2026/6/19
なぜ奈良・春日祭の唐菓子は「硬く」「油っぽい」まま千年以上守られ続けるのか

奈良に春日祭ででる唐菓子について詳しく教えてほしい。春日祭も。
キュリオす
奈良・春日大社の春日祭で千年以上供され続ける唐菓子「ぶと」。平安時代から続く祭礼で、現代の菓子とは対極にあるその姿は、大陸文化の衝撃を日本的な信仰の中に閉じ込めた文化のタイムカプセルとして、今も静かにその形を守り続けている。
原始の森に漂う胡麻油の匂い
三月の半ば、奈良・春日大社の参道を歩くと、湿り気を帯びた春日山の原生林の匂いに混じって、どこか香ばしい、しかし現代の菓子屋のものとは明らかに質の異なる油の香りが漂ってくることがある。三月十三日。この日に行われる「春日祭(かすがさい)」は、平安時代から続く勅祭、すなわち天皇の使者が派遣される極めて格式の高い儀式だ。
参道には真新しい砂が敷き詰められ、神域特有の静謐さが一段と深まる。その奥深く、一般の参拝客が立ち入れない御蓋山(みかさやま)の麓で、千年以上も姿を変えずに作り続けられてきた「食べもの」がある。それが唐菓子(とうがし)だ。
現代の私たちが「菓子」と聞いて思い浮かべる、ふわふわとしたスポンジや滑らかな餡の質感とは、それは対極にある。石のように硬く、幾何学的な輪郭を持ち、強い胡麻油の香りを纏ったその物体は、菓子というよりは、祈りの形をそのまま固めた彫刻のように見える。
なぜ、この洗練された現代において、これほどまでに無骨で、ある種「食べにくそう」な古の食が、頑なに守り続けられているのか。春日大社の深い杜の中で、その香りの主を追いかけてみることにした。
嘉祥二年に刻まれた「申」の記憶
春日祭の歴史を紐解くと、平安時代の嘉祥二年(八四九年)という具体的な年号に突き当たる。この年に始まったとされるこの祭礼は、かつては二月と十一月の「上旬の申(さる)の日」に行われていたことから、別名「申祭(さるまつり)」とも呼ばれてきた。
この祭りがこれほどまでに重んじられてきた理由は、春日大社が当時の権力の中枢にいた藤原氏の氏神であったことと無関係ではない。藤原氏の隆盛とともに、春日祭は国家の安泰を祈る「勅祭」へと昇格し、京都の賀茂祭(葵祭)、石清水祭と並ぶ日本三大勅祭の一つに数えられるようになった。
当時の記録によれば、斎女(いつきめ)が二千人もの行列を従えて京から大和へと下ったという。その華やかさは、今の静かな神事からは想像もつかないほどだったに違いない。しかし、応仁の乱などの戦乱を経て、祭りの規模は縮小を余儀なくされる。多くの伝統行事が途絶えていく中で、春日祭が今日までその骨格を保てたのは、明治時代に旧儀復興の動きがあったからだ。
明治十九年(一八八六年)、祭日は現在の三月十三日に固定されたが、儀式の本質は平安の故実を忠実に守っている。天皇陛下からの供え物である「幣帛(へいはく)」を携えた勅使が参向し、古式ゆかしい装束に身を包んだ人々が、神前で「和舞(やまとまい)」を奉納する。
この一連の儀式の中で、最も「生きた遺物」として存在感を放つのが、神饌(しんせん)と呼ばれる神へのお供え物だ。春日大社では、今も神職自らが忌火(いみび)を用いて調理を行う「熟饌(じゅくせん)」の伝統が残っている。その中心に鎮座するのが、遣唐使によってもたらされた「唐菓子」である。
唐菓子が日本に伝わった奈良時代、それまでの日本における「菓子」とは、木の実や果物そのものを指していた。そこに、穀物の粉を練り、形を作り、油で揚げるという、当時の最先端技術を駆使した「人工の食べもの」が登場した衝撃は、いかばかりであったろうか。
春日大社には、この唐菓子の製法を預かる「神饌職」や、かつては「梶木(かじき)」と呼ばれた専門の職人がいた。彼らは口伝によってその技術を継承し、現代の調理器具を排した環境で、今もなお千年前と同じ「火」と「油」の音を聞きながら、神の食卓を整えている。
餢飳という名の「伏せる兎」
春日祭に供えられる唐菓子の中でも、特に異彩を放つのが「餢飳(ぶと)」である。漢字で書くことさえ難しいこの菓子は、米粉や小麦粉を水で練り、蒸し、搗(つ)いた生地を成形して、胡麻油でじっくりと揚げたものだ。
その形は、二つ折りにした生地の端を指先でつまみ、縄目のような模様をつけたもので、一見すると大きな「揚げ餃子」のようにも見える。しかし、その由来を辿ると「伏菟(ふと)」、すなわち「伏せている兎」の姿を模したものだという説に行き着く。
平安中期の辞書『和名類聚抄』には、すでにこの「ぶと」の名が登場する。当時は「油で煎った餅」と定義されており、貴族の宴席を彩る高級品であった。春日大社では、この「ぶと」を作ることは神職にとって重要な修行の一つとされ、一人前の形に仕上げられるようになるまでには数年から十年の歳月を要すると言われている。
調理の工程は、現代の菓子作りとは一線を画す。まず、清浄な火である「忌火」を起こし、大きな釜で精鑞(せいろう)を用いて生地を蒸し上げる。それを臼で搗き、手早く成形していく。揚げる際に使うのは、純度の高い胡麻油だ。
興味深いのは、その中身である。現代の私たちが手に入れることのできる「ぶと」には餡が入っていることが多いが、本来の神饌としての「ぶと」には、香り付けのために「莽草(まきさ)」の葉などが入れられることがあったという。これは食べるための味付けではなく、神に捧げるための「清め」や「香り」を重視した結果だろう。
「ぶと」以外にも, 春日祭の供物台には「曲米(まがりこめ)」や「粢(しとき)」といった、独特の造形を持つ供物が並ぶ。これらは「八種唐菓子(やくさのからがし)」と呼ばれる古代菓子の系譜を引くもので、梅の枝を模した「梅枝(ばいし)」や、結び目のような形をしたものなど、一つ一つに象徴的な意味が込められている。
これらの菓子は、揚げたては香ばしいものの、時間が経てば非常に硬くなる。しかし、その「変わらないこと」「崩れないこと」こそが、永遠を象徴する神への供物としてふさわしかったのかもしれない。
現代の菓子が「口溶け」や「軽さ」を競う中で、春日の唐菓子は、重く、硬く、確かな手応えを持ってそこに在る。それは、利便性や嗜好性の外側に置かれた、純粋な儀式としての食の姿である。
神職たちは、祭りの数日前から「精進屋(しょうじんや)」に籠もり、身を清めてこれらの供物を作り続ける。その手間と時間は、効率という言葉では計れない。一回一回の祭りのために、ただひたすらに「形」を再現する。その行為の積み重ねが、春日の森に漂うあの独特の胡麻油の匂いとなって、千年後の私たちにまで届いているのだ。
三大勅祭にみる供物の境界線
春日祭を語る上で、同じ「三大勅祭」に数えられる京都の賀茂祭(葵祭)や石清水祭との比較を避けることはできない。これら三つの祭礼は、いずれも天皇の使者が参向するという点では共通しているが、神前に供えられる食、すなわち神饌のありようには、それぞれの土地の歴史と信仰のグラデーションが色濃く反映されている。
例えば、京都の賀茂祭(上賀茂神社・下鴨神社)において、神饌の中心となるのは「生饌(せいせん)」、つまり調理加工を施さない自然のままの供物だ。米、塩、水といった基本に加え、海産物や野菜がそのままの姿で供えられる。これは、神を自然の瑞々しさそのものとして捉える、より原初的な神道の姿に近いと言える。
対して、石清水八幡宮の石清水祭は、かつて「放生会(ほうじょうえ)」として始まった歴史から、仏教的な色彩を強く帯びてきた。ここでは「供花神饌(きょうかしんせん)」と呼ばれる、まるで生け花のように美しく飾り立てられた供物が有名だ。食材を細工し、彩色を施して、視覚的な美しさを極めるその手法は、平安貴族の美意識が神饌という形を借りて昇華されたものと言えるだろう。
これら二つと比較したとき、春日大社の神饌, 特に唐菓子の存在は、極めて特異な位置にあることがわかる。春日は、賀茂のような「生の自然」でも、石清水のような「装飾された美」でもなく、「加工された古の技術」をそのまま保存しているのだ。
春日大社の唐菓子がこれほど純粋な形で残った背景には、藤原氏という特定の氏族が、自らのルーツを誇示するために「当時の最先端=唐のスタイル」を固定化し、それを家風として守り抜いたという側面がある。
また、京都の老舗菓子司「亀屋清永」が今も作り続けている「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」という唐菓子がある。これは比叡山の延暦寺などに納められる仏教由来の供物だが、春日の「ぶと」と驚くほど似ている。しかし、決定的な違いがある。仏教系の唐菓子には、殺菌や清めのためにニッキや丁子といった七種類の香(おこう)が練り込まれているのに対し、春日の「ぶと」は胡麻油の香りと粉の味のみで構成されることが多い。
この「香」の有無は、神仏習合の時代を経てなお、神の食と仏の食が、細い一線を画して共存してきた証拠でもある。
さらに、他の地域の小規模な神社でも「ぶと」に似た揚げ菓子が神饌として残っている例はある。しかし、その多くは時代とともに簡略化され、市販の菓子で代用されたり、形が崩れたりしていった。春日大社が「三大勅祭」という重責を担い続け、国の予算や藤原氏の威信を背景に、専用の調理場と人員を維持し続けたからこそ、この「食べられる化石」は、変質することなく現代にまで流れ着くことができたのだ。
こうして比較してみると、春日祭の唐菓子とは、単なる「古いお菓子」ではないことが見えてくる。それは、大陸文化の衝撃を日本的な信仰の中に閉じ込め、真空パックのように保存し続けてきた、文化のタイムカプセルなのである。
門前町に降りてきた古代の味
春日大社での神事が終わると、唐菓子は「直会(なおらい)」として神職や関係者の口に入る。しかし、一般の参拝者が神域の「ぶと」を直接口にすることは叶わない。その代わり、春日大社の一之鳥居からほど近い、奈良市内の商店街には、この古代の味を現代に繋ぐ試みが息づいている。
もちいどのセンター街にある老舗菓子店「萬々堂通則(まんまんどうみちのり)」の店頭には、茶色く揚げられた餃子のような形の菓子が並んでいる。その名も「ぶと饅頭」。春日祭や若宮おん祭で供えられる「ぶと」を、一般の人も食べられるようにと、明治時代に考案されたものだという。
神饌の「ぶと」は米粉で作られ、中身は空洞か、あるいは香りの葉が入っているだけだが、この「ぶと饅頭」は小麦粉の生地に卵を加え、中にはしっとりとした漉し餡が詰まっている。表面にはたっぷりと砂糖がまぶされ、現代人の味覚に合う「あんドーナツ」に近い仕上がりになっている。
しかし、その形は紛れもなく、春日の神職が指先で縄目を刻むあの「ぶと」のシルエットを写している。実際に口にしてみると、まず感じるのは胡麻油の力強い香りだ。揚げ菓子特有の重厚感がありながら、中の餡がそれを優しく受け止める。
この「ぶと饅頭」の存在は、神域の伝統が単に閉ざされた空間で完結しているのではなく、門前町というフィルターを通して、人々の暮らしや観光の楽しみへと接続されていることを示している。奈良の人々にとって、春日祭や唐菓子は、教科書の中の知識ではなく、近所の菓子屋で買い求めることのできる、地続きの風景なのだ。
一方で、伝統の継承には常に課題がつきまとう。春日大社においても、神饌を調理する環境の維持や、技術を持つ神職の育成は容易ではない。かつては周辺の農村から特定の役職として奉仕する人々がいたが、社会構造の変化とともに、そのシステムを維持するのは難しくなっている。
それでも、三月十三日の朝には、新しい砂が敷かれた参道を勅使の行列が進み、調理場からは胡麻油の匂いが立ち上る。その風景を守るために、奈良の人々は今も静かな誇りを持って、この祭りを支え続けている。
観光客が賑やかに通り過ぎる近鉄奈良駅周辺の喧騒から、わずか徒歩十五分。一之鳥居をくぐり、鹿が群れる参道を歩むごとに、空気の密度は変わっていく。その先にあるのは、単なるノスタルジーではない。千年前のレシピを、一度も途絶えさせることなく実行し続けるという、途方もない継続の意志だ。
「形」が運んできた千年の時間
春日祭の唐菓子を巡る旅を終えて、最後に残ったのは、その「味」の記憶ではなく、むしろ「形」の強烈な印象だった。
現代の食文化において、美味しさとは往々にして「新しさ」や「意外性」、あるいは「洗練」と同義である。しかし、春日の唐菓子が私たちに突きつけるのは、そのどれでもない。そこにあるのは「反復」の美学だ。
「ぶと」の縄目が、千年前の文献に記された通りに再現される。胡麻油で揚げるという、かつては贅沢の極みであった工程が、今も同じ手順で繰り返される。この「形」を崩さないことへの執着こそが、時間の流れをせき止め、平安時代の空気を現代にまで漏れ出させている。
私たちは、この菓子を「美味しい」と評する前に、まずその「存在の不自然さ」に驚くべきなのだろう。本来、食べものとは時代とともに変化し、より食べやすく、より美味しく改良されていく運命にある。それにもかかわらず、春日の唐菓子は、改良という名の進化を拒絶した。
その拒絶こそが、神へ捧げる供物としての誠実さだったのかもしれない。神に供えるものは、人間の都合で変えてはならない。その厳格なルールが、結果として、失われた古代の食文化を現代に繋ぐ唯一の細い糸となった。
春日祭が終わった後の境内は、またいつもの静けさに戻る。しかし、三月十三日のあの胡麻油の匂いを知ってしまった後では、春日山の原生林の見え方が少しだけ変わる。あの深い緑の奥には、千年前から一度も絶えることなく燃え続けてきた火があり、その火で温められた油の音が、今も響いているのだ。
私たちが「伝統」と呼ぶものの正体は、こうした誰にも気づかれないような、些細で、かつ執拗な「反復」の集積に他ならない。
一之鳥居を出て、再び賑やかな奈良の街へと戻る。信号待ちをする人々の列の向こうに、春日山の稜線が夕闇に溶け込んでいく。あの山の麓で、今年もまた「形」が守られた。その事実だけで、この古都の奥行きは、さらに数百年分、深まったように感じられる。
春日祭の唐菓子は、食べるためのものではなく、時間を運ぶための器だった。三月十三日、忌火で熱せられた胡麻油の香りは、春日山の原生林から一之鳥居を抜け、奈良の街へと漂い続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 暮らしに息づく伝統文化を探る 奈良市 春日大社:JR西日本westjr.co.jp
- 春日祭|世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典|ジャパンナレッジjapanknowledge.com
- 東京木材問屋協同組合mokuzai-tonya.jp
- 奈良県(奈良市)ぶと饅頭|生活科学|植物のチカラ 日清オイリオnisshin-oillio.com
- 保存継承グループ 奈良市:春日大社の「春日祭」見学記 - 奈良まほろばソムリエの会stomo.jp
- 和菓子・京菓子のことなら何でも分かる!「おいでやす!和菓子ミュージアム」kanshundo.co.jp
- 第692回 萬々堂通則の『餢飳饅頭』(ぶとまんじゅう)と焼菓子『弓 月』 : 和菓子魂!blog.livedoor.jp
- 亀屋清永の歴史 - 亀屋清永 公式オンラインショップshop.kameyakiyonaga.co.jp