2026年5月19日
周防国一宮・玉祖神社に黒い鶏がいるのはなぜ?
山口県防府市の玉祖神社には、黒い鶏が飼われている。これは、天照大神が天岩戸に隠れた際に夜明けを告げたとされる「常世の長鳴鳥」を神使として尊崇する神話に由来する。勾玉作りの祖神を祀るこの神社ならではの、神話と信仰が息づく風景を紹介する。
鶏の鳴き声が響く社
周防国、現在の山口県防府市に鎮座する玉祖神社を訪れると、まずその境内の静けさの中に、特徴的な鳴き声が響くことに気づく。社務所の裏手や、手入れされた庭の片隅には、黒々とした羽を持つ鶏たちが悠然と歩き回っているのだ。単なる放し飼いの鶏とは異なる、その存在感は、この神社が単なる地域の信仰の中心地以上の何かを秘めていることを示唆している。なぜ、この一宮の境内に、これほど多くの黒い鶏が飼われているのか。その問いは、社の深い歴史と、祀られる神の来歴へと繋がっていく。
勾玉と神々の系譜
玉祖神社の創建は古く、社伝によれば景行天皇の時代にまで遡るとされている。祀られるのは玉祖命(たまのおやのみこと)で、この神は記紀神話において、天照大神が天岩戸に隠れた際に、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を製作したとされる玉作部の祖神である。周防国に玉祖神社が鎮座する背景には、この地が古くから豊かな資源に恵まれ、玉作りの技術と深く関わっていたという歴史的経緯がある。
平安時代には「延喜式神名帳」に「周防国一宮 玉祖神社」として記載され、周防国における最上位の神社としての地位が確立された。この時代、一宮は国司による祭祀の中心であり、国家的な重要性が認められていたことを意味する。中世に入ると、武士階級の信仰も厚く、大内氏や毛利氏といった有力な武将たちからの崇敬を集めた。特に、毛利元就は厳島合戦の勝利を祈願し、社殿を修復した記録も残っている。戦国時代の混乱期にも、その地位は揺らがず、地域社会における精神的支柱として機能し続けたのである。江戸時代には萩藩主毛利氏の庇護を受け、社領の寄進や社殿の造営が行われるなど、その歴史は常に時の権力と結びつきながら継承されてきた。
鶏が告げる夜明けの神話
玉祖神社に黒い鶏が飼われるようになった理由には、複数の説が伝わるが、最も有力なのは記紀神話、特に天岩戸神話との関連である。天照大神が天岩戸に隠れた際、世は常闇となり、神々は天照大神を岩戸から出すために様々な策を講じた。その一つが、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせたことである。この長鳴鳥は鶏を指すとされ、その鳴き声が夜明けを告げ、天照大神が岩戸から顔を出すきっかけを作ったとされている。
玉祖神社では、この「夜明けを告げる鶏」を神使、あるいは神の使いとして尊崇し、境内で飼育するようになったという。特に「黒い鶏」である点については、夜の闇を払い、光を呼び込む存在としての象徴性が強調されることがある。夜の闇の中から現れる朝の光を連想させる黒い羽色は、神話の物語に一層の深みを与えているのかもしれない。また、鶏は古くから時刻を告げる存在として人々の生活に密着しており、神社の境内という聖域において、時の移ろいを告げる役割を担ってきたとも考えられる。玉祖命が天岩戸神話において重要な役割を担った神であることから、その物語を象徴する存在として鶏が境内に迎え入れられたのは自然な流れだっただろう。
