2026/5/29
新居の名物「すわま」はなぜ生まれた?東西文化の交差点が生んだ味

新居の名物のすわまについて知りたい。すあまはどこにでもあった訳ではなかったのか?
キュリオす
新居町の名物「すわま」は、関東の「すあま」を起源としながら、黒糖と醤油を加えた独特の風味と波形の意匠を持つ。東海道の宿場町という立地が、東西の食文化の交流を生み、独自の進化を遂げた菓子である。
和菓子の世界には、音の響きは似ていても、その成り立ちや材料が全く異なる菓子が存在する。まず「すはま」は、京都を中心に伝わる伝統菓子だ。鎌倉時代中期に京の植村義次が、忍者の携帯食から着想を得て考案した豆飴が起源とされる。煎った大豆や青豆を挽いた「州浜粉」に砂糖や水飴を加えて練り上げ、棒状や、婚礼儀式に用いられる「島台」に見立てた形に整えるのが一般的だ。大豆の香ばしさと水飴のほろりとした甘さが特徴で、棹菓子に分類される。
一方、「すあま」は、主に東日本、特に「関東のローカルなお菓子」として知られている餅菓子である。 上新粉、すなわちうるち米の粉に砂糖を混ぜて蒸し、熱いうちにつき上げて作るため、求肥にも似たもちもちとした弾力がある。 江戸時代に東京の木場が発祥とされる説もあり、紅白の蒲鉾型や、鶴の卵に見立てた「つるのこ餅」として、祝いの席で縁起物として用いられてきた歴史を持つ。 関西地方では「すあま」自体があまり知られていないという調査結果もあるほど、地域性の強い菓子なのだ。
そして新居町の「すわま」は、この東日本の「すあま」を起源としている。 江戸と京を結ぶ東海道の中間点に近い新居宿という立地が、東西の食文化が交流する土壌となったのだろう。いつ頃この地に伝わったかは定かではないが、明治時代以降には一般家庭でも作られるようになり、地域の味として根付いていったという。
新居の「すわま」は、その製法と味わいに地域独特の工夫が見られる。基本的な材料は関東の「すあま」と同様に上新粉だが、これに黒糖、砂糖、そして醤油と塩が加えられる点が特徴的だ。 黒糖の深いコクと、ほのかに香る醤油の塩気が、素朴ながらも奥行きのある甘じょっぱい風味を生み出している。この味付けは、他の地域の「すあま」には見られない、新居ならではの個性である。
形もまた独特だ。大きめの小判型に成形され、表面には二本の溝が刻まれている。この溝が波のように見えることから、遠州灘の「州浜」の波を表現しているという説がある。 「すあま」という名称が「すわま」に転じたのは、この波形の意匠が関西の「すはま(洲浜)」を想起させたためではないかとも言われている。 東日本の「すあま」の製法を基盤としつつ、西日本の「すはま」の意匠を取り入れるという、まさに東海道の宿場町らしい文化の融合がここに見られるのだ。
新居の「すわま」は、古くから桃の節句に菱餅の代わりとして家庭で供えられてきた。 祝いの菓子としての役割は関東の「すあま」と共通するが、その素材と形状が、新居の風土と歴史の中で独自の進化を遂げたことを物語っている。
「すあま」が全国的に知られた菓子ではないという事実は、他の餅菓子との比較によってさらに明確になる。例えば「ういろう」は、米粉や小麦粉などの穀粉に砂糖と湯を練り合わせ、型に注いで蒸し上げる菓子だ。 その製法は「すあま」と似る部分があるものの、食感や形状は異なり、特に西日本で広く親しまれている傾向がある。 「すあま」と「ういろう」は、同じ米粉を主原料としながらも、東西で異なる発展を遂げた代表例と言えるだろう。
また、同じ餅菓子でも「求肥」は、白玉粉や餅粉に砂糖や水飴を加えて練り上げたもので、時間が経っても柔らかく、きめ細やかな特徴を持つ。 「すあま」が上新粉を主とするのに対し、求肥は白玉粉や餅粉を用いるため、材料の面で明確な違いがある。これらの比較から、「すあま」が上新粉を用いた特定の製法と地域性を持つ菓子であることが際立つ。
新居の「すわま」は、関東の「すあま」の系統に属しながらも、黒糖と醤油の風味、そして小判型に刻まれた波の意匠によって、独自の地位を確立している。関東の「すあま」が紅白のシンプルな色合いと蒲鉾型で親しまれるのに対し、新居の「すわま」は、その色合いも風味もより土着的な要素が強い。これは、東海道を行き交う人々が持ち込んだ文化が、地域の素材や風習と結びつき、新たな形として定着した結果と見ることができる。
かつて新居の各家庭で作られていた「すわま」は、時代とともにその姿を変えつつも、今も地域の味として生き続けている。現在では、桃の節句が近づく春の時期を中心に、町内の菓子店で販売されるのが主だ。 店ごとに微妙に異なる味わいがあり、それぞれの店の個性が楽しめるという。
この新居の「すわま」は、2023年3月には文化庁が認定する「100年フード」の「伝統の100年フード部門」に選定された。 これは、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を保護し、未来へと継承していくことを目指す取り組みの一環である。認定は、この素朴な餅菓子が持つ歴史的・文化的価値が公に認められたことを意味する。
家庭で作られる機会は減ったものの、湖西市や観光協会はウェブサイトで「すわま」を紹介し、市内ではボランティア団体が作り方教室を開催するなど、その文化を後世に伝えるための活動も行われている。 地域の人々の手によって、新居の「すわま」は単なる菓子としてだけでなく、地域の歴史と文化を伝える媒体として、その存在感を保っているのだ。
「すあまはどこにでもあった訳ではなかったのか」という当初の問いへの答えは明確だ。関東を中心に食されてきた「すあま」は、その地域性が顕著な和菓子であり、全国的なものではなかった。そして、新居の「すわま」は、その「すあま」をルーツとしながらも、東海道という歴史的な道がもたらした東西文化の交錯点において、独自の進化を遂げた稀有な存在である。
新居の「すわま」の小判型に刻まれた波の意匠や、黒糖と醤油が加わった風味は、単なる地方色ではなく、この地が持つ歴史的背景を映し出している。江戸の「すあま」と京の「すはま」という、異なる地域の菓子文化が、新居宿という場所で出会い、影響し合い、そして新たな一つの形として結実した。それは、一見すると素朴な餅菓子の中に、旅と交流が織りなす文化の層が幾重にも重なっていることを示唆している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。