2026年5月16日
四股名と部屋名の由来、江戸時代から続く命名の系譜
相撲の四股名と部屋名の命名には、江戸時代に端を発する「醜名」の時代から、自然の雄大さ、古典文学、そして地域への愛着といった多様な要素が反映されてきた。部屋の伝統や師弟関係、力士個人の背景も影響し、現代に至るまでその命名の哲学は受け継がれている。
四股名と部屋名が紡ぐ、土俵の上の物語
土俵に上がる力士たちの名、いわゆる「四股名」は、単なる呼び名以上の重みを持つ。⚫︎⚫︎富士、⚫︎ノ川、⚫︎⚫︎風といった類型的な響きには、力強さや自然の雄大さが込められているように感じられるが、その一方で、錦木のように和歌や能の世界を思わせる雅やかな名も存在する。なぜ相撲の世界では、このような多様な命名の慣習が生まれ、今日まで受け継がれてきたのだろうか。その背景には、力士個人の個性や部屋の伝統、さらには日本文化に深く根ざした美意識が複雑に絡み合っている。
江戸勧進相撲から「醜名」の時代へ
四股名の誕生は、興行としての勧進相撲が始まった江戸時代に遡るとされる。それ以前の戦国時代には、力士たちは本名やそれに準ずる通称で相撲を取っていたという。文献上で「醜名(しこな)」という言葉が初めて確認されるのは17世紀前半のことだ。この「醜」という字は、現代の「みにくい」という意味ではなく、「逞しい」「強い」といった肯定的な意味合いで用いられていたのだ。当初の四股名は、古典に登場する豪傑の名を取るなど、荒々しいものが多かった。
しかし、由井正雪の乱の後、江戸幕府によって一時的に四股名の使用が禁じられた時期もあった。これは、謀反を企む浪人が素性を偽って相撲巡業に潜伏するのを防ぐための措置だったという。幕政が安定し、使用が解禁されると、谷風梶之助や小野川喜三郎といった名力士が活躍した寛政期には、四股名に変化が見られ始める。単なる勇ましさだけでなく、「山」「川」「花」「海」といった自然を象徴する文字を盛り込み、優雅さを強調した名が増えていったのだ。この頃から、現代に続く四股名の多様なパターンが形作られ始めたと言えるだろう。
自然の雄大さと古典の雅が織りなす名
相撲の四股名には、いくつかの顕著なパターンが存在する。最も多いのは「山」の字であり、それに「富士」「川」「風」といった自然の要素が続く。「富士」は日本最高峰の山として、力士の目指す高みや雄大さを象徴する。また「旭」は日の出、「風」は雄大なイメージを表し、部屋の継承名としても多く使われている。一方で「川」は「流れる」イメージから縁起が悪いと敬遠されがちだった時代もあるが、古くから多くの力士に用いられてきた字でもある。
部屋の伝統も四股名に大きな影響を与える。例えば、春日野部屋では「栃」、佐渡ヶ嶽部屋では「琴」、九重部屋では「千代」といった特定の漢字を冠する力士が多い。これらは、部屋の開祖や偉大な師匠の四股名から一字を取ることで、伝統と誇りを継承する意味合いがある。春日野部屋の「栃」は、開祖である8代春日野親方の出身地である栃木に由来し、彼自身の現役時代の四股名も「栃木山」だった。佐渡ヶ嶽部屋の「琴」は、11代目佐渡ヶ嶽親方(53代横綱琴櫻)の故郷、香川県観音寺市にある琴弾八幡宮に由来するという。
さらに、四股名には和歌や能といった古典文学の世界から着想を得たものも少なくない。その代表例が「錦木」という四股名だろう。現在の錦木徹也関は7代目にあたるが、この名は江戸時代から盛岡藩抱えの力士に襲名されてきた伝統ある四股名である。その由来は、秋田県鹿角市(旧南部藩領内)にある「錦木塚」という歌枕の地にある。千数百年前の悲恋物語を伝えるこの地は、平安時代後期には和歌の題材となり、室町時代には能の創始者である世阿弥によって謡曲「錦木」として広く知られるようになった。力士がこのような雅やかな名を冠するのは、郷土の歴史や文化への誇りを土俵の上で表現する行為であり、力強さだけでなく、日本的な情緒や美意識をも相撲が内包してきた証左と言えるだろう。部屋名においても、「片男波」が和歌山県の和歌の浦にある歌枕に由来するなど、古典との繋がりが見られる。
他の伝統芸能に見る名付けの型
相撲の四股名や部屋名の慣習を他の日本の伝統芸能と比較すると、その特異性や共通点が浮き彫りになる。歌舞伎の世界では、中村屋や市川屋といった屋号、そして中村勘九郎や市川海老蔵といった名跡が、血縁や師弟関係によって厳格に継承される。これは家元制度に強く結びついており、代々受け継がれる名が芸の系譜そのものを示す。落語においても、三遊亭円楽や桂文枝といった名跡は、師匠から弟子へと受け継がれ、その芸風や流派を象徴する。これらの世界では、名跡を襲名することが、芸の継承と同時に、その重責を背負うことを意味するのだ。
一方、相撲の四股名も「出世名」と呼ばれる、特定の部屋や一門で番付の高い力士や功績を残した力士にのみ襲名が許される特別な名が存在する。これは歌舞伎や落語の名跡襲名と共通する「継承」の側面を持つ。しかし、相撲の四股名には、必ずしも血縁や師弟関係に限定されない自由度も見て取れる。例えば、故郷の地名や名所、あるいは力士自身のイメージに合わせた造語など、多様な由来を持つ四股名が認められてきた。歌舞伎や落語が「家」や「流派」の継承を重視するのに対し、相撲は「個」の力士が名を高め、それを後世に伝えるという側面も強く持つ。
また、四股名には力士の出身地や郷土の誇りを表すものも多い。「熱海富士」のように地名そのものを冠する例もあれば、「隠岐の海」のように地域の象徴を用いる場合もある。これは、力士が地域を背負って土俵に上がるという、相撲が持つ地域密着型の文化を反映していると言えるだろう。他の伝統芸能では、芸そのものに地域性が強く結びつくことはあっても、個人の名前にまでその要素が強く現れることは稀である。相撲の四股名は、個人のアイデンティティと同時に、所属する部屋や出身地のアイデンティティを表現する、複合的な役割を担っているのだ。
現代における四股名の多様な選択
現代においても、四股名の命名は部屋の師匠が主導するが、その背景には部屋の伝統、師匠や後援者の意向、そして力士本人の希望など、多様な要素が絡み合う。本名をそのまま四股名とする力士も増えており、高安や遠藤のように幕内上位で活躍する力士もいる。これは、本名に込められた家族の思いや、学生相撲時代からの名を知ってほしいという力士自身の意向が反映されているケースが多い。
一方で、外国出身力士の四股名も注目される。彼らの多くは、日本的な響きを持つ四股名を与えられることが一般的だ。例えば、「琴欧洲」のように出身地であるヨーロッパを漠然と示す字を用いる例や、「把瑠都」のように当て字を用いる例もある。しかし、このような命名に対しては、横綱審議委員を務めた内館牧子氏が安直な名付けだと批判を寄せたこともあるように、議論の余地も存在する。郷土を遠く離れた地で相撲道に励む力士に対し、その出身地や背景を尊重しつつ、相撲文化に馴染む名をどう与えるかは、現代における四股名命名の一つの課題と言えるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
出典
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