2026/6/14
札幌のモエレ沼公園は、なぜ「ごみ」の上に「彫刻」を創り出したのか

モエレ沼公園について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
札幌市が抱えていたごみ処理問題と公園整備の課題から、イサム・ノグチが「人間が傷つけた土地をアートで再生する」という思想のもと、広大なごみ埋立地を「公園全体をひとつの彫刻作品」としてデザインしたモエレ沼公園の成り立ちと、そのランドフィル・アートとしての意義を探る。
北の果て、大地に刻まれた彫刻
札幌の市街地から北東へ車を走らせると、次第に視界が開け、広大な平野の中に幾何学的な山々が姿を現す。モエレ沼公園。その名を耳にするたび、多くの人は「イサム・ノグチがデザインした公園」という知識を思い起こすだろう。しかし、実際にその大地に立つと、単なるデザインされた空間という言葉では捉えきれない、別の問いが生まれてくる。なぜ、これほどまでに人工的でありながら、同時に圧倒的な自然の力を感じさせる場所が、この北の地に存在するのか。そして、この広大なランドスケープの地下には、都市が排出した膨大な「ごみ」が眠っているという事実が、その景観にどのような意味を与えているのだろうか。
廃棄の地がアートの舞台となるまで
モエレ沼公園の物語は、1970年代の札幌市が抱えていた二つの課題から始まる。一つは、都市の拡大に伴う廃棄物処理の問題。もう一つは、市民の生活環境を豊かにするための大規模公園の整備であった。1978年、札幌市は自然の沼地であったモエレ沼とその周辺を大規模な水郷公園とする事業に着手する。当初の構想は、野球場や植物園を配する一般的な公園であったという。これと並行して、1979年からは公園予定地の一角で不燃ごみの搬入が始まり、1990年までの約11年間で、71.2ヘクタールの敷地に実に273万6,000トンものごみが埋め立てられた。
転機が訪れたのは1988年3月である。札幌の起業家からの誘いを受け、世界的彫刻家イサム・ノグチが札幌を訪れる。札幌市が提示した複数の候補地の中で、ノグチが強い関心を示したのは、このごみ埋立地として利用されていたモエレ沼の内陸部であった。雪の残る広大な土地に立ったノグチは、「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です」と語ったと伝えられている。 この言葉は、単なる公園設計を超えた、彼の芸術家としての強い使命感を物語るものだった。
同年6月、札幌市はノグチに公園設計を委託し、彼は「公園全体をひとつの彫刻作品とする」という壮大なコンセプトを提示する。 わずか8ヶ月後の11月には、彼の84歳の誕生パーティーで、モエレ沼公園の2000分の1のマスタープラン模型が披露された。しかし、その直後の12月、ノグチは急病によりこの世を去ってしまう。 彼の死により計画の継続が危ぶまれたが、札幌市はノグチが残したマスタープランと、彼と共に仕事を進めていたイサム・ノグチ財団や建築家、造園家たちの協力を得て、事業の継続を決断する。 1989年からは本格的な造成工事が始まり、ノグチの死から17年後の2005年、最終施設である「海の噴水」が完成し、モエレ沼公園はグランドオープンを迎えることとなった。
大地を彫る、イサム・ノグチの視線
モエレ沼公園が「公園全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもとに造成されたことは、そのランドスケープの随所に見て取れる。この場所は、単に美しい景観を創り出すだけでなく、人がその中を歩き、触れ、体験することで完成する、動的な彫刻作品として構想されたのだ。その核となるのは、幾何学的な形態を持つ大小の山々や施設群である。
例えば、公園の象徴ともいえる「モエレ山」は、標高62メートルの人工の山であり、その内部には埋め立てられたごみが積層されている。 緩やかな傾斜の芝生に覆われた斜面を登り切ると、石狩平野を見渡す360度のパノラマが広がる。この山は、ノグチが20代の頃にニューヨーク市に提案しながら実現しなかった「プレイマウンテン」の構想が、55年の時を経てこの地で形になったものだという。 また、高さ30メートルの「プレイマウンテン」は、花崗岩の石積みで覆われ、その頂上からは公園全体を見下ろすことができる。 これらの山々は、単なる眺望の場ではなく、ランドスケープそのものが持つ力強さや、人の身体的な体験を促す装置として機能している。
公園の中央に位置するガラスのピラミッド「HIDAMARI」は、公園の管理棟やレストラン、ギャラリーなどを内包する施設である。 その名の通り、陽光が降り注ぐアトリウムは、冬の札幌においても暖かな空間を提供する。このピラミッドには、北海道の豊富な雪を利用した雪冷房システムが導入されており、化石燃料の使用を抑えることで年間30.8トンの二酸化炭素削減効果があるという。 これは、ごみ埋立地という環境負荷の高い土地を再生するプロジェクトにおいて、新たな環境技術を取り入れるという、ノグチの「人間が傷つけた土地をアートで再生する」という思想が具現化された一例と言えるだろう。
他にも、直径2メートルものステンレスの円柱を三角に組み上げた「テトラマウンド」 や、直径48メートル、最大25メートルまで水が吹き上がる「海の噴水」 など、公園内には15もの施設が整然と配置されている。 これらの施設は、それぞれが独立した彫刻作品であると同時に、公園全体という一つの巨大な彫刻を構成する要素として、緻密に計算された配置と形態を持っている。ノグチは、これらの作品を「背丈90センチの人間が走り回る世界」と表現し、子どもたちが遊具で遊びながら、次の遊び場へと自然に移動していくような、動的な体験を重視していた。 彼の視線は、完成した「かたち」だけでなく、その空間の中で人々がどのように活動し、関係性を築いていくかという、人間の活動そのものに向けられていたのだ。
ランドフィルアートの可能性
ごみ埋立地を公園として再生する試みは、モエレ沼公園に固有のものではない。例えば、東京の「夢の島公園」も、かつては東京都のごみ最終処分場であった広大な土地が、現在では熱帯植物館や運動施設を備えた公園として利用されている。しかし、モエレ沼公園が際立つのは、その再生の過程に世界的彫刻家イサム・ノグチの明確な芸術的意図が貫かれている点にある。夢の島公園が都市の廃棄物問題を解決し、その後に緑地として整備された「ランドフィル再生」の事例であるとすれば、モエレ沼公園は「ランドフィル・アート」とでも呼ぶべき、より能動的で創造的なアプローチを示している。
一般的な都市公園の多くは、平坦な土地に樹木や遊具、広場を配置することで機能と美観を両立させようとする。それに対し、モエレ沼公園は、ごみという「負の遺産」を地形造成の素材として積極的に取り込み、人工的な起伏や幾何学的な形態を大胆に導入した。これは、ノグチが長年温めてきた「大地の彫刻」という思想が、札幌市の「環状グリーンベルト構想」 と、ごみ埋立地という特殊な条件下で結実した結果と言える。彼は、ごみという素材を単なる土壌の代替物としてではなく、大地を彫り、盛り上げるための「彫刻の素材」として捉えたのだ。
また、ノグチのランドスケープデザインは、彼の他の作品群との連続性においても特徴が見られる。例えば、広島の平和大橋・西平和大橋の欄干や、大通公園の《ブラック・スライド・マントラ》など、日本国内にも彼の公共空間における彫刻作品は存在する。 これらは、都市空間の中に芸術作品を点在させるアプローチだが、モエレ沼公園は、約188.8ヘクタールという広大な敷地全体が、ひとつの巨大な彫刻作品として構想されている点で、そのスケールと包括性が決定的に異なる。
さらに、公園の造成過程におけるノグチの急逝は、このプロジェクトを特異なものにした。通常、大規模な公共事業において、設計者の不在は計画の中断や大幅な変更を招きやすい。しかし、モエレ沼公園の場合、ノグチが残した緻密なマスタープランと、彼の思想を深く理解していた関係者たちの尽力により、そのコンセプトが忠実に継承された。 これは、設計者の死後もそのビジョンが生き続けるという、公共事業としては稀有な事例である。この継続性は、単に初期の計画を遂行するだけでなく、ノグチが意図した「子どもたちの遊び場」としての機能や、四季折々の表情を見せる自然との融合といった多角的な要素を、17年もの歳月をかけて実現していったのである。
広がる雪原と、人々の営み
グランドオープンから20年近くが経過したモエレ沼公園は、今や札幌市民のみならず、国内外から年間約80万人もの人々が訪れる観光地となっている。 園内では、春には約1,600本のサクラが咲き乱れ、夏にはモエレビーチで水遊びを楽しむ家族連れで賑わう。 秋には紅葉が園内を彩り、冬には一面の雪景色が広がり、クロスカントリースキーやソリ遊びが盛んに行われる。 四季を通じて多様な表情を見せるこの公園は、単なる美術作品の展示場ではなく、人々の日常的なレクリエーションの場として深く根付いている。
特に冬のモエレ沼公園は、雪が積もることでその幾何学的な形態がより一層際立ち、ノグチが意図した「大地の彫刻」としての本質を垣間見ることができるだろう。真っ白な雪原に、モエレ山やプレイマウンテンのシャープな稜線が浮かび上がり、ガラスのピラミッドが光を反射する姿は、他の季節にはない静謐な美しさを持つ。雪を活用した冷房システムを持つガラスのピラミッドは、冬の寒さを逆手に取った地域固有の環境技術の象徴でもある。
公園の運営は、札幌市公園緑化協会が担っている。 広大な敷地の維持管理には多大な労力と費用がかかるため、ボランティア活動や寄付、グッズ販売なども活用されているという。 公園の各施設では、イサム・ノグチの作品としての質を保ちつつ、利用者の安全確保や快適な利用環境の提供に努めている。また、公園を訪れる人々が、単に美しい景色を楽しむだけでなく、この場所がかつてごみ埋立地であったことや、環境保全への取り組みについて意識を向けるような情報発信も行われている。
札幌市中心部からやや離れた立地ではあるが、バスや車でのアクセスが可能であり、自転車の貸し出しも行われているため、広大な園内を効率よく巡ることができる。 訪れる人々は、イサム・ノグチの遺作であるこの公園が、現代においてどのように「生きる」彫刻として機能しているのかを、自らの身体を通して体感することになるだろう。
傷つけられた大地が問いかけるもの
モエレ沼公園を巡り、その歴史と現在の姿に触れると、当初抱いた「なぜ」という問いは、より多層的な意味を帯びてくる。この公園は、単に「ごみ埋立地を美しい公園に変えた」という表層的な物語を超え、人間と自然、都市とアートの関係性について、いくつかの示唆を与えている。
第一に、イサム・ノグチが「人間が傷つけた土地をアートで再生する」と語ったように、この公園は、都市活動によって生じた負の側面を、芸術の力によって肯定的な価値へと転換させた事例である。通常の公園造成では避けられるはずの「ごみ」という要素を、彼は地形を創り出すための「素材」として捉え、その上に新たな秩序と美を構築した。これは、廃棄物を単に隠蔽するのではなく、その存在を内包しながら新しい意味を与えるという、現代社会における環境問題への一つの応答の形ではないだろうか。
第二に、ノグチが「公園全体をひとつの彫刻作品とする」と構想したことは、芸術と公共空間のあり方に対する彼の挑戦であった。彼の作品は、美術館の限定された空間に収まるものではなく、広大な大地を舞台とし、光や風、雪といった自然現象、そして訪れる人々の動きそのものを作品の一部として取り込んでいる。この「大地の彫刻」は、見るだけでなく、歩き、触れ、遊び、そして四季の移ろいの中で何度も訪れることで、その真価が理解されていく。それは、鑑賞者を受動的な存在とせず、能動的な「参加者」として作品世界に引き込む、開かれた芸術の形である。
モエレ沼公園は、一見すると人工的で幾何学的な景観が支配するが、その根底には、アイヌ語で「モイレペッ」(静かな水面、ゆっくり流れる)を語源とする「モエレ沼」の自然、そして札幌の厳しい冬がもたらす雪といった、土地固有の要素が深く組み込まれている。 ごみという都市の痕跡の上に、ノグチの普遍的な芸術性と、札幌という土地の具体的な条件が重なり合い、この比類ないランドスケープが生まれたのだ。この公園は、完成された美しさの中に、都市の記憶と自然の力を静かに刻み込み、訪れる者にそれぞれの問いを投げかけ続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- モエレ沼公園 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 北海道《モエレ沼公園》イサム・ノグチの集大成!アート×自然が融合した札幌市総合公園 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパンdiscoverjapan-web.com
- イサム・ノグチ | モエレ沼公園-イサム・ノグチ設計moerenumapark.jp
- モエレ沼公園|美術手帖bijutsutecho.com
- モエレ沼公園 |キタバ・ランドスケープkitaba-landscape.co.jp
- 公園について | モエレ沼公園-イサム・ノグチ設計moerenumapark.jp
- モエレ沼公園 - 都市の鍼治療データベースhilife.or.jp
- モエレ沼公園|札幌散策artpark.or.jp