2026/6/3
成田の「鉄砲漬け」、なぜ鉄砲?瓜と唐辛子のユニークな関係

成田山はってっぽう漬けが有名だが、なぜてっぽう??
キュリオす
成田山新勝寺の参道で知られる「鉄砲漬け」。そのユニークな名は、瓜の中心をくり抜き、青唐辛子を詰める独特の製法に由来する。保存食から土産物へと発展した、この地の食文化に根ざした工夫を探る。
成田山新勝寺へと続く表参道を歩くと、鰻の香ばしい匂いに混じって、どこか懐かしい醤油の香りが漂ってくる。古くから門前町として栄えたこの地には、参拝客を迎える様々な土産物が並ぶが、その中でも特に目を引くのが「鉄砲漬け」という名の漬物だ。店頭に並ぶそれは、整然と並んだ瓜の姿が特徴的である。しかし、なぜ「鉄砲」という物々しい名がつけられたのか。その疑問は、この地の食文化に根ざした一つの工夫へと誘う。
成田山てっぽう漬けの歴史は、江戸時代後期、天保年間(1830年〜1844年)にまで遡るとされる。当時の成田市竜台地域で、冬場の保存食として作られ始めたのがその起源だ。千葉県は古くから瓜の栽培が盛んであり、収穫した瓜を長期保存する知恵として、各家庭で塩漬けや醤油漬けが作られていた。
やがて戦後の復興期にあたる1950年代、この家庭料理に転機が訪れる。成田山池之端にあった料亭「名取亭」が、農家が自家用に作っていた瓜の漬物に目をつけ、味付けを工夫して客に提供したところ、その評判が広まったのだ。これが商品化の始まりであり、その後、成田市花崎町の芦田屋が瓜の種抜き作業の機械化に成功したことで、量産化が可能となり、成田山詣での定番土産として広く知られるようになった。
「てっぽう漬け」という名の由来は、その独特な製法と見た目にある。主役となる白瓜(しろうり)の中心部をくり抜き、その空洞を鉄砲の「銃身」に見立てたのだ。そして、このくり抜かれた部分に、紫蘇の葉で巻いた青唐辛子を詰める。この青唐辛子が、まるで鉄砲に込められる「弾丸」や「火薬」を思わせることから、「鉄砲漬け」と名付けられたという。
この命名には、単なる形状の類似だけでなく、漬物の味の特徴も反映されている。青唐辛子のピリリとした辛味が、まさしく弾けるような刺激を口内に与える。コリコリとした瓜の歯ごたえと、醤油とみりんを主体とした調味液の風味、そして青唐辛子の辛味が一体となり、ご飯のおかずとしても酒の肴としても親しまれてきた。
日本各地には、その土地の気候や産物、歴史に根ざした多様な漬物が存在する。例えば、京都の千枚漬けは蕪の薄切りを重ねた雅な姿が特徴であり、秋田のいぶりがっこは燻製の香りが食欲をそそる。これら多くは、材料の風味を活かし、保存性を高めるために工夫されてきた。
成田のてっぽう漬けもまた、冬場の保存食という役割から生まれた点では共通している。しかし、その見た目を特定の道具、しかも「鉄砲」という具体的な武器になぞらえ、中に別の具材を詰めるという発想は、他の漬物とは一線を画す独自性を持つ。瓜をくり抜き、唐辛子を詰めるという工程は、単に保存するだけでなく、食感や風味に変化をもたらすための工夫であり、一種の「料理」としての側面が強い。長野や岩手にも同様に瓜の種を取り除いて何かを詰めた漬物が見られるが、成田のそれは、特にその名称と、成田山新勝寺の門前町という立地が結びつき、独自の土産物文化を形成した点で特徴的だ。
今日、成田山新勝寺の表参道には、多くの漬物店が軒を連ね、店ごとに工夫を凝らした鉄砲漬けが販売されている。定番の白瓜に青唐辛子を詰めたものに加え、辛くないしその実や大根を詰めたもの、さらには胡瓜やこんにゃくを「銃身」に見立てたバリエーションも登場している。
かつて鉄砲漬けの主原料であった白瓜は、昭和40年代の成田国際空港建設に伴う農地転用により、成田周辺での生産が一時途絶え、台湾などからの輸入に頼る時期があった。しかし近年では、国産の瓜を使った鉄砲漬けを復活させようと、JA成田市と地元の生産農家が協力し、「成田市産の瓜の鉄砲漬プロジェクト」が進行している。品質の良い瓜を育てるための勉強会も定期的に開催され、地域の伝統の味を守り、未来へと繋ぐための努力が続けられているのだ。
成田山てっぽう漬けの「鉄砲」という名は、単なる形状の比喩に留まらない。それは、くり抜かれた瓜という「器」に、紫蘇巻き唐辛子という「芯」を詰めるという、手間をかけた製法を端的に示す言葉でもある。この地で古くから作られてきた保存食が、門前町の活気の中で商品として磨かれ、やがて多くの人々に親しまれる土産物へと昇華していった。一本の漬物には、地域の農産物と人々の知恵、そして変化する時代の中での工夫が凝縮されている。成田の地でこの漬物を味わうことは、その地の歴史と文化が形となったものを口にすることに他ならない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。