2026/5/23
なぜ「一六タルト」はタルトと呼ばれ続けるのか?

「一六タルト」はタルトではないのになぜタルトというのか?
キュリオす
松山銘菓「一六タルト」は、一般的なタルトとは異なる形状を持つ。その名称の由来は、17世紀初頭にポルトガルから伝来した南蛮菓子にあり、当時の「タルト」の解釈や松山藩の歴史、地域文化との融合が背景にある。
松山の町を歩いていると、土産物店で「一六タルト」の文字が目に飛び込んでくる。ショーケースに並ぶそれは、薄茶色の生地で餡を巻いたロールケーキのような菓子である。皿に取れば、しっとりとしたカステラ生地が緩やかに弧を描き、中には鮮やかな黄色の餡が詰まっている。一般的なタルト、つまりサクサクとした生地にクリームやフルーツが載った洋菓子とは明らかに異なる姿だ。なぜこれが「タルト」と呼ばれるのか。その疑問は、菓子が持つ歴史の奥深さと、異文化が交錯した時代の名残を問い直すきっかけとなる。
「一六タルト」のルーツをたどると、江戸時代初期にまで遡る。その起源は、17世紀初頭にポルトガルから日本に伝来した南蛮菓子にあるとされている。当時の日本に「タルト」という言葉が持ち込まれた際、それは現在の我々が思い描くようなパイ生地の菓子を指すものではなかった。むしろ、カステラのように焼いた生地に餡を詰めた、あるいは巻いた菓子全般を「タルト」と呼んでいたという説が有力である。
特に松山藩主だった松平定行が、長崎探題職を務めていた際に南蛮菓子に触れ、その製法を松山に持ち帰ったことが、一六タルトの直接的な起源とされる。定行は、当時の長崎で流行していた「タルト」と呼ばれる菓子を気に入り、その製法を家臣に命じて習得させたという。しかし、その「タルト」は、小麦粉と卵、砂糖を混ぜて焼いた生地で餡を巻いたもので、現代のロールケーキに近い形状だったのだ。当時の製法書や記録には、具体的な材料や工程が記されており、そこに現在の「タルト」の原型が見て取れる。この南蛮菓子は、その後、松山独自の発展を遂げ、特に風味付けとして柚子が用いられるようになった。
一六タルトが現在の形になった背景には、複数の要因が絡み合っている。一つは、南蛮菓子が日本に伝来した当時の「タルト」という言葉の解釈である。当時のポルトガル語における「タルト」は、必ずしもパイ生地の菓子を意味するものではなく、広く「菓子」や「焼き菓子」を指す言葉としても使われた可能性が指摘されている。また、カステラも南蛮菓子の一つであり、その製法が日本で広く受け入れられていたことも影響しているだろう。カステラのようなしっとりとした生地で餡を巻く形は、当時の日本人にとって親しみやすいものであったと考えられる。
二つ目に、松山藩という地理的・文化的背景がある。松山は温暖な気候に恵まれ、古くから柑橘類の栽培が盛んだった。特に柚子は、その香りの高さから調味料や薬味として重宝されており、菓子の風味付けにも自然に用いられるようになった。柚子の香りを加えることで、南蛮菓子の異国情緒に日本の風土が融合し、独自の菓子として定着していったのだ。餡に柚子を加えることで、甘さの中に爽やかさが生まれ、日本人の味覚に合うように改良された。
三つ目は、明治時代以降の菓子製造業の発展である。1883年(明治16年)、一六本舗の初代六兵衛が松山で菓子製造業を創業し、この南蛮菓子を「タルト」と称して販売を開始したことが大きい。彼らは、先代から伝わる製法を受け継ぎつつ、現代の製法を取り入れて大量生産を可能にした。この時、すでに松山では「タルト」という名称が、このロールケーキ状の菓子を指すものとして定着していたため、そのままその名を冠したのだ。つまり、「タルト」という名称は、伝来時の曖昧な呼称と、地域での定着、そして商業的な展開が複合的に作用して現在に至る。
「タルト」という言葉が、地域によって異なる菓子を指す例は、一六タルトに限ったことではない。例えば、フランスのアルザス地方には「タルト・フランベ」と呼ばれる薄焼きピザのような料理がある。これもまた、我々が一般的に想像する「タルト」とは形状も味も大きく異なる。生地の上にフロマージュブランやベーコン、玉ねぎを乗せて焼いたもので、むしろピザに近い。このように、ある言葉が特定の地域や文化圏に入った際、その土地の食材や製法、あるいは既存の文化と結びつき、独自の進化を遂げることは珍しくない。
日本においても、南蛮菓子が伝来した際に、その言葉が持つ意味が広範に解釈された例は他にも見られる。例えば、「カステラ」もポルトガル語の「カステロ」に由来するとされるが、日本で独自の製法と発展を遂げ、今や日本の代表的な菓子の一つとなっている。また、「コンペイトウ」もポルトガル語の「コンフェイト」が語源だが、これも日本独自の製法が確立された。これらの菓子は、単に異国のものを模倣しただけでなく、日本の風土や味覚に合わせて再構築された結果、当初の姿とは異なる、あるいは新たな意味を持つに至ったのだ。一六タルトもまた、そうした異文化の受容と変容の歴史を、その名と形の中に宿していると言えるだろう。
現在、一六タルトは松山を代表する銘菓として、地元住民や観光客に広く親しまれている。一六本舗をはじめとする複数の菓子店が製造・販売を手がけており、その製法は創業当時からの伝統を受け継ぎつつ、現代の技術も取り入れられている。カステラ生地は、卵と砂糖、小麦粉を丁寧に混ぜ合わせ、しっとりとした食感に焼き上げられる。中に巻かれる餡は、白あんに刻んだ柚子の皮を混ぜ込んだもので、その爽やかな香りが特徴だ。店舗によっては、抹茶や栗など、季節限定の餡を使ったタルトも販売され、多様なバリエーションが楽しめる。
一六タルトは、単なる菓子としてだけでなく、松山の文化の一部として深く根付いている。修学旅行の土産物として、あるいは冠婚葬祭の引き出物として、地元の人々の生活の中に溶け込んでいるのだ。その製造工程は、職人の手作業による部分も多く、生地の焼き加減や餡の配合、巻き方など、熟練の技が求められる。工場見学を受け入れている店舗もあり、その製造過程を通じて、菓子の背景にある歴史や技術に触れる機会も提供されている。
一六タルトが「タルト」と呼ばれることに感じる違和感は、我々が持つ「タルト」という言葉の固定観念と、その言葉が辿ってきた歴史との間に生じるずれから来るものだ。しかし、このずれこそが、異文化が日本に伝来し、独自の形で受容され、変容していった過程を浮き彫りにする。南蛮貿易によってもたらされた菓子の言葉と製法は、松山の風土と人々の手によって、全く新しい姿を与えられた。
現代の我々が「タルト」と聞いて思い浮かべる姿とは異なる「一六タルト」は、言葉の意味が時代や地域によって移ろい、再解釈されていくさまを示す好例である。それは、単なる菓子の名称の問題ではなく、文化の伝播と変容、そしてそれが地域に根付くまでの時間の層を、静かに物語っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。