2026/6/2
なぜ日立の鵜の岬でしかウミウを捕獲しないのか?

日立の鵜の岬について教えて欲しい。なぜここでしかウミウを捕獲しないのか?
キュリオす
日立市十王町に位置する鵜の岬は、全国の鵜飼で使われるウミウの唯一の捕獲地です。その理由は、ウミウの生態、地理的条件、そして長年受け継がれてきた特殊な捕獲技術にあります。この記事では、鵜の岬が日本の鵜飼文化を支える役割を探ります。
茨城県日立市十王町に位置する鵜の岬。太平洋に突き出たこの岬は、白砂青松の海岸線が続く一方で、高さ30メートルもの海食崖が連なる場所でもある。眼下には荒々しい岩礁が広がり、波が打ち寄せる音が響く。一見すると、ただの景勝地だが、ここには全国の鵜飼を支える、ある重要な営みが存在する。それが、ウミウの捕獲だ。日本各地で行われる伝統的な鵜飼で用いられるウミウは、すべてこの鵜の岬で捕獲された野生の鳥なのである。なぜ、この特定の場所でしかウミウを捕獲しないのか。その背景には、鵜の生態、地域の歴史、そして人々の技術が複雑に絡み合っている。
鵜の岬におけるウミウ捕獲の歴史は古い。江戸時代の書物には、すでに伊師浜での鵜捕りの様子が記されているという。当初は、食用や「徒歩鵜漁(かちうりょう)」と呼ばれる川での鵜漁に利用されていたようだ。
大きな転換期は、大正時代以降に訪れる。この頃から、長良川をはじめとする全国各地の鵜飼地へウミウが供給されるようになった。決定的なのは、昭和22年にウミウが一般保護鳥に指定され、捕獲が原則禁止されたことだ。これにより、鵜の岬のウミウ捕獲場は、国から特別に許可された「日本で唯一のウミウ捕獲場」としての地位を確立した。
かつて伊師浜周辺には4箇所ほどの鵜捕り場が存在したが、風雨や海食による崩落、そして後継者不足により、昭和50年代には現在の鵜の岬ウミウ捕獲場1箇所に集約された。さらに平成15年には、その唯一残っていた捕獲場も岩盤ごと崩落するという事態に見舞われた。しかし、茨城県と日立市の支援のもと、人工的なトンネルを掘削し、現在の捕獲場が再建された経緯がある。
鵜の岬が全国で唯一のウミウ捕獲地として機能する背景には、複数の要因が重なっている。まず、地理的・生態学的な条件が挙げられる。この一帯の海岸は、高さ30メートルにも及ぶ海食崖が発達し、岩礁地帯が広がる。このような地形は、ウミウにとって外敵が少なく、安全な休息地や繁殖地となる。さらに、海食崖の下には小貝浜や伊師浜といった磯があり、魚介類や甲殻類が生息する海藻が繁茂しているため、小魚を主食とするウミウの採餌場としても理想的な環境だ。
ウミウが渡り鳥であることも、この地が選ばれる理由の一つである。ウミウは春には繁殖のため北海道方面へ、秋には越冬のため本州沿岸や九州方面へと南北に移動する。鵜の岬は、この渡りの途中で羽を休める中継地となっており、ウミウが一時的に集まる時期(4月から6月、10月から12月)に捕獲が行われるのだ。
次に、鵜飼に適したウミウの特性が重要である。鵜にはカワウ、ウミウ、ヒメウ、チシマウガラスなど複数の種類があるが、鵜飼に用いられるのは主にウミウだ。ウミウは体が大きく体力があり、潜水能力も高いため、鵜飼に適しているとされる。また、比較的おとなしく、人になれやすい性質も持ち合わせているという。
そして、何よりも重要なのが、長年受け継がれてきた「ウミウ捕獲技術」の存在である。ウミウの捕獲は、人工孵化による飼育が極めて困難であるため、自然界のウミウを捕獲するしかない。 捕獲は「鳥屋(とや)」と呼ばれる、丸太とコモで作られた小屋の中で行われる。鳥屋の外には数羽のおとりのウミウが配置され、それに誘われて舞い降りたウミウを、「かぎ棒」という先端にU字の針金がついた篠竹の道具で捕獲する。この技術は、平成4年に日立市の無形民俗文化財に指定されており、現在も限られた捕獲者によって継承されている。
日本全国には、岐阜県の長良川や京都府の嵐山をはじめ、観光資源として鵜飼が行われている場所が11箇所ある。これらの鵜飼は、その土地の歴史や文化と深く結びつき、地域の象徴となっている。しかし、多くの人が鵜飼の鵜がどこから来るのかまで意識することはないだろう。実は、全国各地の鵜飼で使用されるウミウは、そのほとんどが日立の鵜の岬で捕獲され、供給されているのだ。
例えば、1300年以上の歴史を持つとされる長良川の鵜飼は、織田信長や徳川家康の庇護を受け、現代まで継承されてきた。しかし、この伝統を支える鵜たちは、岐阜で独自に捕獲されているわけではない。彼らは茨城県日立市で捕獲された野生のウミウを、冬の間に鵜匠のもとへ送り届け、2~3年の訓練を経て一人前の鵜となる。
他の鵜飼地が自前でウミウを捕獲しないのは、単に技術的な問題だけではない。ウミウは保護鳥に指定されており、捕獲には都道府県の許可が必要となる。 鵜の岬は、その特別な許可と、長年の経験に裏打ちされた捕獲技術、そしてウミウの生態を熟知した「鵜捕り師」の存在が、他の地域との決定的な違いを生んでいる。多くの鵜飼地が、鵜の供給を鵜の岬に依存しているという事実は、一見すると独立した文化に見える伝統漁法が、実は全国的なネットワークの中で維持されていることを示している。鵜の岬は、いわば日本の鵜飼文化の「生命線」とも言える存在なのだ。
現在、鵜の岬では年間約40羽のウミウが捕獲され、全国の鵜飼地へ供給されている。 捕獲技術の保持者は限られており、日立市は「ウミウのまちづくり事業」として、捕獲技術の保存伝承、後継者の発掘・育成、捕獲場の保全などに力を入れている。 捕獲は春の渡り(4月~6月)と秋の渡り(10月~12月)の年2回行われ、捕獲が行われない1月~3月と7月~9月には、捕獲場が一般公開されている。
この一般公開では、観光客が実際に鵜捕り場へ続くトンネルを通り、海食崖の上に設けられた「鳥屋」を見学できる。トンネル内には全国の鵜飼地の紹介パネルが展示されており、捕獲者から直接、ウミウの生態や捕獲方法について話を聞く機会も設けられている。 これは、単なる見学に留まらず、伝統技術の重要性や、鵜飼文化を支える人々の営みを伝える貴重な機会となっている。
一方で、鵜飼文化全体が抱える課題も少なくない。長良川鵜飼のように、観覧客の減少や後継者不足といった問題に直面している地域もある。 鵜の岬におけるウミウ捕獲もまた、自然環境の変化や、技術の継承といった課題と常に隣り合わせだ。しかし、日立市が捕獲技術を無形民俗文化財に指定し、その保護と伝承に取り組む姿勢は、日本の伝統文化を足元から支えようとする意志の表れと言えるだろう。
日立の鵜の岬におけるウミウ捕獲は、一見すると地域の特殊な営みに過ぎないように見えるかもしれない。しかし、その実態は、全国各地に点在する鵜飼文化という広範な伝統を根底で支える、極めて重要な役割を担っている。鵜飼の鵜は、養殖ではなく野生のウミウでなければならないという制約が、鵜の岬という特定の場所の生態学的条件と、そこで育まれた独自の捕獲技術を結びつけたのだ。
この事実は、「伝統」というものが、単一の場所や技術だけで完結するのではなく、時には地理的に離れた複数の要素が、見えない糸で繋がって初めて維持される複雑なシステムであることを示している。鵜飼という日本の文化を語る上で、鵜匠の技や観覧船の風情が注目されがちだが、その背景には、日立の断崖でひっそりと続けられる捕獲の営みがある。鵜の岬は、日本の伝統文化の多様性とその相互依存関係を静かに物語る場所なのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。