2026/6/2
水戸の「のし梅」はいつから?手が汚れる独特な作り方の理由

水戸の「のし梅」はいつからあるのか?絶対に手が汚れる作りになっているのはなぜか?
キュリオす
水戸の銘菓「のし梅」の起源は江戸時代の気付け薬にあり、山形から伝わった。完熟梅と寒天、砂糖を煮詰め薄く伸ばし乾燥させる製法が、指にまとわりつく独特の食感を生み出す。そのべたつきは、梅の風味を凝縮し保存性を高めた先人の知恵の証である。
水戸の土産物店で「のし梅」を手に取ると、その鮮やかな琥珀色と、竹皮に挟まれた薄い姿が目に留まる。一枚剥がせば、ねっとりとした質感と甘酸っぱい香りが広がり、口に運ぶと独特の弾力と梅の風味が舌に残る。しかし、この菓子を食べる際に、指先がどうしてもべたつくのは避けられない。なぜ、これほどまでに手が汚れるような作りになっているのか。そして、この独特の梅菓子は、一体いつから水戸の地にあるのだろうか。その問いは、単なる菓子の話に留まらず、梅と人との長い関わりの歴史へと繋がっていく。
水戸の「のし梅」の起源を探ると、そのルーツは意外にも山形にある。江戸時代、山形藩主・最上義光の典医であった小林玄端が、長崎での遊学中に中国人から梅を用いた秘薬の製法を学んだことが始まりとされる。当初は、煮詰めた梅に黒砂糖を加えた水あめ状の「気付け薬」として用いられていたという。この薬は、疲労回復や食欲増進といった梅の持つ効能に着目したものだったのだ。
その後、小林玄端の子孫たちによってその製法は受け継がれ、江戸時代後期には民間薬として各家庭で作られるようになった。やがて、山形では紅花染めに梅酢が使われるなど梅の栽培が盛んになり、梅の実を保存する知恵として、煮詰めて干すという工程が発展する。これが、甘味と寒天を加えて菓子へと姿を変える「のし梅」の原型となった。現在の菓子としての製法が確立されたのは明治時代頃といわれているが、その基本的な工程は江戸時代から大きく変わっていないとされる。
山形で生まれた「のし梅」の製法が水戸に伝わったのは、明治時代中期頃と推測されている。鉄道の発達とともに、その技術が各地へと広まったと考えられているのだ。 水戸藩では、第九代藩主・徳川斉昭が藩校「弘道館」や日本三名園の一つ「偕楽園」を創設するにあたり、梅の植栽を奨励した歴史がある。 斉昭は梅を「好文木」と呼び、観賞用だけでなく、その実を食料や薬として活用することを重視した。水戸の地が梅の名産地として確立されていたことが、「のし梅」が根付く土壌となったと言えるだろう。
水戸の「のし梅」が、なぜこれほどまでに指にまとわりつくような食感を持つのか。その答えは、伝統的な製法と素材の組み合わせに隠されている。主な材料は、完熟した梅の果肉、砂糖、水飴、そして寒天だ。
まず、丁寧にすり潰された梅の果肉に砂糖と水飴を加えて煮詰める。梅の強い酸味を和らげつつ、保存性を高めるために、この工程で多量の糖分が加えられるのだ。次に、この梅のペーストに寒天を練り込む。寒天はゼリー状に固める性質を持つが、のし梅においては、単に固めるだけでなく、薄く伸ばした際に形を保ち、独特の弾力ある食感を生み出す上で重要な役割を果たす。 梅だけを煮詰めて乾燥させると硬く割れやすくなるが、寒天を加えることで、薄くのしてもまとまりやすく、適度な弾力が残るのだ。
この寒天を練り込んだ梅の生地を、ガラス板などに薄く流し込み、乾燥させる。この乾燥工程によって、のし梅特有の「もっちり」「むにっと」とした食感が生まれる。 薄く、そしてしなやかなシート状の菓子は、梅の水分を抱え込みつつ、高い糖度によってしっとりとした状態を保つ。結果として、べたつきやすく、指に吸い付くような質感が形成されるのだ。これは、保存性を高め、梅の風味を凝縮させるための、必然的な帰結だと言える。 最後に、乾燥させたのし梅を一枚ずつ竹皮で挟んで包装する。この竹皮は、乾燥を防ぎ、風味を保つ役割を担い、また、持ち運びやすくする工夫でもある。
梅を加工した菓子は、日本各地に存在する。水戸の「のし梅」と並び称されるものに、同じく水戸銘菓である「水戸の梅」がある。こちらは、餡入りの求肥を赤紫蘇の葉で包んだ丸い菓子で、見た目も食感も「のし梅」とは大きく異なる。 「水戸の梅」が梅の形を模し、紫蘇の香りをまとわせた趣のある菓子であるのに対し、「のし梅」は梅そのものの風味を薄いシートに凝縮させた、より直接的な梅の表現と言える。
他の地域の梅菓子に目を向ければ、例えば、梅の甘露煮を丸ごと使ったものや、梅酒の梅をゼリーや羊羹に仕立てたもの、あるいは干し梅や梅納糖のように、梅の実をそのまま加工したものが多く見られる。 これらは、梅の風味や食感を活かしつつも、その形や加工方法によって多様な姿を見せる。
「のし梅」の際立つ特徴は、その「薄くのしたシート状」という形態にあるだろう。梅の果肉と寒天を組み合わせ、乾燥させることで、単なるゼリーやジャムとは異なる、独特の弾力と凝縮された風味を持つ。他の多くの梅菓子が、梅の実の形を残したり、餡や求肥といった別の素材と組み合わせることで完成されるのに対し、「のし梅」は梅と寒天が一体となり、薄い膜として梅の存在を主張する。この薄さと粘性が、食べる際に指にまとわりつく性質を生むと同時に、梅の酸味と甘みをゆっくりと味わうための、ある種の「儀式」を伴う菓子へと昇華させているのだ。
現代の水戸において、「のし梅」は依然として地域の代表的な銘菓の一つとして親しまれている。水戸市内の老舗菓子店が伝統的な製法を守りながら製造・販売を続けており、主要駅の土産物店などでも広く取り扱われているのが実情だ。 旅行者が水戸を訪れれば、竹皮に包まれた「のし梅」が店頭に並ぶ様子を容易に目にすることができるだろう。
製造元によっては、完熟した国産梅をブレンドし、熟練の職人が丹精込めて美しい琥珀色に練り上げるという。 添加物を使用せず、代々受け継がれてきた製法を守り続ける店も少なくない。 こうした手仕事の風景は、大量生産の菓子とは一線を画す、地域の文化として息づいている。
一方で、現代の消費者の嗜好やライフスタイルの変化に対応しようとする動きも見られる。例えば、山形の「のし梅」を製造する老舗の中には、伝統的な「のし梅」の味を守りつつも、生チョコとのし梅を組み合わせた「玉響(たまゆら)」のような和洋折衷の新しい菓子を開発し、若い世代にもアピールする試みを行っているところもある。 また、食べる際には冷やしてさっぱりと味わう、あるいは小さくハサミで切って食べるなどの工夫も提案されており、現代の食卓に合わせた楽しみ方が模索されている。 しかし、その根底にあるのは、梅の風味を活かし、寒天で薄くのして乾燥させるという、古くからの製法が持つ魅力に他ならない。
水戸の「のし梅」を食べるとき、指先に残るあのべたつきは、単なる食べにくさとして片付けられるものではない。それは、梅の果肉を余すところなく使い切り、砂糖と寒天でその風味と栄養を閉じ込めて保存しようとした、先人たちの知恵と工夫の痕跡だと言える。元来が「気付け薬」であったという出自、そして携行性と保存性が重視された時代背景が、この独特の質感を生み出したのだ。
現代の菓子が、いかに手軽に、いかにきれいに食べられるかを追求する中で、「のし梅」のこの「手が汚れる」という性質は、一見すると時代に逆行しているようにも映る。しかし、このわずかな不便さが、かえって食べる行為に意識的な体験をもたらす。一枚一枚竹皮から剥がし、指先でその粘りを感じながら口に運ぶ。その一連の動作は、効率性とは異なる時間軸で、梅と向き合うことを促す。
のし梅のべたつきは、梅の持つ酸味と甘み、そして寒天が生み出す弾力が、薄い一枚のシートに凝縮されている証でもある。それは、梅という果実が持つ力強さを、そのまま手のひらに感じさせるような、過去との小さな接点なのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。