2026年5月19日
有明海で育つ海苔はなぜ特別?干潟と河川が育む「海の農業」の秘密
有明海が海苔作りに適した理由として、日本一の干満差を利用した支柱式養殖と、豊富な河川からの栄養塩供給を解説。江戸時代からの歴史と、キャスリーン・ドリュー博士の発見による技術革新、そして現代の環境変化への対応についても触れる。
干潟に立つ、海苔の香りの問い
有明海に面した干潟に立つと、潮が引いた広大な泥の平原が目の前に広がる。その独特の風景は、他の海とは明らかに異なる。潮風に乗って、かすかに磯の香りが混じるのは、この地が日本有数の海苔の産地である証だろう。なぜ、これほどまでに有明海が海苔作りの適地とされ、その海苔が「別格」とまで評されるのか。その問いは、この地の自然条件と、それに向き合ってきた人々の歴史の中に答えを求めていくことになる。
潮と河川が織りなす歴史
海苔養殖の歴史は古く、日本においては大宝律令(701年)に朝廷への献上品として海苔が記されている。しかし、現在の板海苔の形での養殖が本格化したのは江戸時代、東京湾(品川・大森)が発祥とされる。将軍家への献上をきっかけに市場に流通し、江戸の庶民にも親しまれるようになった。
有明海における海苔養殖の歴史は、東京湾に比べると新しい。明治初期から熊本県の菊池川河口で海苔生産が始まったとされ、明治12年頃には球磨川河口の八代海でも生産が始まった。 佐賀県では江戸時代末期、1828年(文政11年)に佐賀市川副町で採取漁業として始まり、明治時代に入って本格的な養殖技術が導入されたという。 福岡県でも明治33年に大牟田地先で試験養殖が始まり、大正期には漁業権を得て多くの着業者がいたことが記録されている。
大きな転換点は、1949年、イギリスの藻類学者キャスリーン・ドリュー=ベーカー博士によるアマノリの生活環の解明であった。 それまで経験と勘に頼っていた海苔の種付け作業は、この発見によって人工採苗が可能となり、安定した生産へと大きく舵を切ることになる。 熊本県水産試験場の太田扶桑男氏が1953年(昭和28年)に人工採苗に成功したことで、海苔養殖技術は飛躍的に普及し、増産へと繋がった。 この技術革新が、有明海が一大産地として発展する礎を築いたのだ。
昭和30年代には「支柱式養殖」が普及し、有明海の海苔生産はさらに拡大する。 そして昭和40年代には冷凍保存網の技術が開発され、海苔養殖ブームとともに生産量が急速に伸びた。 しかし、この増産は過剰生産という課題も生み出し、佐賀県では昭和49年度から量から質への転換を目指す「うまい佐賀海苔つくり運動」がスタートした。 漁場環境の改善、採苗や養殖技術の集団管理、そしてフリー糸状体の種苗センターの設立など、漁業者、漁連、県、大学が一体となった取り組みが、佐賀海苔の品質を全国トップクラスに押し上げる要因となったのである。
