2026年5月19日
岩国寿司、岩国れんこん、白蛇…錦帯橋の城下町が生んだ名物たち
岩国藩の歴史と錦川の恵みが育んだ「岩国寿司」と「岩国れんこん」、そして弁財天の使いとして崇められた「岩国のシロヘビ」。これらの名物は、地理的条件や人々の知恵、信仰と深く結びついている。
錦川が育んだ城下の食文化
岩国は、関ヶ原の戦い後、毛利輝元の家臣であった吉川広家が周防国岩国領に移封されたことに始まる。慶長5年(1600年)、吉川家は出雲国など14万石から岩国3万石へと減封され、防衛上の理由から横山に城を築いた。しかし、城下町は錦川によって分断され、藩政の中心である横山地区と、中下級武士が住む錦見地区を行き来するには川を渡る必要があった。この地理的条件は、度重なる洪水で橋が流失するたびに藩政に深刻な影響を与え、やがて三代領主吉川広嘉による錦帯橋の架橋へと繋がっていく。この時代背景は、食文化にも影響を与えた。岩国藩初代藩主吉川広家が、合戦に備えた保存食として作らせたという説があるのが「岩国寿司」である。別名「殿様寿司」とも呼ばれるこの押し寿司は、一度に何十人分も作れる豪快さと、華やかな見た目を兼ね備え、祝いの席にも重宝されたという。
押し固められた歴史と9つの穴
岩国寿司は、酢飯と魚の身を混ぜたものを木枠に詰め、その上に錦糸卵、椎茸、穴子、そして重要な具材である岩国れんこんなどを彩りよく重ね、重しで押し固めて作られる。この多層構造は、保存性を高めるだけでなく、見た目の豪華さも演出した。特に、岩国れんこんはこの地の食文化に欠かせない存在である。約200年前の寛政8年(1796年)、藩主吉川経忠の命を受けた篤農家・村本三五郎が、岡山から備中種の種ハスを持ち帰り、錦川下流の門前地区に植えたのが栽培の始まりとされる。 岩国れんこんは、一般的なれんこんの穴が8つであるのに対し、ほとんどが9つ穴を持つことで知られる。 この9つの穴が、吉川家の家紋「九曜」に似ていることから、藩主に大変喜ばれたという伝承もある。 清流錦川の豊富な水と、瀬戸内の温暖な気候、そしてミネラルを多く含む豊かな土壌が、岩国れんこん特有のもっちりとした粘りとシャキシャキとした歯ごたえ、そして白くやわらかな肉質を育んできたのだ。 また、岩国には古くから「岩国のシロヘビ」が生息している。これはアオダイショウのアルビノ個体が遺伝的に固定されたもので、世界的にも珍しい例であり、国の天然記念物に指定されている。 記録に残る最も古い目撃例は1738年(元文3年)の「岩邑年代記」で、吉川邸の城門付近で捕獲されたという記述がある。 吉川藩の米蔵に棲みつき、ネズミの害から米を守ったという伝承も残り、古くから弁財天の使いとして、金運や商売繁盛の神として崇拝されてきた。
