なぜ津軽の「すしこ」は魚を使わず、米を桃色に染めるのか?

桃色に染まった「ごはんの漬物」
青森県津軽地方、特に日本海側に面した西北地域を旅していると、産直施設やスーパーの惣菜コーナーで、はっとするほど鮮やかなピンク色をした塊に出会う。一見すると、赤飯をさらに濃く染め上げたおにぎりのようだが、その正体は「すしこ」と呼ばれる郷土料理である。
手に取ってみれば、それは炊き立てのごはんとは明らかに異なる質感を湛えている。箸を入れれば、乳酸発酵特有の爽やかな酸味と、津軽らしい強い甘みが鼻をくすぐる。中には刻んだきゅうりの古漬けやキャベツ、赤紫蘇が混じり、もち米の粒は水分を含んで、人によっては「ドロリとしている」と表現するほどに熟成が進んでいる。
驚くべきは、その食べ方だ。地元の人々は、この米の塊を「ごはんのおかが」として、白いごはんの上に乗せて食べる。炭水化物で炭水化物を食べるという、一見すると過剰な食文化。だが、これは単なる飽食の産物ではない。
なぜ、これほどまでに米を加工し、発酵させ、あえて「おかず」にまで変貌させる必要があったのか。そこには、かつて「北のまほろば」と呼ばれた湿地帯を、血の滲むような努力で国内有数の米どころへと変えた津軽の人々の、米に対する異様なまでの執着と知恵が隠されている。
木造新田の開拓と飢饉の記憶
「すしこ」が色濃く残るつがる市や中泊町、五所川原市といった地域は、歴史的には「西北(せいほく)津軽」と呼ばれる。この地が現在の広大な美田へと姿を変えたのは、江戸時代以降の、弘前藩による大規模な新田開発の結果であった。
かつての岩木川下流域は、広大な湿地帯や沼地が広がる、稲作には極めて不向きな土地だった。特に現在のつがる市周辺にあたる「木造(きづくり)新田」の開発は、日本の開拓史上でも屈指の難工事として知られている。勾配が極めて緩やかなため、一度雨が降れば水が引かず、逆に日照りが続けば取水口が遠すぎて水が届かない。藩は十数キロメートルに及ぶ用水路を幾本も掘り、排水と灌漑を繰り返した。
4代藩主・津軽信政の時代、17世紀後半から 18世紀にかけて、この新田開発はピークを迎える。文禄元(1592)年には約 4万 5千石だった藩の石高は、幕末には実高で 30万石を超えるまでに膨れ上がった。だが、その繁栄の裏には、常に冷害と飢饉の影が張り付いていた。
元禄、宝暦、天明、天保。津軽を襲った「五大飢饉」のたびに、新田の民は塗炭の苦しみを味わった。せっかく実った米も、年貢として吸い上げられ、手元に残るのはわずかな端米(はしまい)や、冬を越すための保存食だけだった。
「すしこ」という言葉の語源は、五所川原市の金木(かなぎ)地域で使われていた呼び名が広まったものと言われている。「すし」に、親しみを込めた、あるいは小さなものを指す接尾辞の「こ」がついたものだろう。この地域では、冬になれば一斗樽に「すしこ」を仕込み、雪に閉ざされた数ヶ月間を凌ぐための貴重なビタミン源、そしてエネルギー源としてきた。米をただ炊いて食べるのではなく、発酵させて保存性を高め、おかずにまで昇華させた背景には、一粒の米も無駄にできないという、開拓民の切実な生存戦略があったのだ。
赤紫蘇と砂糖が守る伝統の味
「すしこ」を「すしこ」たらしめているのは、その鮮烈な色彩と、乳酸発酵による複雑な味わいである。
基本的な材料は、蒸したもち米、赤紫蘇、そしてきゅうりやキャベツ、みょうがといった野菜だ。まず野菜を塩漬けにして古漬けを作り、それを炊いたもち米と合わせる。ここに、大量の砂糖と少量の酢を加えるのが津軽流である。
この色彩の秘密は、赤紫蘇に含まれる色素「アントシアニン」の性質にある。アントシアニンは、酸に触れることで鮮やかな赤色へと発色する。乳酸発酵によって生じる乳酸や、調味として加えられる酢が、赤紫蘇の成分を呼び覚まし、もち米の一粒一粒を桃色に染め上げていく。
津軽における「赤紫蘇」の存在感は際立っている。この地域の赤紫蘇は、他県のものに比べて葉が大きく、香りが強いことで知られる。弘前市を中心に活動する「津軽あかつきの会」のような伝承グループの活動を見ればわかる通り、津軽では梅干しを赤紫蘇で包むだけでなく、ナスを巻いたり、ジュースにしたりと、赤紫蘇を単なる着色料ではなく、独立した「ハーブ」として使いこなしてきた。
そして、もう一つの主役が「砂糖」である。現代の感覚では「甘すぎる」と感じるほどに砂糖を入れるのは、かつて砂糖が北国において最高級の貴重品であり、ご馳走の象徴だったからだ。津軽では赤飯やいなり寿司も甘い。ハレの日の食事を甘くすることは、客人を最大限にもてなす心の表れでもあった。
同時に、砂糖は防腐剤の役割も果たす。塩と砂糖、そして乳酸発酵による酸。これらが三位一体となって、蒸した米という、本来であれば足の速い食材を、数週間から数ヶ月にわたって保存可能な「漬物」へと変え、農作業の合間の「こびる(小昼・おやつ)」として、あるいは冬の食卓の彩りとして機能させてきたのである。
魚を介さない「寿司」への到達
「すしこ」を全国の食文化の中に置いたとき、その異質さが際立つ。日本の「寿司」の系譜において、これはどの位置に属するのだろうか。
寿司の原型は、東南アジアから伝わったとされる「なれずし」である。魚を塩と米で漬け込み、乳酸発酵させて保存性を高める。滋賀の「ふなずし」に代表される「本なれ」は、米は発酵のための媒体であり、食べるのは魚だけだった。
やがて室町時代になると、発酵期間を短くして米も一緒に食べる「生(なま)なれ」が登場する。さらに江戸時代、北前船の寄港地であった東北・北海道には、魚と野菜、米、そして麹を合わせて漬け込む「飯寿司(いずし)」の文化が定着した。秋田のハタハタ寿司や石川のかぶらずしは、この系譜にある。
しかし、「すしこ」は、この飯寿司の系譜から「魚」を完全に排除してしまった。
なぜ、魚を抜いたのか。一つには、西北津軽の内陸部において、冬場に新鮮な魚を入手することが困難だったという地理的要因が挙げられる。だが、それ以上に興味深いのは、米どころとしての自負と、精進料理的な発想の融合だ。
魚を入れないことで、主役は完全に「米と野菜」へと移った。これは、動物性タンパク質の保存という寿司本来の目的から逸脱し、「米そのものを美味しく発酵させて食べる」という、世界でも類を見ない方向への進化である。
和歌山の「なれずし」や秋田の「ハタハタ寿司」が、あくまで「魚を食べるための料理」であるのに対し、「すしこ」は「米を食べるための漬物」である。この転換は、津軽という土地が、いかに米を神聖視し、かつ生活のすべてを米に依存していたかを物語っている。魚なき寿司への到達。それは、飢饉と戦いながら米を増産し続けた津軽の人々が辿り着いた、一つの究極の形だったのではないか。
産直に並ぶ「すしこのもと」と次世代への継承
現在の津軽において、「すしこ」は決して過去の遺物ではない。つがる市にある道の駅「もりた」や、中泊町の特産物直売所「ピュア」を訪れれば、今も数多くの「すしこ」が棚を埋めている。
家庭ごとにレシピが異なるため、その味わいは千差万別だ。きゅうりを厚めに切って歯ごたえを楽しむもの、もち米がほぼ原型を留めないほどドロドロに発酵させたもの、あるいは唐辛子を効かせてピリ辛に仕上げたもの。地元の高齢者たちは、自分の馴染みの作り手の名前を見て、指名買いをしていく。
だが、手間のかかる料理であることに変わりはない。もち米を蒸し、野菜を個別に下漬けし、温度管理をしながら数日間寝かせる。この伝統を絶やさないよう、最近では新しい動きも出ている。
例えば、つがる市の地域おこし協力隊などが中心となり、「すしこ」の歴史やレシピをまとめた冊子が発行された。また、炊いたもち米に混ぜるだけで手軽に「すしこ」が作れる「すしこのもと」という商品も開発されている。これは、現代の忙しい生活の中でも、あの甘酸っぱい故郷の味を忘れないでほしいという、次世代へのバトンである。
かつては稲刈りの時期、田んぼの畦道で、泥にまみれた手で頬張ったエネルギー源。あるいは、吹雪で外に出られない冬の日、ストーブの横で一斗樽から取り出した保存食。その風景は変わりつつあるが、ピンク色のごはんを「おかず」にして食べるという、津軽独自の食の文法は、今も静かに息づいている。
米を「白」から解放する視点
「すしこ」を巡る旅の終わりに、私たちは一つの問いに突き当たる。私たちは、米を「白いごはん」という枠組みの中に閉じ込めすぎてはいないだろうか。
現代の日本において、米は「炊き立ての白さ」こそが正義であり、その味は淡白で、主菜を引き立てる脇役であることを求められる。だが、津軽の「すしこ」が提示するのは、米が主役であり、かつ、発酵というプロセスを経て、酸味、甘味、香りを放つ「加工食品」としての圧倒的な存在感だ。
米を漬物にする。その発想の転換は、米を単なる主食としてではなく、野菜や魚と同じように、土地の気候と時間をかけて醸成される「素材」として捉え直すことから生まれる。
「すしこ」は、かつてこの地を拓いた人々が、自然の猛威と闘いながら、手元にあるわずかな資源を最大限に活かそうとした執念の結晶である。ピンク色に染まったその一粒一粒には、排水路を掘り、冷害に震え、それでも土を信じて米を植え続けた津軽の歴史が、乳酸の泡とともに閉じ込められている。
産直の店先で、地元のおばあさんが「これ、今日のはいい具合に漬かってるよ」と笑う。その手にある桃色の塊は、もはや単なる「お米の漬物」ではない。それは、厳しい冬を越えるための武器であり、開拓の苦難を甘みに変えた、津軽という土地の気風そのものなのだ。
つがる市の直売所、冬の朝。ストーブの熱気の中で、今日も新しい「すしこ」が樽から取り出されている。

旅と食が好き。どこにでもいます。