2026/6/23
なぜ甲州市塩山下小田原上条の家屋は「福助型」と呼ばれる独特の屋根を持つのか

甲州市塩山下小田原上条の伝統的建造物群保存地区について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
甲州市塩山下小田原上条集落では、養蚕業の発展に伴い、採光と通風を確保するための「突き上げ屋根」を持つ独特な家屋が形成された。この「福助型甲州民家」は、地域の地理的条件と産業の歴史が結びついた景観として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
山麓に刻まれた養蚕の記憶
甲府盆地の北東、重川が流れ下る山麓に、甲州市塩山下小田原上条という集落がある。車を降りて坂道を登り始めると、眼下に広がる盆地の眺望とともに、どこか懐かしい風景が目に飛び込んでくる。急な傾斜地に石垣が築かれ、その上に家々が雛壇状に並ぶ。その多くが、屋根の中央部が一段高く持ち上がった独特の形状をしており、訪れる者は一様に足を止めるだろう。なぜこの山間の集落に、このような特徴的な家屋が密集して残っているのか。その問いは、かつてこの地を支えた産業の記憶へと誘う。
養蚕が形作った集落の姿
上条集落の成立時期は定かではないが、江戸時代中頃にはすでに現在とほぼ同規模の集落が存在していたと考えられている。当初は畑作を中心に営まれていたこの山村は、明治時代中期以降、政府の振興策と技術の進展に呼応して養蚕へと大きく舵を切ることになる。この産業転換こそが、現在の集落景観を決定づけた主要因である。
養蚕は、蚕を育てるための広い空間と、適切な温度・湿度・通風が不可欠な産業だった。そのため、既存の住居を養蚕に適応させる工夫が重ねられた。特に、主屋の屋根裏を蚕室として利用するため、屋根前面の中央部を切り上げた「突き上げ屋根」が設けられるようになったのは、この地域の大きな特徴である。 昭和に入ると、さらに棟に越屋根を上げた切妻造桟瓦葺の主屋も建てられ、地域独特の集落景観が形成されていった。 これらの建物は江戸時代中期から昭和にかけて建てられたものが多く、周囲の畑地や自然環境と一体となり、伝統的な集落の形態を今日まで伝えている。
「福助型」が語る暮らしの工夫
上条集落の家屋に見られる「突き上げ屋根」は、養蚕という特定の産業がもたらした建築様式であり、その機能は採光と通風の確保にあった。 蚕はデリケートな生き物であり、屋根裏の蚕室に光を取り入れ、新鮮な空気を循環させることは、良質な繭を得る上で欠かせない条件だったのだ。この形状は、あたかも福助人形が裃(かみしも)を着て頭を突き上げているように見えることから、「福助型甲州民家」とも呼ばれることがある。
この地域に突き上げ屋根が発達した背景には、地理的な条件も影響している。四方を山に囲まれ、年間を通じて強い風が吹き抜ける谷が少ないため、風に煽られやすい茅葺き屋根であっても、このような特殊な形状が可能になったという。 一般的に茅葺き屋根は寄せ棟か入母屋が多い中で、山梨県東部では茅葺きでありながら切妻屋根が見られ、さらに突き上げ屋根が付くのはこの地域に限定される。 集落は金剛山と呼ばれる舌状台地の南面傾斜地に形成されており、等高線に沿って切り盛りされた敷地には石垣が築かれ、その上に主屋が細長く配置されている。 主屋に近接して蚕室が建てられ、二階同士をつなげて利便性を高めた例も見られる。 こうした集落全体の構造と、個々の家屋の工夫が一体となって、養蚕の隆盛を今に伝える景観を作り上げてきたのである。
全国に散らばる伝統との対比
上条集落の突き上げ屋根を持つ養蚕農家群は、日本の伝統的建造物群保存地区の中でも特異な存在と言える。例えば、世界遺産にも登録されている岐阜県の白川郷や富山県の五箇山に代表される合掌造り集落も、急峻な茅葺き屋根を持つ点で共通している。しかし、合掌造りが豪雪地帯の積雪対策と、屋根裏での大規模な養蚕を目的とした、より大規模で構造的な建築様式であるのに対し、上条の突き上げ屋根は、既存の切妻造の屋根に養蚕機能を付加する形で発展したという点で異なる。
また、京都府美山町や福島県下郷町大内宿のような茅葺き集落も全国には点在するが、これらの多くは宿場町や農村の原風景としての保存が主眼であり、特定の産業に特化した屋根形状がここまでまとまって見られる例は稀である。 山梨県内にも茅葺切妻造の主屋は点在するが、上条地区のように一つの集落内で、江戸時代中期から昭和にかけて建てられた多様な形式の民家がまとまって保存されている例は他にない。 この比較から見えてくるのは、上条集落が単なる古い家並みの保存ではなく、明治期以降の養蚕業という経済活動が、地域の環境と密接に結びつきながら、独自の建築様式と集落構造を生み出した具体的な証左であるという点だ。
現代に息づく集落と「もしもしの家」
2015年7月8日、上条集落は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 これは山梨県内で二番目の選定であり、全国でも110番目となる。 現在、この集落では26棟の建築物、38の工作物、3つの環境物件が保存対象となっている。 多くの茅葺き屋根は、維持管理の困難さから昭和20年代以降に金属板で覆われてしまったが、それでも11棟の茅葺き主屋が残されているという。
集落の中心には、江戸時代末期に建てられたとされる「もしもしの家」がある。 かつてこの家だけに電話があり、村の人々が電話を借りに来たことに由来するこの建物は、NPO法人山梨家並保存会によって宿泊施設として改修され、現在では日帰り利用やワークショップにも活用されている。 また、平成21年にはNPOの活動により、集落の拠点である観音堂の屋根が茅葺きに葺き直されるなど、住民と外部の協力による保存活動が続けられている。 今日、上条集落を訪れる者は、甲府盆地を見下ろす山麓に広がる、養蚕の歴史が刻まれた独特の景観を散策できるだけでなく、実際に伝統的建造物に宿泊して、その生活を体験することも可能となっている。
土地の記憶を読み解く「福助型」の屋根
甲州市塩山下小田原上条の集落を歩くと、ただ古い家屋が残るだけでなく、それぞれの屋根が地域の歴史と深く結びついていることがわかる。突き上げ屋根は、一見すると奇妙な形状にも映るかもしれないが、それはこの地で生きた人々が、限られた資源と環境の中で、いかにして新たな産業を取り込み、暮らしを豊かにしようと試みたかの具体的な表れである。
この「福助型」の屋根は、養蚕という特定の産業が最盛期を迎えた明治期に、それまでの住居に機能を追加する形で増築されたものだ。 そのため、集落内には江戸時代中期に建てられた平屋の茅葺切妻造の主屋から、突き上げ屋根が付加されたもの、さらに昭和以降に建てられた桟瓦葺の主屋まで、多様な年代と形式の建物が混在している。 このことは、上条集落の景観が、特定の時代の瞬間を凍結したものではなく、時代ごとの人々の営みと技術の変遷を、そのまま地層のように重ねてきた結果であることを示している。茅葺きの屋根が銀色のトタンに覆われていく中で、わずかに残る茅葺きと、その上に突き上げられた小さな屋根は、この山村が辿ってきた産業と生活の軌跡を静かに語り続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 甲州市塩山下小田原上条 文化遺産オンラインonline.bunka.go.jp
- 山梨県/山梨の文化財ガイド(データベース)重要伝統的建造物群保存地区pref.yamanashi.jp
- 上条集落 « | 風流美:伝匠舎 石川工務所densho-sha.co.jp
- 歴史的町並みの保存・整備・活用『全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)』|甲州市塩山下小田原上条 伝建地区詳細denken.gr.jp
- 重伝建地区「甲州市塩山下小田原上条」 | 甲州市city.koshu.yamanashi.jp
- 甲州市塩山下小田原上条(伝統的建造物群保存地区) | ドライブコンサルタントdriveconsultant.jp
- 上条集落について - もしもしの家koushu-minka.jp
- city.koshu.yamanashi.jp