2026年5月19日
宇部の利休まんじゅう、千利休の足跡は瀬戸内まで?
宇部の銘菓「利休まんじゅう」は、茶聖・千利休に由来するとされる。その名が宇部にまで伝わった経緯と、各地に存在する同名の菓子との関連性を、歴史的逸話や文化伝播の視点から辿る。
宇部の饅頭に「利休」が宿るまで
山口県宇部市を訪れると、「利休まんじゅう」という菓子を目にする。一口サイズの素朴な蒸し饅頭は、この地の土産物として広く親しまれているものだ。しかし、この「利休」という名が、茶聖として知られる千利休を想起させる時、一つの疑問が浮かぶ。遠く京や堺で活躍した利休が、果たして瀬戸内海に面した宇部にまで足を運んだのだろうか、と。その問いは、単なる歴史上の人物の足跡を超え、菓子という身近な存在に刻まれた文化の伝播の様相へと誘う。
茶聖が愛した菓子の系譜
宇部の利休まんじゅうは、100年以上の歴史を持つ伝統銘菓である。その名の由来は、まさしく茶聖・千利休に求められている。伝承によれば、利休が茶会で供された一口サイズの黄金色の饅頭を大変気に入り、それ以降、自身の茶会には必ずこの饅頭を出すようになったことから、「利休饅頭」と呼ばれるようになったという。
より具体的に宇部の利休饅頭の由来に触れる資料もある。慶長年間、豊臣秀吉が朝鮮出兵のために肥前名護屋(現在の佐賀県唐津市)に本陣を置いた際、随行していた千利休が、不便な地での茶の湯の口に苦心し、自ら饅頭を作って秀吉に供したという逸話が伝わる。この風味を秀吉がいたく気に入り、専ら愛用されたとされる。この饅頭の由来と秘法は、後に出雲松江藩主・松平不昧公(まつだいらふまいこう)の時代に、三田家の祖が城中で某阿彌(なにがしあみ)から伝授され、「利休饅頭」として雅客の絶賛を博したという。その後、この三田家が宇部に移り住み、宇部の銘菓として今日に至るという系譜が語られているのだ。
「利休」の名の意味するもの
利休まんじゅうが利休の名を冠する背景には、彼の茶の湯における美意識と、菓子が持つ素朴な味わいが結びついたことが大きいだろう。宇部の利休まんじゅうは、黒糖を用いた薄皮で餡を包んだ一口サイズの蒸し饅頭であり、その控えめな甘さと上品な風味は、まさに茶席で供される茶菓子としてふさわしい。利休が追求した「わび茶」の精神は、華美を排し、本質的な美を見出すことにあった。こうした菓子の姿は、利休の目指した茶の湯の世界観に通じるものがあったのかもしれない。
一方で、「利休饅頭」の「利休」が、黒砂糖の産地であった琉球(りゅうきゅう)に由来するという説も存在はする。しかし、宇部市や関連する菓子店の説明では、茶聖・千利休との関連性を強調するものが主流であり、その名は茶の湯文化への敬意と、利休が愛したとされる菓子のイメージを現代に伝える役割を担っていると言える。
