2026/5/28
伊豆山神社の837段の階段、その先にあったものは

伊豆山神社について教えて欲しい。階段がめっちゃ多い。
キュリオす
熱海にある伊豆山神社の長い階段は、単なる参道ではなく、温泉信仰や源頼朝ゆかりの歴史と深く結びついている。この記事では、その階段が示す土地の物語と信仰の形を辿る。
熱海の市街地から伊豆山へと車を走らせると、突如として視界に飛び込んでくるのが、山肌を刻むように連なる石段の姿だ。伊豆山神社。その本殿へと続く道のりは、見る者をして「まさかこれを登るのか」と息をのませるに十分な威容を誇る。バス停から本殿までで約189段、さらにその下、伊豆山浜の「走り湯」まで含めると、その数は837段に及ぶという。 物理的な高低差がそのまま信仰の深度を測るかのような、この圧倒的な階段群は、一体何を意味するのだろうか。ただの参道として片付けるには、あまりにもその存在感が大きい。この土地にこれほどの高低差を持つ社が築かれた背景には、一体どのような歴史と信仰の重なりがあったのか。
伊豆山神社は、古くは「伊豆御宮」「伊豆大権現」「走湯大権現」などと称され、伊豆という地名の発祥地でもあるとされる。 その創建は不詳ながら、紀元前5世紀から4世紀に遡るとも伝えられ、当初は日金山に祀られた伊豆大神が始まりとされる。 平安時代には、湧き出す湯が病を癒し長寿に効験があると信じられた「走り湯」を神格化した信仰が中心となり、その源泉を守護する社として発展したのだ。
この地に修験道が盛んになった背景には、伊豆半島から箱根にかけての山岳地帯が持つ霊性が深く関わっている。後白河院御撰の『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」の一つと謡われたように、平安時代後期には山岳修験の霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ道場となった。 鎌倉時代に入ると、この社の歴史は大きく転換する。伊豆に流されていた源頼朝が源氏再興を祈願した地であり、北条政子との逢瀬を重ね、二人の縁が結ばれた場所としても知られるようになったのだ。 頼朝が鎌倉幕府を開くと、伊豆山権現は「関八州総鎮護」として武士たちの崇敬を集め、歴代鎌倉将軍の信仰の対象となった。 室町時代には一時衰退するも、戦国時代の小田原北条氏、そして江戸時代には徳川家康も参拝に訪れるなど、時の権力者からの庇護を受け続けた。 明治初年の神仏分離令により「伊豆山神社」と改称され、現在に至る。
伊豆山神社がなぜこれほどまでの高所に鎮座し、長い階段を擁するのか。その理由は、この地の自然条件と、それに対する信仰のあり方に集約される。熱海という土地は、山が海に迫る急峻な地形であり、古くから温泉が湧き出すことで知られていた。伊豆山神社の信仰の根源にあるのが、日本三大古泉の一つとされる「走り湯」だ。 山腹の源泉から湯が海中に走るように湧出する様子から「走り湯」と名付けられ、この霊泉は病を治し長寿に貢献すると信じられ、神格化された。 伊豆山神社は、この神聖な走り湯の源泉を守護する神社として、その存在意義を確立したのである。
神社の境内は、本殿が海抜約170メートルに位置し、さらに奥の山中には海抜約390メートルの本宮社が鎮座する。 海岸から本殿まで続く837段の階段は、まさにこの走り湯と本殿、さらには本宮社へと続く垂直方向の信仰の軸線を示していると言える。 伊豆山の地下には、火をつかさどる赤龍と水をつかさどる白龍が二つの力を合わせて温泉を生み出しているという言い伝えがあり、これら「赤白二龍」は強運・天下取りの神として崇められてきた。 手水舎や社殿、お守りにもこの龍神の姿が施されているのは、単なる装飾ではなく、この地の信仰の本質を表している。 険しい山道を登り、海を見下ろす高台に社殿を構えることは、俗世から離れ、より神聖な場所へと近づこうとする山岳信仰の表れであり、また、湯の湧き出す場所を神聖視し、その源を辿る過程そのものが信仰的な行為であったのだ。
多くの神社が平地に広がる境内を持つ一方で、伊豆山神社のように海岸から山頂近くまで垂直に伸びる参道を持つ例は、全国的に見ても珍しい部類に入るだろう。例えば、香川県の金刀比羅宮も長い石段で知られるが、こちらは海の守護神としての性格が強く、海上交通の要衝に位置するという点で共通性を持つ。金刀比羅宮の石段は、海上を往来する人々が陸から神域へと向かう道のりを象徴する。一方、山岳信仰の霊場として名高い出羽三山神社も、険しい山道を辿ることで修験の道を体現するが、こちらはより内陸の山深く、自然そのものを神と捉える色彩が濃い。
伊豆山神社の場合、その特殊性は「温泉」という、この地の物理的かつ恵み深い資源に直結している点にある。湯が湧き出す走り湯から、その神威を宿す本殿、さらに奥の本宮へと続く階段は、単なる移動手段ではなく、湯の恵みと、それによってもたらされる強運や病気平癒といったご利益への道のりを可視化したものだ。金刀比羅宮が「海からの信仰」を、出羽三山が「山そのものへの信仰」を象現するとすれば、伊豆山神社は「地底から湧き出す恵みへの信仰」を、その垂直な参道と高低差によって示していると言える。この急峻な地形は、信仰の対象である「走り湯」の特異な湧出形態と不可分であり、地形そのものが信仰のあり方を規定した稀有な例だ。
今日の伊豆山神社は、その歴史的な重みと自然の美しさから、多くの参拝者を引きつけている。源頼朝と北条政子の縁結びの逸話は特に若い世代に人気で、縁結びのお守りや、二人が腰掛けたとされる「頼朝・政子腰掛石」は、参拝のハイライトの一つとなっている。 境内には、火をつかさどる赤龍と水をつかさどる白龍が描かれた手水舎があり、強運守護の象徴として親しまれている。
837段に及ぶ石段は「圧巻」と評される一方で、参拝のハードルとなることも事実だろう。しかし、バス停から本殿までは約189段と、比較的アクセスしやすいルートも整備されている。 車での参拝者向けには本殿近くに駐車場も用意されており、足腰に自信がない人でも参拝は可能だ。 毎年4月14日から16日には例大祭が執り行われ、15日の神幸祭では4基の神輿が参道の石段を威勢よく下っていく。 これは、かつての山岳信仰と、地域に根ざした祭りの伝統が現代に受け継がれている姿を示している。本殿からさらに奥、山道を約1時間登った先には本宮社があり、より深い信仰を求める参拝者やハイキング愛好家が訪れる場所となっている。
伊豆山神社の長い階段は、単なる物理的な高低差を示すだけでなく、この土地が持つ多層的な物語を凝縮している。それは、地底から湧き出す温泉という自然の恵みへの畏敬であり、その恵みを神格化した「走り湯大権現」という信仰の深さでもある。源頼朝と北条政子の縁結びの地として知られるが、その背後には、頼朝が源氏再興を祈願し、後の鎌倉幕府の礎を築いた「強運の神」としての歴史が重なる。
この階段を登る行為は、単なる参拝ではなく、俗世から聖域へと向かう精神的な道のりの象徴であり、また、温泉という自然の奇跡、そして時代の転換期を支えた武将の祈りが、この急峻な地形と結びついていたことを体感させる。伊豆山神社は、その「めっちゃ多い階段」を通じて、自然の力、歴史の転換点、そして人々の願いが交錯する、この地の固有の物語を今に伝えているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。