2026/6/19
なぜ吉野葛は冬の極寒と冷水でしか作れないのか

吉野の葛の歴史について詳しく教えて欲しい。いつ頃から注目され、現状どうなっているのか。
キュリオす
吉野葛は、夏の雑草クズの根から作られる純白の粉。その製造には、冬の極寒期に氷点下に近い冷水で十数回晒す「吉野晒」という非効率な工程が不可欠。この手間と土地の制約が、吉野葛を「白いダイヤ」と呼ばれる高級品へと押し上げた。
宇陀の極寒と吉野葛の精製
冬の吉野、特に宇陀の古い町並みを歩くと、空気の密度が一段と増したように感じる。盆地特有の底冷えが足元から這い上がり、吐き出す息は驚くほど白い。この地で「吉野葛」と呼ばれる純白の粉が生み出されるのは、一年で最も冷え込む十二月から三月にかけての限られた期間だ。葛(クズ)という植物そのものは、夏の盛りには道路脇や空き地を覆い尽くすほど旺盛な繁殖力を持つ、いわばどこにでもある雑草である。しかし、その泥にまみれた無骨な根から、宝石のような透明感を持つ粉を抽出する工程には、気が遠くなるほどの時間と、この土地の過酷な寒さが不可欠だった。
かつてこの地を訪れた際、製造所の桶に張られた水の冷たさに指を浸し、数秒も保たなかったことを覚えている。職人たちはこの氷点下に近い水に何度も手を入れ、澱粉を晒し続ける。なぜこれほどまでに不便で、苦痛を伴う製法が現代まで残ったのか。そこには、単なる伝統の維持という言葉では片付けられない、土地の制約と人間の知恵が結びついた特異な歴史がある。葛という植物が、単なる飢饉の際の救荒食から、宮廷や幕府に献上される至高の食材へと昇華された背景には、吉野という土地が抱える「山」と「水」の物語が隠されている。
修験の山から江戸の薬園へ
葛の歴史を遡ると、神話と伝説が入り混じる古い地層に突き当たる。奈良県吉野郡にある「国栖(くず)」という地名は、日本書紀や古事記にも登場する古い部族の名に由来する。彼らは吉野川の上流に住み、山野の産物を糧としていた。この国栖の人々が、自生するクズの根から澱粉を採り、食用にしていたことが「クズ」という呼称の始まりだと言われている。また、吉野・大峰山を修行の場とした修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が、修行の合間に葛の根を晒して澱粉を採る技術を習得し、それを各地の里人に伝授したという伝承も残っている。修験者にとって、保存が利き、滋養に富む葛粉は、厳しい山中での修行を支える貴重なエネルギー源であった。
産業としての大きな転換点は、江戸時代中期に訪れる。八代将軍徳川吉宗による「享保の改革」だ。当時の日本は、中国から輸入される生薬に莫大な国富が流出しており、幕府は薬草の国産化を急務としていた。一七二九年(享保十四年)、幕府の採薬使である植村政勝(植村左平次)が大和の地を調査に訪れた際、その案内役を務めたのが、大宇陀で葛粉製造を営んでいた森野家の十一代目、森野通貞(藤助)であった。通貞は政勝に随行して各地の薬草を採集し、その功績によって幕府から朝鮮人参をはじめとする貴重な外国産の薬草六種を拝領する。これが、現在も大宇陀に残る日本最古の私設薬草園「森野旧薬園」の始まりである。
当時の葛は、単なる食材ではなく、漢方薬「葛根湯」の主原料としての側面が強かった。森野家は葛粉の製造と並行して薬草の研究を深め、その技術と品質は幕府や朝廷から高く評価されるようになる。吉野の葛が「吉野葛」としてブランドを確立したのは、この薬草としての信頼性と、吉野山を訪れる観桜客や修験者たちの土産物として広まったという二つのルートが重なった結果であった。江戸時代の物産図会には、純白の塊となった吉野葛が名産品として描かれており、すでにこの時期には、他の地域で生産される葛粉とは一線を画す「高級品」としての地位を固めていたことが伺える。
澱粉を純白へと変える「吉野晒」
吉野葛の品質を決定づけているのは、「吉野晒(よしのざらし)」と呼ばれる独特の精製法だ。クズの根は、掘り出した直後は泥を噛んだ大きな木の塊にしか見えない。これを粉砕し、水の中でもみ出して澱粉を取り出すのだが、最初に出てくる液は灰褐色で、強いアクと苦味を含んでいる。この液を沈殿させ、上澄みを捨て、再び新しい水を加えて撹拌する。この「晒し」の工程を十回前後、数ヶ月にわたって繰り返すことで、澱粉は次第に不純物を削ぎ落とし、雪のような純白へと近づいていく。
この工程において、決定的な役割を果たすのが「水」と「寒さ」である。吉野・宇陀地方の地下水は、ミネラル分、特に鉄分が極めて少ない軟水であることが知られている。澱粉の精製過程で水に鉄分が含まれていると、クズ特有のタンニンと反応して色がくすんでしまう。純白の美しさを保つためには、この土地の清冽な水が不可欠だった。また、冬の極寒期に作業を行うのは、水温を低く保つことで雑菌の繁殖を抑え、発酵による品質劣化を防ぐためだ。氷点下に近い水温で晒し抜かれた澱粉は、粒子が極めて細かく、加熱した際に独特の強い弾力と、向こう側が透けて見えるほどの透明感を生み出す。
しかし、この精製法は驚くほど効率が悪い。掘り出された葛の根から最終的に得られる葛粉の量は、元の重量のわずか六%から十%程度に過ぎない。一キロの純白の粉を得るために、十キロ以上の巨大な根を山から掘り出し、数ヶ月かけて冷水で晒し続ける必要があるのだ。この歩留まりの低さと、厳寒期の手作業という過酷な条件が、吉野葛を「白いダイヤ」と呼ばれるほどの高価な食材へと押し上げた。現代の合理的な食品製造の視点から見れば、非効率の極みとも言えるこのプロセスが、結果として他では真似のできない品質の防波堤となっている事実は興味深い。
秋月と掛川、それぞれの白さ
吉野葛が独占的な地位を占めているように見えるが、歴史を俯瞰すれば、日本各地に葛の産地は点在していた。特に吉野と比較されることが多いのが、福岡県朝倉市の「秋月葛(筑前葛)」である。秋月での葛作りは、江戸時代の文政年間(一八一九年頃)に始まったとされる。一八一九年に創業した廣久葛本舗の初代・髙木久助は、長崎で葛の精製法を学び、それを故郷の秋月で広めた。秋月もまた、周囲を山に囲まれた城下町であり、良質な地下水と冬の寒冷な気候という、吉野と共通の条件を備えていた。
秋月葛(久助葛)の特徴は、その徹底した一子相伝の技術と、薬品を一切使わない自然乾燥にある。吉野葛が「吉野晒」という地名を冠したブランドとして広まったのに対し、秋月葛は特定の製造家が守り抜く「職人の味」としての色彩が強い。吉野が広域な産地形成を行ったのに対し、秋月は極めて限定的な地域でその純度を保ってきた。また、静岡県掛川市の「掛川葛」は、食としての葛粉以上に、葛の蔓(つる)から繊維を採る「葛布(かっぷ)」の産地として名を馳せた。掛川では葛粉も作られていたが、それはむしろ葛布を織る際の副産物や、地域の人々の滋養食としての側面が強かった。
これらの地域を比較して見えるのは、葛という植物が、土地の「余剰」をどう活用するかの答えであったという点だ。吉野や秋月のような、急峻な地形で大規模な新田開発が困難だった場所では、山に自生するクズは数少ない換金作物となった。一方で、掛川のように東海道の要衝として栄えた場所では、葛は旅人の喉を潤す「葛湯」や、武家の装束となる「葛布」へと姿を変えた。吉野がその中で頂点に立ち続けたのは、森野家のような薬草学的な裏付けを持つ製造家が存在し、早い段階から「薬としての純度」を追求したことが大きいのではないか。各地の葛が、それぞれの土地の経済的制約の中で、食へ、あるいは布へと分岐していった歴史は、植物と人間との関わり方の多様性を示している。
200年続く暖簾と「本葛」の境界
現在の吉野を歩くと、天極堂や森野吉野葛本舗といった老舗の暖簾が今も誇り高く掲げられている。しかし、市場に目を向けると、「葛粉」という言葉の定義は極めて曖昧になっていることに気づかされる。スーパーの棚に並ぶ安価な葛粉の多くは、実はサツマイモ澱粉(甘藷澱粉)を主原料とし、葛粉を少量混ぜたもの、あるいは全く含まないものさえある。これらは「葛粉」という名称で流通しているが、伝統的な製法で作られたものとは別物だ。
この混乱を整理するため、現在では公正競争規約によって明確な表示ルールが定められている。クズの根から採った澱粉一〇〇%のものは「本葛(ほんくず)」、サツマイモ澱粉などを混ぜたものは単に「葛粉」と表記される。さらに「吉野本葛」と名乗るには、奈良県内で精製され、クズ澱粉一〇〇%であるという厳しい条件を満たさなければならない。二〇二三年前後には、こうした地域ブランドを保護するための動きも加速し、地域団体商標としての価値が再認識されている。
だが、制度が整う一方で、現場が抱える課題は深刻だ。最大の懸念は、原料となる葛の根を掘り出す「掘り子」の減少である。葛の根は栽培が難しく、今も職人が冬の山に入り、野生のものを手作業で掘り起こしている。重さ数十キロにもなる根を斜面から運び出す作業は重労働であり、高齢化によってその担い手は絶滅の危機に瀕している。また、かつては農閑期の副業として成り立っていたこの仕事も、現代の労働構造の中では維持が難しくなっている。私たちが口にする一碗の葛切りや葛餅は、実はこうした消えゆく山の労働の上に成り立つ、極めて危うい均衡の上にある贅沢品なのだ。
厳寒期の冷水が作る食感
吉野の葛を巡る旅を終えて思うのは、葛という植物が持つ二面性の面白さだ。放置すれば他の樹木を絞め殺し、電柱や線路を覆い尽くす「緑の怪物」とも呼ばれる厄介な雑草が、人間の手を経ることで、これほどまでに繊細で気品のある白へと変わる。この「精製」という行為こそが、吉野の歴史そのものではないか。山という過酷な自然環境を、修験の知恵や薬草学というフィルターを通して濾過し、純粋な価値だけを抽出していく。その過程で捨て去られた九割の「無駄」こそが、残された一割の「本物」に重みを与えている。
かつては薬として、あるいは飢えを凌ぐための糧として求められた葛は、今やその「不便さ」ゆえに価値を持つ存在となった。サツマイモ澱粉で代用できるものを、あえて氷点下の水で晒し続ける。その非効率な時間の蓄積が、口にした瞬間の、あの儚いほど滑らかな食感を生んでいる。それは技術革新によって得られる便利さとは対極にある価値だ。
吉野の古い製造所の裏手には、今も晒し終えた葛の塊が、静かに乾燥を待つ姿がある。それは、自然界の混沌とした野生を、人間の忍耐によって飼い慣らした証拠のようにも見える。答えはいつも、効率の向こう側ではなく、手間を惜しまなかった時間の堆積の中に落ちている。大宇陀の道の駅で手にした葛粉の塊は、石灰のように冷たく硬い。その白さは、氷点下に近い水で十回におよぶ晒しを繰り返した、数ヶ月間の手作業の集積を物語っていた。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 葛粉 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 吉野本葛の老舗・奈良・井上天極堂の公式サイトkudzu.co.jp
- 掛川100景 【No.50】 葛|掛川市kakegawa-city.note.jp
- 葛粉の種類と違いを徹底比較|本葛・加工葛の見分け方と選び方 | 京菓子・和菓子原料の専門商社minoyo.co.jp
- 葛布(くずふ)の歴史と技法~時代ごとに姿を変えてきた日本の原始布~kanazawaya-nihondaira.que.ne.jp
- 商品に葛や本葛の表示がしてありますが、その違いを教えてください。 - 食のなるほどQ&Ayoishokuhin.blog.fc2.com
- 秋月に今も息づく食文化「久助葛」の魅力|廣久葛本舗 | もっと福岡-福岡観光・グルメ・お土産など情報サイトfukuoka-yokamon.com