2026/6/1
土浦の米喜が50時間かけて作る氷、昔はどうやって作られていた?

土浦の老舗氷店の米喜で、氷を50時間かけて凍らせていると聞いた。昔は氷をどうやって作ったのか?
キュリオす
土浦の老舗氷店「米喜」が50時間かけて氷を作る背景から、古代の氷室や江戸時代の天然氷採取・貯蔵の工夫、そして現代の人工製氷技術との対比まで、氷の歴史と技術の変遷を辿る。
茨城県土浦市に、米喜という老舗の氷店がある。そこで作られる氷は、50時間もの時間をかけてゆっくりと凍らせるという。現代において、冷凍庫のスイッチ一つで簡単に氷が手に入る時代に、なぜこれほどの手間と時間をかけるのか。その問いは、かつて人々がどのようにして「冷たさ」を手に入れたのかという、根源的な問いへと繋がっていく。電力も現代的な冷凍技術もない時代、氷はどのようにして作られ、私たちの暮らしに届いていたのだろうか。
氷の利用は古くから確認されており、古代メソポタミアやエジプトでは、夜間の放射冷却を利用して水を凍らせる技術があったとされる。夜間に皿に薄く水を張り、藁を敷き詰めた上に置いて凍らせる方法や、日中の熱を遮断するために土中に氷室を設ける試みも行われていた。しかし、これらは限られた地域や目的での利用に留まり、広く普及するものではなかった。日本において氷が本格的に利用され始めるのは、平安時代にまで遡る。当時は「氷室(ひむろ)」と呼ばれる施設で、冬に採取した天然の氷を貯蔵し、夏に利用していた。朝廷では、旧暦の6月1日に氷室から氷を取り出して食す「氷室の節句」という行事があったことが記録に残っている。これは、庶民が口にできるものではなく、権力者や貴族だけが享受できる贅沢品だった。
江戸時代に入ると、天然氷の利用はもう少し広がりを見せる。加賀藩では、藩主への献上品として雪や氷を貯蔵する氷室が整備され、江戸まで運ばれたという。各地に氷室が作られ、冬の間に池や湖で採れた氷を運び込み、おがくずや藁で覆って夏まで保存した。氷の貯蔵は、単に冷たさを提供するだけでなく、魚介類などの保存にも用いられ、物流や食文化の発展にも寄与したのである。この時代の氷は、まさに冬の恵みを夏に享受するための貴重な資源であり、その採取から貯蔵、運搬に至るまで、多くの人手と工夫が凝らされていたことがうかがえる。
天然氷の製造、あるいは採取・貯蔵には、いくつかの条件が不可欠だった。まず、氷を採取する場所だ。水質が良く、冬には十分に厚い氷が張る安定した水源が求められた。日本では、山間部の湧水を利用した池や、寒冷地の湖などが適地とされた。これらの場所で、冬の最も冷え込む時期に、人力で氷を切り出し、氷室へと運んだのである。氷の厚さは数十センチにもなる必要があり、その採取作業は重労働だった。
次に、氷室の構造である。氷室は、地中に掘られた穴や、石や土壁で囲まれた建物で、内部の温度を一定に保つための工夫が凝らされていた。多くの場合、氷室は北向きの斜面に作られ、直射日光を避けるように設計された。内部には排水のための溝が設けられ、溶けた水が溜まらないように工夫された。そして、氷を直接空気に触れさせないよう、おがくず、藁、籾殻、時には炭などが断熱材として大量に用いられた。これらの断熱材は、空気の層を作り出し、外部からの熱の侵入を防ぐ役割を果たしたのである。
この天然氷の貯蔵技術は、現代の冷凍・冷蔵技術とは異なり、あくまで「冷たさを保つ」ことに主眼が置かれていた。電力を使わず、自然の力と人間の知恵、そして労力のみで、夏に氷を利用するという仕組みは、当時の社会において画期的なものだったと言える。現代の50時間かけて凍らせる氷は、不純物を極力排し、ゆっくりと結晶を成長させることで、透明度が高く溶けにくい氷を作り出す。これは、天然氷が持つ特性、すなわち自然の環境下で時間をかけて凍ることで生まれる品質を、人工的に再現しようとする試みとも解釈できるだろう。
天然氷の文化は日本に限ったものではない。ヨーロッパや北米でも、冬に湖や川から氷を切り出し、地下の氷室や専用の貯蔵庫で夏まで保存する習慣があった。特にアメリカでは19世紀に入ると「アイスハーベスティング」が一大産業となり、東海岸の湖で切り出された氷が、船で南部の都市や、遠くインドにまで輸出されたという記録もある。この時期、氷は庶民の食生活にも浸透し始め、冷蔵庫の原型となる「アイスボックス」が一般家庭に普及するきっかけともなった。
しかし、これらの天然氷の供給は、気候条件に大きく左右される不安定さを抱えていた。暖冬になれば氷が十分に張らず、供給が滞る事態も頻発した。こうした課題を背景に、19世紀後半には人工製氷技術が発展する。アンモニアや二酸化炭素を冷媒とする製氷機が開発され、安定的に氷を生産することが可能になったのだ。人工製氷の登場は、氷の供給を気候から解放し、価格を大幅に引き下げ、氷をより身近なものへと変えた。
天然氷と人工氷、この二つの氷の歴史は、人間の自然への依存と、それを克服しようとする技術革新の物語でもある。天然氷が持つ不純物の少なさや溶けにくさは、時間をかけた凍結の賜物であり、現代の製氷技術が目指す品質の一つの指標ともなっている。一方で、人工製氷は、需要と供給の安定性、そして衛生面での管理のしやすさという点で、天然氷を凌駕した。この対比は、技術の進歩が必ずしも「より良い」ものだけをもたらすわけではなく、異なる価値基準や利用目的によって、それぞれの氷が持つ意味合いが変わることを示唆している。
現代において、家庭用冷蔵庫の製氷機能やコンビニエンスストアで手軽に買える袋氷は、もはや特別な存在ではない。しかし、土浦の米喜のように、あえて手間暇をかけて氷を作る店が今も存在するのはなぜだろうか。それは、製氷のプロセスそのものに価値を見出す、あるいはそこで生まれる氷の品質にこだわるからに他ならない。ゆっくりと時間をかけて凍らせることで、水中の不純物が押し出され、透明度が高く、硬く、溶けにくい氷が生まれる。このような氷は、飲み物の味を損なわず、カクテルや水割りといった用途で、その真価を発揮する。
現代の製氷技術は、急速凍結から透明氷の製造まで多様化しているが、米喜のような老舗の製氷方法は、ある種の「伝統」と「職人技」の継承と言えるだろう。それは、単に氷を作るという行為を超えて、水の性質を理解し、時間をコントロールする技術が凝縮されている。かつて天然氷が貴重品であった時代から、製氷技術が発展した現代に至るまで、人々は常に「冷たさ」を求める中で、その品質と供給の安定性を追求してきたのだ。
土浦の米喜が50時間かけて氷を凍らせるという話から、「昔の氷」に思いを馳せてみると、当たり前のように享受している「冷たさ」の背後にある、長い歴史と人々の工夫が見えてくる。かつての天然氷は、冬の寒さという自然の恵みを最大限に生かし、貯蔵と運搬に労力を費やすことで、夏の貴重な冷たさを実現していた。それは、現代の電力に頼る製氷とは全く異なる、自然との対話の中で生まれた技術だった。
現代の製氷技術が、安定した供給と衛生管理という課題を解決した一方で、米喜のような手間をかけた製氷は、氷の「質」という別の価値を追求している。不純物を排し、結晶の成長を促すことで生まれる透明な氷は、かつて天然氷が持っていたであろう、自然の清らかさを人工的に再現しようとする試みとも言える。氷というシンプルな物質の中に、自然の摂理と人間の知恵、そして技術の進化が重なり合って存在している。私たちは、ただ冷たいものを口にするのではなく、その氷が持つ「時間」の厚みを味わっているのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。