2026/6/26
伊勢湾のアサリ激減はなぜ?豊かな海が直面する環境変化

伊勢湾でとれる海産物、伊勢湾の名産を知りたい。
キュリオす
伊勢湾はかつて「海の幸の宝庫」だったが、埋め立てや環境変化でアサリやイカナゴが激減。豊かな海を育む地形と水の循環、東京湾や瀬戸内海との比較、そして現代の海産物生産と課題について辿る。
湾に満ちる歴史の潮目
伊勢湾が「海の幸の宝庫」として認識されてきた歴史は古い。愛知県の資料によれば、伊勢湾・三河湾は古くから魚介類の宝庫であり、地元の人々は潮干狩りを楽しんだり、アマモやヒトデなどを肥料として利用したり、塩田で塩作りを行ったりと、様々な形で海の恵みに関わってきたことが記されている。 明治時代に入ると、近代的な漁業の発展と、ある種の革新がこの湾にもたらされる。特に、真珠養殖の分野で御木本幸吉が果たした役割は大きい。1893年(明治26年)、御木本は鳥羽市にある相島でアコヤガイを用いた半円真珠の養殖に成功し、その後1905年(明治38年)には世界で初めて真円真珠の養殖を実現した。この技術は、志摩市の英虞湾へと広がり、複雑に入り組んだリアス海岸と穏やかな波、山からの豊富な養分がアコヤガイの餌となるプランクトンを育む環境が、真珠養殖に適していたのだ。英虞湾には今も無数の真珠養殖筏が浮かび、その風景はこの地の主要な産業を物語っている。 一方、伊勢湾奥部では、名古屋港周辺の埋め立てが進む以前、昭和30年代後半までは漁業が盛んに行われていた。特に下之一色地区は漁業専業者が多く、漁業権を放棄するまで伊勢湾奥部の漁業の中心地であったという。当時は約30種類もの漁法が用いられ、干潟では貝やウナギ、牡蠣や海苔の養殖が行われ、沖合ではクルマエビやモエビ、キス、カレイなどが獲られていた。しかし、高度経済成長期を経て、1970年代から1980年代にかけて四日市地区などで工業用地建設のための埋め立てが進行し、広大な干潟や浅海域の漁場が失われた。これにより、伊勢湾北部の優良漁場が失われ、多くの漁業協同組合が解散に至ったという報告もある。 この時期、アサリ漁獲量は1950年代から増加し、1970年代半ばから1980年代半ばには6万トン以上を記録し、東京湾に代わって国内のアサリ漁獲量の半分以上を占めるまでになった。しかし、1990年代半ばからは減少傾向に転じ、2000年代以降は年間3,000トン前後に低迷している。イカナゴ漁も春の風物詩として知られていたが、近年では資源の激減により2016年から禁漁が続き、回復の見通しは立っていない。このように、伊勢湾の漁業は、自然の恵みを享受する時代から、環境変化と開発の波に翻弄される時代へと大きく変遷してきたのだ。
豊かな海を育む地形と水の循環
伊勢湾が古くから多種多様な海産物を育んできた背景には、その特異な地理的条件と水循環の仕組みがある。伊勢湾は水域面積2,342平方キロメートル、平均深度16メートルと、日本最大級の内湾でありながら比較的浅い。特に湾口が狭く、全体として盆状の地形をしていることが大きな特徴である。この地形により、湾内は外洋の影響を受けにくく、波が穏やかで、内湾性の生物が繁殖しやすい環境が形成されている。
さらに重要なのは、湾に流れ込む河川群の存在である。北部に木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)、南部に宮川をはじめとする大小約20の河川が流入しており、年間約200億立方メートルもの淡水が供給される。これらの河川は、山々から豊富なミネラルや栄養塩類(窒素やリンなど)を運び込む。流入した栄養塩は、湾内で植物プランクトンの増殖を促し、それがアサリなどの二枚貝や魚類の餌となることで、豊かな生態系の基礎を築いてきた。河口域には広大な干潟や浅場、藻場が発達し、これらが多様な生物の生息・生育場所として機能してきたのだ。例えば、アサリは河口域の干潟や半自然海岸に好漁場を形成し、かつては年間1万トン前後の漁獲量を誇っていた。
しかし、この豊かな水循環は、時として湾の脆弱性をも露呈する。淡水は海水よりも軽いため、湾内では密度成層が発生しやすい。これにより、表層と底層の水の交換が妨げられ、海底に堆積した有機物が分解される際に酸素が消費され、底層水の貧酸素化を引き起こすことがある。特に夏季には、この貧酸素水塊の発生が頻繁かつ広範囲に及び、底生生物に深刻な影響を与えることが指摘されている。実際、伊勢湾の小型底びき網漁業の漁獲物の変遷を見ると、シャコやクルマエビ、カレイ類といった底生生物が減少し、スズキやイカ類など中層を泳ぐ魚が増加する傾向が見られるという。これは、夏季の貧酸素水塊や底質悪化が海底環境に影響を与えている可能性を示唆している。 かつては「歩けば魚が足に当たり、ひと網入れれば溢れるほどの魚が獲れる豊穣の海」と評された伊勢湾だが、その豊かな水循環の裏側には、環境変化に敏感な閉鎖性内湾としての側面が常に存在しているのだ。
他の湾域との対比が示すもの
伊勢湾の豊かな海産物とその変遷を理解するためには、日本各地の類似した湾域と比較することが有効である。特に、同じく大都市圏に隣接する「東京湾」や、西日本を代表する内湾である「瀬戸内海」、そして隣接する「三河湾」との対比は、伊勢湾の特質を浮き彫りにするだろう。
東京湾は、古くから江戸の食を支える「日本一の漁場」とも言われた歴史を持つ。多摩川が運ぶ大量の泥によって形成された広大な干潟は、多くの貝類や海藻、それを餌とする魚たちの宝庫であった。アサリの漁獲量も1960年代には全国の半分以上を占めるほどだったが、その後の埋め立て面積の増大とともに激減し、2001年以降は最盛期の10%以下に落ち込んでいる。伊勢湾もまた、名古屋港周辺での大規模な埋め立てによって、かつての優良漁場を失った経緯があり、アサリ資源の減少という点では東京湾と共通する道を辿ったと言えるだろう。しかし、東京湾が都市化による環境負荷の象徴とされる一方で、伊勢湾では、後述する漁業者による「森づくり」など、環境再生への多角的な取り組みが見られる点で異なる。
瀬戸内海もまた、多島美と穏やかな海が特徴の内海であり、多種多様な魚介類が獲れる豊かな漁場として知られる。アサリ漁獲量もかつては年間2万トン前後を記録したが、1980年代後半から急減し、2000年以降は最盛期の5%にまで減少している。瀬戸内海の場合、漁獲圧力の増大や有害物質、稚貝死亡など複数の要因が指摘されており、一因に絞ることは難しい。伊勢湾もアサリ漁獲量の減少に直面しているが、瀬戸内海と比較すると、伊勢湾は湾口が狭く閉鎖性が高いという地形的特徴が、河川からの栄養塩供給と貧酸素水塊の発生という両極端な現象をより顕著にしていると言える。
伊勢湾と隣接する三河湾は、しばしば一体的に語られるが、それぞれに異なる特徴を持つ。愛知県水産試験場の黒田伸郎氏によれば、両湾とも流域面積が広く、比較的自然海岸が残っている点が共通する豊かさの理由である。しかし、三河湾は平均水深が9メートルと伊勢湾(平均16メートル)よりもさらに浅く、アサリやシャコ、トリガイの漁獲量が全国一を誇るなど、特定の貝類や底生生物の生産において高い優位性を持つ。一方で、近年は赤潮の頻発による貧酸素状態が広がり、貝や魚の大量死を引き起こすなど、環境悪化の問題も抱えている。伊勢湾が多様な魚種を支える一方で、三河湾は特定の高付加価値種に特化した生産構造を持つという点で対照的である。
これらの比較から見えてくるのは、内湾という環境が持つ「豊かさ」と「脆弱性」の二面性だ。大都市圏に近く、河川からの栄養供給に恵まれることは、かつては豊かな漁場を意味した。しかし、同時にそれは、都市活動や産業活動による環境負荷を受けやすく、水質悪化や埋め立てによる漁場消失といった問題に直結しやすい構造でもある。伊勢湾の海産物とその歴史は、この内湾が直面してきた普遍的な課題を、具体的な形で示していると言えるだろう。
今、伊勢湾の海で育まれるもの
現代の伊勢湾では、かつての「海の幸の宝庫」という側面が、新たな課題と向き合いながら再構築されつつある。現在も伊勢湾では、多獲性魚類を対象とした船びき網漁業、底生魚介類を対象とした小型底びき網漁業、そして沿岸部での採貝漁業や海苔養殖業が営まれている。
主要な海産物としては、まず「アサリ」が挙げられる。かつては全国有数の漁獲量を誇り、現在も愛知県のアサリ生産量は全国一である。しかし、三重県側では1990年代後半から漁獲量が減少し、2000年以降は最盛期の30%にまで落ち込んでいる。資源回復のため、稚貝の放流や漁場の禁漁区設定、食害生物の駆除、海底耕耘などの取り組みが各地で行われている。「ハマグリ」も桑名を含む木曽川河口域で古くから知られる特産品であり、アサリ資源が激減する中で、生息量が増加傾向にあるハマグリの稚貝放流や保護に力が入れられている。
海苔養殖も伊勢湾の重要な産業である。三重県は黒のり養殖の歴史ある産地であり、伊勢湾の豊富な栄養分を吸収して育った黒のりは、香り高く、旨みと甘みが特長とされる。桑名から鳥羽まで南北に広く養殖漁場が分布し、湾奥部では支柱式、沖合では浮き流し式といった養殖方法が使い分けられている。また、伊勢志摩地域では「あおさのり」の養殖が盛んで、三重県は全国シェアの6割を占めるまでになっている。しかし、近年は「貧栄養化」により、海苔の色落ちや生産量の低下が深刻な課題となっており、栄養塩供給や環境変化に強い養殖種の導入が検討されている。
魚類では、春の「イカナゴ」(現在は禁漁)、夏の「カタクチイワシ」などが船びき網で獲られ、ちりめんやタツクリに加工される。小型底びき網では「アナゴ」や「ヨシエビ」などが漁獲され、特に鈴鹿市若松地区で水揚げされるアナゴは「若松のアナゴ」としてブランド化されている。また、伊勢志摩地方では「伊勢海老」や「アワビ」が三重ブランドに認定される高級食材として知られ、海女による伝統的な漁も継承されている。「真珠」は英虞湾を中心に、御木本幸吉が確立した養殖技術が今も受け継がれ、三重県は愛媛県、長崎県と並ぶ日本有数の真珠産地である。
内陸部に目を向ければ、河川の恵みを受けた「ウナギ」の養殖も盛んで、伊勢市には老舗のうなぎ専門店が点在する。これは、伊勢湾の豊かな水系が淡水域にまで広がる恵みを示している。 このように、現代の伊勢湾では、多様な海産物が生産され続けているものの、資源の減少、環境の変化、漁業者の高齢化といった課題に直面している。漁業者たちは「豊かな海は豊かな山から」という考えのもと、植樹活動を通じて山林の保全に取り組むなど、海の再生に向けた多角的な努力を続けている。
豊かさの再定義と、海との距離
伊勢湾の海産物を巡る旅は、単に豊富な食材の発見に留まらない。そこには、かつて当たり前だった「豊かさ」が失われつつある現実と、それを再定義し、未来へと繋ごうとする人々の静かな努力が見えてくる。
かつて伊勢湾は、河川からの膨大な栄養塩と広大な干潟が、圧倒的な生物生産力を生み出していた。しかし、高度経済成長期の埋め立てや、その後の環境変化は、この「物質的な豊かさ」を大きく揺るがした。アサリやイカナゴの激減、海苔の色落ちといった現象は、単なる漁獲量の減少ではなく、湾全体の生態系バランスが変化していることを示している。これは、人間活動がもたらす影響が、内湾という閉鎖的な環境においていかに増幅され、不可逆的な変化を引き起こしうるかという、普遍的な問いを投げかけているだろう。
しかし、現代の伊勢湾における「豊かさ」は、もはや過去の大量漁獲量だけでは測れないものになっている。むしろ、限られた資源をいかに持続可能に利用するか、失われた生態系をいかに再生するかという視点に移行している。漁業者による自主的な資源管理や漁場環境の改善、そして「豊かな海は豊かな山から」という認識に基づく森づくり活動などは、その具体的な現れと言える。これは、人間が自然の一部として、いかに海と共生していくかという「里海」の思想にも通じるものだ。
伊勢湾の海産物が語るのは、自然の恵みを享受するだけでなく、その恩恵を持続させるための手間と時間、そして知恵の積み重ねである。伊勢湾の岸辺に立ち、風に運ばれる潮の香りを深く吸い込むとき、その香りには、過去の繁栄、現在の挑戦、そして未来への静かな願いが込められている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。