2026年5月19日
熊本で馬刺しが愛される理由:歴史、栄養、そして「もっこす」精神
熊本で馬刺しが日常的に食べられる背景には、加藤清正による奨励、馬肉の栄養価の高さ、そして衛生と品質への徹底したこだわりがある。本記事では、その歴史的経緯、日本三大馬刺しとの比較、現代の課題までを解説する。
熊本の食卓に桜色が並ぶ理由
熊本の街を歩くと、郷土料理店だけでなく、ごく普通のスーパーマーケットの精肉コーナーにも、鮮やかな桜色の肉が並んでいることに気づく。それが「馬刺し」だ。全国的には珍しいとされる生食の馬肉が、ここでは日常の一部として深く根付いている。なぜ熊本でこれほどまでに馬刺しが愛され、その文化が途切れることなく受け継がれてきたのだろうか。その背景には、歴史の偶然と、土地の風土、そして人々の知恵が複雑に絡み合っている。
戦国の記憶が育んだ食文化
熊本における馬肉食の歴史は、今からおよそ400年前、戦国時代末期から江戸時代初期にまで遡る。その起源として最も有力な説は、肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正にまつわるものだ。文禄・慶長の役として知られる朝鮮出兵の際、清正率いる日本軍は現地で深刻な食糧不足に直面した。飢えを凌ぐため、やむなく軍馬を食料としたところ、その肉が想像以上に美味であり、かつ栄養価が高いことを清正は知ったという。この経験が、彼が帰国後も馬肉食を奨励するきっかけになったと伝えられている。
江戸時代に入ると、仏教思想の影響で獣肉食は一般に忌避される傾向にあったが、熊本では馬肉が貴重なタンパク源として庶民の間にも徐々に浸透していった。特に農耕馬として役目を終えた馬が、大切な食料として活用されたという側面もある。この時代には、肉食禁止の隠語として、猪を「ぼたん」、鹿を「もみじ」と呼んだように、馬肉は「桜肉」と称されるようになったとも言われている。鮮やかな赤色が桜の花びらを連想させる、あるいは桜の咲く春に馬肉が美味しくなる、といった諸説があるが、いずれにせよ、人々の生活の中で馬肉が特別な存在として認識されていたことを示している。
明治時代に入り、肉食が解禁されると、熊本の馬肉文化はさらに洗練された。この時期に、現在の馬刺しの基本的な食べ方である、甘口の醤油におろし生姜やニンニクを添えるスタイルが確立されたと考えられている。そして第二次世界大戦後の食糧難の時代には、軍馬の産地であった阿蘇地域を中心に、馬肉が広く一般に食べられるようになった。昭和30年代には、馬刺しを提供する飲食店が増え、今日の「熊本の馬刺し」という名が全国に知られる基礎が築かれていったのだ。
栄養価と衛生、そして土地のこだわり
熊本で馬刺しがこれほどまでに定着した背景には、いくつかの要因が複合的に作用している。まず、加藤清正の奨励という歴史的な契機は大きい。彼の指導がなければ、これほど早い段階で馬肉食が広まることはなかっただろう。
