現在の金剛山地や生駒山地、そして奈良盆地や大阪平野といった起伏が形成されていく。約120万年前には、鈴鹿山地や生駒山地などの南北方向の山々が隆起し、紀伊水道の沈降が顕著になるなど、近畿中央部の地形が大きく変化した。これらの地殻変動が、葛城の山々、そしてその周辺の盆地や平野の骨格を決定づけたのである。
断層と堆積が織りなす地形の構造
葛城のあたりの地形が独特に見えるのは、複数の地質構造が複雑に絡み合い、それが異なる年代に形成された地層と結びついているためである。その主たる要因は、大規模な断層運動と、それに伴う地塊の傾動、そして堆積作用だ。
まず、大和葛城山を含む金剛山地や、その北に連なる生駒山地は、「傾動地塊(けいどうちかい)」と呼ばれるタイプの山地である。これは、活断層の活動によって地塊全体が傾きながら隆起した結果、片側が急斜面、もう片側が緩斜面となる地形を指す。例えば生駒山は、大阪府側を縦走する生駒断層の隆起によって形成されたため、大阪側が急峻な斜面であるのに対し、奈良側は比較的緩やかな傾斜になっている。大和葛城山も同様に、奈良盆地側(東側)は断層崖をなし急斜面であるが、大阪平野側(西側)は緩やかに傾斜している。金剛山地では、特に奈良盆地側に金剛断層や山田断層といった逆断層が走り、山地側が隆起し、奈良盆地側が沈降する動きを続けてきた。
次に、大阪府と和歌山県の境に位置する和泉葛城山を含む和泉山脈は、先述の通り白亜紀の和泉砂岩から成るが、これもまた傾動性の山地である。和泉山脈は北に緩やかな傾斜を持ち、南に急傾斜するという特徴がある。この山脈の形成は、日本列島を東西に横断する中央構造線の活動と密接に関わっている。中央構造線の北側に沿って細長く分布する和泉層群は、この断層の左横ずれ運動によって沈降した海盆に堆積した地層であり、その後の地殻変動によって隆起し、現在の山脈を形成したのだ。
そして、これらの山地に挟まれるように広がる大阪平野と奈良盆地も、地殻変動と堆積作用の産物である。大阪平野は、縄文時代前期に「縄文海進」と呼ばれる海面上昇期には内海の一部(河内湾)であった。その後、淀川や大和川の度重なる氾濫によって土砂が堆積し、徐々に陸化が進んで「河内湖」を経て現在の低地が形成された。一方、奈良盆地は、周囲の山地の隆起と並行して盆地状に沈降した「構造盆地」である。かつては淡水をたたえた「古奈良湖」が存在し、隆起する山地から流出した土砂が埋積することで、現在の肥沃な盆地底が形成されたのだ。このように、葛城のあたりは、異なる地質を持つ山地が断層によって隆起し、その間に堆積盆地が沈降するという、ダイナミックな地殻変動の舞台であった。
構造盆地の縁に立つ山々
葛城の山々やその周辺の地形的成り立ちを他の地域と比較すると、その特徴がより鮮明になる。日本列島には活断層による隆起で形成された山地は多いが、葛城の山々が位置する近畿中央部は、特に南北方向の断層運動が顕著な地域だ。例えば、生駒山地や金剛山地のような「傾動地塊」は、西日本に広く見られる六甲山地の形成メカニズムと共通する部分を持つ。六甲山地もまた、断層運動による隆起で形成された山地であり、南北方向の圧縮力が東西方向の断層活動を引き起こした結果、現在の姿になったとされる。しかし、六甲山地が主に花崗岩からなるのに対し、葛城の山々では、大和葛城山が領家花崗岩を主体とする一方で、和泉葛城山が和泉砂岩という白亜紀の堆積岩からなる点が特徴的である。
また、二上山のような「火山岩頸」は、伊豆半島など火山活動が活発な地域では見られるものの、葛城の周辺のような内陸部で、しかも周囲が断層性隆起山地である中に独立して存在するのは、やや珍しいと言える。伊豆半島の葛城山も「火山の根」の一つとされるが、その周辺の地質環境は大きく異なる。二上山の火山活動が、周囲の地殻変動とは異なる時期(中新世)に起こり、その後の浸食に耐えて残った結果、現在の独特の山容を呈しているのだ。
さらに、葛城の山々が大阪平野と奈良盆地という二つの異なる盆地・平野を挟むように位置している点も、この地域の地形を特徴づける。大阪平野が河川の堆積作用によって形成された沖積平野であるのに対し、奈良盆地は地殻運動によって沈降した構造盆地という違いがある。この二つの大きな低地帯が、それぞれ異なる地質を持つ複数の山地によって隔てられている構造は、日本の他の主要な盆地・平野と山地の関係を見ても、その複雑さにおいて特筆すべきだろう。金剛山地の東麓に見られる段丘地形は、金剛断層の活動による西側隆起(傾動山地)と、それによって急傾斜となった葛城川などの河川による下刻侵食力の増大が合わさって形成されたものだ。このように、葛城のあたりは、断層による隆起と沈降、火山活動、そして河川による堆積と浸食といった多様な地質作用が、時間的・空間的に重なり合って現在の姿を形成した、日本列島のダイナミックな変動を凝縮した場所だと言える。
山麓に息づく人々の暮らしと地質
葛城の山々が織りなす独特の地形は、古くからこの地で暮らす人々の営みに深く影響を与えてきた。急峻な山肌と、その麓に広がる平野や盆地という対照的な景観は、人々の生活様式や文化、そして交通路の形成に直接的な影響を及ぼしている。
例えば、奈良盆地側から見ると切り立った断層崖をなす大和葛城山や金剛山の東麓には、古くから集落が形成されてきた。山麓には、山地から運ばれた土砂が堆積してできた扇状地が広がり、水田耕作に適した肥沃な土地を提供してきたのである。また、金剛山地の主な地質である花崗岩は風化すると「真砂土(マサ土)」と呼ばれる砂になり、これが大雨によって山麓に運ばれ、扇状地を形成する。奈良ではこの真砂土を「御所土」と呼び、古くから利用されてきたという。
一方、二上山の周辺では、その火山活動が生み出した特別な岩石が、古代の人々の生活に不可欠な資源となった。二上山から産出されるガラス質の安山岩、特にサヌカイトは、打ち砕くと鋭利な刃ができるため、旧石器時代から弥生時代にかけて石器の主要な原材料として利用された。その流通は近畿地方全域に及び、「二上山文化圏」を形成していたとされる。また、二上山の凝灰岩は、藤ノ木古墳や高松塚古墳、キトラ古墳の石棺や石槨にも利用され、その石切場跡が今も残されている。これは、地形がもたらす地質資源が、古代国家の形成や文化の発展に大きく寄与した具体的な例と言えるだろう。
現代においても、葛城の山々は人々の生活に密接に関わっている。金剛生駒紀泉国定公園に指定されているこの地域は、年間約1900万人もの人々がハイキングや自然観察に訪れる憩いの場となっている。葛城山ロープウェイを利用すれば、手軽に山頂まで登ることができ、そこからは大阪湾や関西国際空港、さらには遠く大台・大峯の山々まで見渡せる雄大な眺望が楽しめる。しかし、花崗岩が風化してできるマサ土は、大雨の際に斜面崩壊を起こしやすいという課題も抱えている。このように、葛城の山々は、その地質的な成り立ちが、古代から現代に至るまで、人々の暮らし、文化、そして課題に深く刻み込まれているのである。
異なる地質が共存する風景
葛城の山々を巡る旅は、単一の地質構造で説明しきれない、多様な大地の表情に触れる経験となるだろう。大阪平野や奈良盆地から見上げると一連の山塊に見える「葛城の山」という呼称は、実は地質学的には異なる成り立ちを持つ複数の山々を包括している。大和葛城山が領家花崗岩を主体とする断層性隆起山地である一方、和泉葛城山は中央構造線に沿って形成された和泉砂岩の傾動地塊であり、さらに二上山は火山活動の痕跡である火山岩頸である。
この地域の地形が「ちょっと独特だ」と感じられるのは、とりわけこの「異なる地質の山々が、活発な断層運動によって隆起し、その間に盆地や平野が形成されてきた」という複雑なプロセスが、比較的狭い範囲に凝縮されている点にある。約1億年前の花崗岩が隆起し、数千万年前の火山活動の痕跡が残り、白亜紀の堆積岩が山脈を形成する。そしてその間を、数百万年前から始まった地殻変動が、盆地や平野の沈降と山地の隆起を促してきたのだ。
この多様な地質のモザイクは、単なる地学的な興味に留まらない。古代の人々がサヌカイトを求め、凝灰岩を石棺に用いたように、それぞれの地質がその土地固有の資源となり、文化を育んできた。葛城の山々は、地球のダイナミックな歴史が、現代の私たちの足元にまで連綿と続いていることを静かに語りかけている。それは、風景を眺める視点に、確かな奥行きを与えてくれるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。