2026/6/12
なぜ温泉津の温泉は港に湧き出すのか?銀の道と湯の道が交差した歴史

温泉津の歴史について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
温泉津は、日本海に面した港に温泉が湧き出す珍しい温泉地です。その歴史は、石見銀山の積出港として栄えた「銀の道」と、古くから湯治場として利用されてきた「湯の道」が交差したことに深く根ざしています。
港に立ち上る湯気と潮の香り
日本海に面した温泉津の港に立つと、潮の香りに混じって微かな硫黄の匂いが鼻をかすめる。港町の喧騒のすぐそばに、湯気の立ち上る温泉街がひっそりと息づいている。一般的な温泉地が山間や渓谷に位置することが多いのに対し、温泉津はまさしく港そのものに温泉が湧き出す異色の場所だ。なぜこの地で、海と湯という異なる要素がこれほど密接に結びついてきたのか。その問いは、この町の歴史そのものに深く根ざしている。
銀の道と湯の道が交差した時
温泉津の歴史は、その名の通り温泉と港の二つの軸で語られる。温泉の発見については諸説あるが、鎌倉時代後期に漁師が傷ついたタヌキが湯で癒えているのを見て発見したという伝承が残る。これが「薬師湯」の起源とされ、古くから湯治場として利用されてきたことがうかがえる。しかし、温泉津が歴史の表舞台に立つのは、やはり石見銀山との結びつきにおいてだろう。中世末期から近世にかけて、石見銀山は日本有数の銀産地として栄え、その銀を国内外に送り出す積出港として温泉津港が重要な役割を担うことになる。
特に戦国時代から江戸時代初期にかけて、石見銀山は毛利氏、豊臣氏、そして徳川幕府と、時の権力者たちの争奪の対象となった。銀山から産出された大量の銀は、陸路で温泉津港まで運ばれ、そこから日本海を経て各地へ、さらには海外へと運ばれていったのだ。この「銀の道」の要衝として、温泉津は多くの船や人で賑わい、港町としての性格を強めていく。温泉津港は、銀の積み出しだけでなく、銀山で働く人々やその生活を支える物資の輸送拠点でもあった。港の活気は、温泉地の発展にも寄与したと考えられる。江戸時代に入ると、幕府直轄地として「天領」となり、温泉津代官所が置かれるなど、その重要性はさらに高まった。
潮風が育んだ「御前湯」と「薬師湯」
温泉津の温泉が港に湧出する背景には、この地域の独特な地質構造がある。温泉津温泉は、地下深くのマグマによって熱せられた水が、地層の断層を通じて地表に湧き上がったものと考えられている。この一帯は、日本海拡大に伴う火山活動の影響を強く受けており、特に温泉津港の周辺には、温泉水が湧き出しやすい地質条件が整っていたのだ。
港町としての繁栄と温泉の存在は、互いに影響し合った。銀山からの銀を積んだ船乗りや商人たちは、長旅の疲れを温泉で癒しただろう。また、港の賑わいは温泉地の経済基盤を強化し、湯治客だけでなく、商用で訪れる人々にも利用されるようになった。温泉津には「御前湯」と「薬師湯」という二つの共同浴場があるが、これは単なる温泉施設以上の意味を持つ。御前湯は明治時代に建てられた洋風建築が特徴で、かつての賑わいを偲ばせる。一方の薬師湯は、より古くからの湯治文化を伝える湯として、それぞれ異なる顔を見せている。これら共同浴場は、単に体を清める場であるだけでなく、旅人や地元住民の情報交換の場、あるいは社交の場としても機能してきたはずだ。温泉津の温泉は、単独で存在するのではなく、港という経済活動のハブと一体となってその価値を高めてきたと言えるだろう。
他の港町温泉との対比
日本には港に面した温泉地がいくつか存在するが、温泉津のように、これほど大規模な国際交易品の積出港としての役割と、古くからの湯治場としての性格を併せ持った例は稀である。例えば、北海道の函館湯の川温泉や、静岡県の熱海温泉なども港に面しているが、これらは観光地としての開発が主眼に置かれる傾向が強い。湯の川温泉は漁港に近いが、湯治の歴史よりも観光地としての発展が先行した。熱海温泉は古くからの歴史を持つが、その港は主に旅客輸送や観光船の拠点であり、温泉津が担ったような大規模な鉱物資源の積出港としての機能は持たなかった。
温泉津の特異性は、石見銀山という当時の日本経済を支える一大産業と直結していた点にある。銀という高価な産物を運ぶ物流の要衝でありながら、同時にその過酷な労働や長旅の疲れを癒す温泉が隣接していたという構造は、他の港町温泉には見られない。多くの港町が専ら物流や漁業で栄え、温泉地は山間部に独立して発展してきたのに対し、温泉津では「銀を運ぶ港」と「その疲れを癒す温泉」が一体となり、互いの存在意義を補強し合ってきたのだ。これは、自然の恵み(温泉)と人間の経済活動(銀山開発と交易)が、地理的な条件(港)を介して極めて密接に結びついた稀有な事例と言える。
世界遺産の町に残る港と湯
現代の温泉津は、かつての石見銀山の積出港としての賑わいを直接目にすることは少ない。しかし、その面影は町のいたるところに残されている。2007年に石見銀山遺跡とその文化的景観がユネスコの世界遺産に登録された際、温泉津は「石見銀山街道」の一部として、そして銀を運び出した港として、その構成資産の一つに数えられた。これにより、温泉津の歴史的価値は国際的に認められることとなった。
現在、温泉津の港は主に漁業に使われ、小型船が行き交う静かな風景が広がる。しかし、温泉街には今も二つの共同浴場「御前湯」と「薬師湯」が健在で、特に薬師湯は源泉かけ流しの湯治場として、全国から湯治客が訪れる。御前湯のレトロな建築や、薬師湯のひなびた雰囲気は、訪れる人々に時間旅行のような感覚を与えるだろう。世界遺産登録以降、観光客は増加傾向にあるが、過度な開発を避け、歴史的な町並みや湯治文化の保存に力が注がれている。港と温泉という二つの異なる要素が、静かに共存し続けているのが今日の温泉津の姿である。
旅路の終着点としての湯
温泉津の歴史をたどると、そこには単なる温泉地や港町ではない、複合的な顔が見えてくる。石見銀山という巨大な富を生み出す産業の「出口」であり、同時にその富を支える人々の「癒し」の場でもあった。銀を運ぶ船乗りや、銀山で働く人々にとって、温泉津の湯は過酷な労働や長旅の終着点であり、明日への活力を養う場所だったに違いない。
この町が示すのは、経済活動と人々の生活、そして自然の恵みが、いかに密接に結びつき、互いに影響し合って一つの文化景観を形成してきたかという事実だ。港から湯気が立ち上るという一見奇妙な光景は、歴史の中で必然的に生まれたものであり、温泉津が持つ多面的な価値を象徴している。それは、旅の疲れを癒す湯が、かつては富と労苦の交差点でもあったことを静かに物語っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 石見銀山と温泉津 - 薬師湯 温泉津温泉 〜 石見銀山 世界遺産の温泉 〜yunotsu.com
- 北前船と石見銀山 - 港町・温泉津の歴史をたどる|詳細ページkitamae-project.com
- 世界遺産 石見銀山と温泉津 - 旅館ますや 石見銀山の宿ryokan-masuya.jimdoweb.com
- 世界遺産・石見銀山にある「温泉津温泉」 温泉が湧き出る港町・温泉津(ゆのつ)を訪ねて | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイトkankou-shimane.com
- 石見銀山と温泉津 水中考古学 Vol.8 | ダイビングならDiver Onlinediver-online.com
- 大田市温泉津伝統的建造物群保存地区 | ニッポン旅マガジンtabi-mag.jp
- 島根県:温泉津港(トップ / 環境・県土づくり / 港湾・空港 / 港湾 / 港湾整備)pref.shimane.lg.jp
- 世界遺産 文化遺産オンラインonline.bunka.go.jp