2026/7/8
祇園祭の傘鉾はなぜ2つある?「風流」の精神を伝える動く祭壇とは?

山鉾の中には傘鉾が2つある。なぜ2つの傘鉾があるのか?傘鉾とはなんなのか?
キュリオす
祇園祭の傘鉾は、疫病退散の祈りを込めた「風流」の精神を伝える「動く祭壇」です。綾傘鉾と四条傘鉾は、一度は途絶えながらも地域住民の熱意で復興し、現代にその姿を伝えています。
厄を祓う「風流」の原形
祇園祭の起源は、遠く平安時代初期にまで遡る、日本の祭礼文化の深淵に根差したものです。具体的には、貞観5年(863年)という時代に、京都の都を襲った大規模な疫病の流行が発端とされています。当時の人々にとって、疫病は単なる病ではなく、怨霊や疫神といった超自然的な存在がもたらす災厄であると信じられていました。この未曾有の危機に対し、朝廷は神泉苑において「御霊会(ごりょうえ)」を執り行い、疫神を鎮め、都の平安を祈願しました。この御霊会こそが、現在の祇園祭へと繋がる最初の儀式とされています。
御霊会は、怨霊や疫神といった災厄をもたらす存在を鎮めるための祭礼であり、その祈りの形は多岐にわたりました。都の町々では、疫病退散への切実な願いを込めて、神の依り代として小型の鉾を飾り、それを持ち歩くという風習が生まれました。これは、疫神を招き入れ、あるいは鎮め、最終的には都の外へと送り出すという、当時の人々の信仰心に基づいた行動でした。この「鉾」の原初的な形態の一つが、現在の祇園祭の山鉾巡行において独特の存在感を放つ傘鉾へと繋がる「風流(ふりゅう)拍子物」だったのです。
「風流」とは、単に華やかであるというだけでなく、趣向を凝らした芸能や、人目を引くような意匠を指す言葉で、中世以降の日本の祭礼文化に広く見られるようになりました。その本質は、人々の心を惹きつけ、神々を慰め、あるいは災厄を祓うための、視覚的・聴覚的な表現にありました。祇園祭の傘鉾は、この「風流」の精神を色濃く残しており、剣鉾や鎌鉾といった、現在の大型の山鉾が完成する以前の、より古い祭礼の形態を今に伝える貴重な存在とされています。その歴史の長さは、応仁の乱以前、すなわち15世紀前半の記録にもすでに「綾傘鉾」が登場していることからもうかがい知ることができ、千年の都の歴史と共に歩んできた伝統の重みが感じられます。
綾傘鉾と四条傘鉾
現在、祇園祭の壮麗な山鉾巡行において、その多様な山鉾群の中でも特に異彩を放つのが、二つの傘鉾です。前祭で巡行する「綾傘鉾(あやがさほこ)」と「四条傘鉾(しじょうかさほこ)」がそれにあたります。これらの傘鉾は、他の多くの山鉾が巨大な山車を曳き、その上に豪華な飾り付けを施し、囃子方を乗せて巡行するのとは一線を画しています。傘鉾の巡行は、巨大な傘を中心に据えながらも、その最大の特徴は、傘に先立って進む「棒振り囃子(ぼうふりばやし)」や稚児、そして囃子方の行列が織りなす「動く芸能」としての側面にあります。
綾傘鉾は、その名が示す通り、絢爛たる大傘を特徴とします。この傘の頂には、神聖な金鶏が戴かれ、その姿は山鉾の中でも特に古い形態を留めていることを強く示唆しています。巡行の際には、六人の稚児が華やかな装束を身にまとい、赤熊(しゃぐま)と呼ばれる赤い髪飾りをつけた棒振り衆が顔を隠しながら、そして神面をつけた太鼓持ちや太鼓打ちの囃子方が、賑やかな音色を奏でながら傘鉾に先立って進みます。彼らは長い行列を組み、巡行路の要所要所で囃子に合わせて棒振りを披露します。この棒振り囃子と踊り方は、江戸時代から続く伝統であり、京都の壬生地域に伝わる壬生六斎念仏講中が出仕する習わしが今日まで受け継がれています。彼らの芸能は、単なる見世物ではなく、疫病退散の祈りを込めた神聖な舞として、観衆を魅了し続けているのです。
一方、四条傘鉾もまた、綾傘鉾と同様に、祇園祭の初期の形態を伝える貴重な傘鉾です。その特徴は、祇園唐草模様が施された優美な大傘に、錦の豪華な垂れが飾られた花傘にあります。この傘もまた、神聖な依り代としての役割を担っています。四条傘鉾の巡行においても、棒振り衆や踊り手、そして囃子方が徒歩で巡行し、その道中で独特の芸能を披露します。彼らが演じる風流踊りは、室町時代に京都から全国へと広まった「風流踊り」を起源としており、特に滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」をもとに構成されているとされます。ケンケト踊は、太鼓や笛の音に合わせて勇壮かつ軽快に踊るもので、その起源が祇園祭にまで遡るという歴史の深さが、四条傘鉾の芸能の価値をさらに高めています。このように、二つの傘鉾はそれぞれ異なる特徴を持ちながらも、「風流」という共通の精神を現代に伝えているのです。
二つの傘鉾がたどった道
祇園祭において、綾傘鉾と四条傘鉾という二つの傘鉾が、千年の時を超え、幾多の困難を乗り越えて現在までその姿を伝えている背景には、それぞれの町衆の並々ならぬ努力と、幾度もの中断と復興の壮絶な歴史があります。特に、幕末の元治元年(1864年)に京都の都を襲った「禁門の変」による大火、通称「どんどん焼け」は、祇園祭の山鉾にとって壊滅的な被害をもたらしました。この大火は、京都の市街地の大部分を焼き尽くし、多くの山鉾がその豪華な懸装品や本体を焼失しました。
綾傘鉾もまた、この未曽有の大火によって、その大部分を焼失するという甚大な被害を受けました。祭礼の道具や装飾品の多くが灰燼に帰し、一時はその存続すら危ぶまれる状況に陥りました。明治初期には、町衆の尽力によって一時的に復興を遂げ、巡行に参加することもできましたが、その後の混乱期や経済的な困難、そして人々の生活様式の変化の中で、残念ながら巡行は途絶えてしまいます。しかし、綾傘鉾町の人々は、その伝統を決して諦めませんでした。長い年月をかけて資料を収集し、技術を研究し、資金を集めるという地道な努力を重ねた結果、昭和54年(1979年)に、約100年ぶりに現在の形で綾傘鉾が復興を遂げ、再び祇園祭の巡行に参加するに至りました。これは、地域の文化を守り伝えようとする強い意志の結晶と言えるでしょう。
四条傘鉾もまた、幕末の大火の後、綾傘鉾と同様に苦難の道を歩みました。明治5年(1872年)以降はほぼ消滅状態となり、その道具類も散逸してしまうという憂き目を見ました。長きにわたり、その存在は記録の中にしか残されていない状態が続きました。しかし、昭和60年(1985年)から、四条傘鉾町内の人々が中心となり、その再興に向けた具体的な努力が始められました。失われた道具の復元、古文書の解読、そして何よりも、途絶えていた踊りや囃子の復元には、地域の人々の深い情熱と粘り強い調査が不可欠でした。そして、その努力が実を結び、昭和62年(1987年)には、実に117年ぶりに傘鉾本体と、それに伴う踊り・囃子が揃って巡行に復帰するという、感動的な瞬間を迎えました。
このように、二つの傘鉾は、それぞれが異なる歴史的背景と困難を抱えながらも、一度は途絶えながらも、地域住民の強い熱意と、先人たちの築き上げてきた伝統を現代に受け継ごうとする揺るぎない意識によって、その雄姿を伝えているのです。彼らの復興の物語は、祇園祭が単なる観光イベントではなく、地域コミュニティの深い絆と、文化継承への使命感によって支えられていることを雄弁に物語っています。
「動く芸能」としての山鉾
祇園祭の山鉾は、大きく分けて「鉾」と「山」の二つのタイプに分類されることが一般的です。鉾は、その名の通り巨大な車輪を持つ山車で、真木(しんぎ)と呼ばれる非常に高い柱が中央に立てられ、その先端には金属製の飾りが付くのが特徴です。鉾の上には囃子方が乗り込み、独特の祇園囃子を演奏しながら巡行します。その壮麗な姿と威容は、観衆を圧倒するほどの迫力があります。一方、山は鉾に比べて比較的小型で、真木ではなく真松(しんまつ)を立て、その周りに物語や伝説に登場する人形を飾ることが多いです。これらは、特定の場面や物語を表現する「動く舞台」としての性格を持っています。
しかし、傘鉾はこれら一般的な山鉾の分類とは異なる、独自の形態と役割を持っています。その特質は、何よりもその「動く芸能」としての側面にあります。多くの山鉾が、その巨大な飾り物としての役割や、豪華な懸装品で彩られた美術品としての側面を強く持つ一方で、傘鉾は、囃子方や踊り手が一体となって巡行し、道中で舞を披露することにその本質があります。これは、祇園祭の基層に流れる「風流拍子物」という、古来の祭礼芸能の特質を極めて色濃く残しているものとされています。
「風流拍子物」とは、華やかな装飾と、それに伴う音楽や舞踊が一体となった芸能を指し、その目的は神霊を招き、慰め、あるいは疫病を祓うことにありました。傘鉾の場合、神霊が依り付く「座(くら)」としての役割を担う大きな傘が、賑やかな囃子に囃されて移動することで、神霊の動座、すなわち神がその場に現れ、活動することを現していると考えられています。傘の下で繰り広げられる棒振りや踊りは、単なるパフォーマンスではなく、神聖な儀式の一部であり、疫神を鎮め、あるいは祓い清めるための力強い表現なのです。
つまり、傘鉾は単なる飾り物や移動する美術品ではありません。それは、祭礼そのものが持つ疫病退散の切実な祈願と、それを具現化する芸能が一体となった、古来の祭りの姿を最も純粋な形で伝える存在なのです。その行列は、都大路を移動する一つの舞台であり、その上で演じられる芸能は、観る者すべてを巻き込み、共に祈り、共に喜びを分かち合う、生きた信仰の表現と言えるでしょう。この「動く芸能」としての側面こそが、傘鉾が他の山鉾とは一線を画し、祇園祭の多様性の中で独自の輝きを放つ理由なのです。
現代の京の都を彩る傘鉾
現代の祇園祭において、綾傘鉾と四条傘鉾は、その独特な形態と、観衆を魅了する「棒振り囃子」で、京の都の夏を彩る重要な存在であり続けています。特に綾傘鉾は、山鉾巡行中、最も長い行列を誇る山鉾の一つとなることがあり、その壮大な光景は多くの人々を惹きつけます。その行列は、先頭の棒振り衆から傘鉾本体、そして後続の囃子方まで、「動く芸能絵巻」と呼ぶにふさわしいものです。
多くの鉾の稚児が現在では人形に代わってしまっている中で、綾傘鉾では現在も6人の「生き稚児」が巡行に参加している点は特筆すべきことです。生身の子供たちが、古式ゆかしい装束を身にまとい、神聖な役割を担って都大路を歩く姿は、祇園祭が単なる伝統行事ではなく、生きた信仰と文化の継承であることを強く印象づけます。彼らの存在は、祭りの神聖性を高めるとともに、未来へ続く生命の輝きを象徴しているかのようです。
祇園祭の宵山期間中には、綾傘鉾の会所がある大原神社で、焼失前の綾傘鉾の模型や、人間国宝である森口華弘氏が寄贈した友禅染「四季の花」の豪華な「垂り」などが展示され、多くの人々がその歴史と美意識に触れることができます。これらの展示品は、綾傘鉾がたどってきた苦難の歴史と、それを乗り越えてきた町衆の情熱、そして日本の伝統工芸の粋を集めた美の結晶を物語っています。
四条傘鉾もまた、復活以来、その伝統的な風流踊りを地域の子どもたちが担うなど、地域コミュニティに深く根差した形で継承されています。子どもたちが太鼓や笛の音に合わせて、練習を重ねた踊りを巡行路で披露する姿は、観客から大きな拍手喝采を受ける賑やかな見どころの一つとなっています。これは、単に伝統を「守る」だけでなく、次世代へと「伝える」という、地域住民の強い意志の表れであり、祭りが地域社会の絆を深める重要な役割を果たしていることを示しています。
このように、二つの傘鉾は、それぞれが異なる歴史をたどりながらも、祇園祭の多様な山鉾のなかで「風流」という祭礼芸能の原点を今に伝える貴重な存在として、京の夏を鮮やかに彩り続けています。彼らの存在は、祇園祭が単なる観光イベントではなく、脈々と受け継がれてきた信仰と芸能の生きた文化遺産であることを、現代に生きる私たちに改めて教えてくれるのです。
「動く祭壇」としての機能
祇園祭の山鉾は、しばしば「動く美術館」と称され、その豪華絢爛な懸装品や精緻な細工は、日本の伝統工芸の粋を集めた美術品として世界中から賞賛されています。しかし、傘鉾はその形容とは異なる、より本質的で根源的な役割を担っています。それは、単に美しさを競うだけでなく、疫神を鎮め、都の平安を祈るための「動く祭壇」としての機能です。
他の大型の鉾が、その威容と豪華さをもって神々を迎え入れ、あるいは疫神を圧倒し、都から追い払う存在であるとすれば、傘鉾は、囃子と舞踊という芸能の力によって、直接的に疫神を「愉しませ」、あるいはその力を「払い飛ばす」という、より直接的で身体的なアプローチに重きを置いています。傘そのものが神霊の依り代であり、その下で繰り広げられる芸能は、神聖な空間で行われる儀式そのものです。踊り手や囃子方の動き、音色は、単なる娯楽ではなく、神聖な力を持つ呪術的な行為として、疫神に働きかけるのです。
応仁の乱以前から存在し、幾度もの中断と焼失、そして奇跡的な復興を経て、現代にその姿を伝えている二つの傘鉾の物語は、祇園祭が単なる見世物や観光イベントではなく、人々の切実な願いと、それを表現する芸能が一体となった、生きた祭礼であったことを、現代の私たちに雄弁に示しています。それは、古代の人々が疫病という不可視の脅威に対し、いかに真摯に向き合い、いかにしてその恐怖を乗り越えようとしたかという、人間の根源的な営みを映し出しているかのようです。
その意味で、傘鉾は祇園祭の多様な山鉾のなかでも、祭りの根源的な精神、すなわち、災厄を祓い、平穏を願う人々の祈り、そしてその祈りを具現化する芸能の力を、最も色濃く残し、継承している存在だと言えるでしょう。彼らが都大路を巡行する姿は、千年の時を超えて受け継がれてきた、京都の人々の信仰と文化の深さを、私たちに静かに、しかし力強く語りかけているのです。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 祇園祭の傘鉾~綾傘鉾~ | ゴット先生の京都古代文字案内510.kyoto.jp
- 綾傘鉾 -綾傘鉾保存会- » 綾傘鉾についてayakasahoko.or.jp
- 祇園祭 2026 | 綾傘鉾特集 | 京都観光情報 KYOTOdesignkyoto-design.jp
- 祇園祭 山鉾の種類・数・重量、そして山と鉾の違いは?blog.kanko.jp
- 綾傘鉾(京都祇園祭)kyoto-k.sakura.ne.jp
- 綾傘鉾 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 綾傘鉾 | 祇園祭2026 GION-MATSURI 京都の街中がミュージアム! by 京都で遊ぼうkyotodeasobo.com
- 「特別奉納 祇園祭綾傘鉾 棒振り囃子」 ふたつの神社を繋ぐ物語 - Kyoto Love. Kyoto 伝えたい京都、知りたい京都。kyotolove.kyoto